川村博さん(NPO法人Jin代表)
ふるさと浪江町に必ず帰ります!
掲載日:2017年12月12日
ブックレット番号:1 事例番号:10
福島県福島市、浪江町/平成24年3月現在

 

川村 博 特定非営利活動法人Jin代表

(福島県双葉郡浪江町)

 

NPO法人Jinは平成17年に高齢者のデイサービスと障害児の児童デイサービスを福島県浪江町に開設しました。児童デイサービスはそれまでに実施していた特別支援学校の放課後ケアを事業化したものです。

 

平成19年にはこれらに障害者の生活介護を併せた「リハ・アクティヴセンター」を開設しました。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士あわせて8人が、看護師、健康運動指導士、社会福祉士、栄養士等とチームを組んでリハビリテーションに特化したサービスを提供する通所事業所でした。

 

約3万㎡の畑では、無農薬・無肥料で生命力のある野菜を栽培して、利用者、職員、鶏、ヤギ、ウサギなど皆でいただいていました。

 

通所事業所にとっての震災当日

3月11日午後2時46分。とんでもなく大きく、長い長い地震に襲われました。生活介護の利用者はパニックになり、外に避難させようにもとても無理で、飛び跳ねる机の下にも入れず、廊下に集まり揺れに耐えました。タイミングを見計らい外に出ましたが、皆、地面の上でバウンドして立ち上がることもできません。

 

その後、目の前の川の水がなくなりました。警察や消防団の車が猛スピードで施設の前を往復し、津波が来ていることを知らせてくれました。そして、みるみる川の水があふれそうになっていきました。

 

大きな余震が続く中、車を出すタイミングを見計らいました。連絡体制をチェックし、予期せぬ事態が発生した場合や家族がいなかった場合の対処を確認し、送迎車両を出しました。通所事業所には入居型のような支援はできません。私たちは利用者の「家族のもとへ」という希望に沿って、無事送り届けることが最大の使命と信じて行動しました。

 

道は割れて車でごった返し、津波に車を流されそうになりながら利用者宅に行くと、家族はすでに避難して不在。真っ暗な体育館等の避難所にも家族が見つかりませんでした。利用者を連れて避難所に行ってみると、そこは障害者や高齢者がしのげるところではなく、施設に戻り、身を寄せ合って余震に耐えました。

 

原発事故によりさらなる避難

私たちの事業所は福島第一原発から7.2㎞にあります。3月12日の早朝、原発事故が発生し直ちに避難するよう知らせがあり、着の身着のまま利用者、職員合わせて39人が5台の車両で西に逃げました。知人の応援もあり、猪苗代町の知的障害児者施設「ばんだい荘」で受け入れてくれて、そこで1週間過ごしました。あの手この手で家族に連絡をとり、利用者を送り届けました。

 

その後、二本松市に空き家を借用し、残った22人で移動。3月22日に最後の利用者を家族のもとに連れて行き、利用者への避難生活支援活動を終え、職員はようやく自分の生活に戻りました。

 

しかし、私たちにはやることがあると考えて、借用した民家を事務所とし、職員は避難所でボランティア活動を続けてきました。10月3日には、福島県からの委託を受けて本宮市と二本松市の仮設住宅の敷地内にサポートセンターを開設し、高齢者のデイサービスや放課後の子どもの活動支援、未就学児の預かり、地域交流サロン等に取組み、現在に到っています。2月10日には福島市にもサポートセンターを開設しました。

 

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