川村博さん(NPO法人Jin代表)
ふるさと浪江町に必ず帰ります!
掲載日:2017年12月12日
ブックレット番号:1 事例番号:10
福島県福島市、浪江町/平成24年3月現在

 

思い深い利用者たち

S・Mさん(女性、24歳)は、特別支援学校を卒業後、生活介護を利用して4年が経ちました。自閉症でこだわりが強く、大騒ぎをする子でしたが、生活にリズムができ、地域生活を目標に掲げるまでになりました。震災当日は、いつもは穏やかで笑顔を絶やさないお母さんも祈る思いでわが子の帰宅を待ちわびていたのだと思います。しかし、電話がつながりませんでした。繰り返される避難指示の声の中、「そろそろ帰ってくるんじゃないか」と待ち続けた末、お母さんは津波にさらわれてしまいました。あの日、電話がつながっていさえすればと思うと、自責の念が絶えません。その後の毎日は、彼女にとって「私はいつ家族のもとに戻れるのだろう」と悲しい避難生活でした。やっと家族と連絡が取れ、3月22日にお父さんのもとに送り届けましたが、次の日、入所施設から彼女の基本情報にかかる問い合わせがありました。今も彼女は入所中です。

 

Y・Yさん(女性、23歳)は、本法人のデイサービスセンターで介護の仕事をしていました。知的障害がありますが、日常生活自立支援事業や訪問介護を利用しながら、地域生活をしていました。避難中は、要介護高齢者のお世話を献身的にしており、夜は、利用者のおばあちゃんとひとつの布団で寝ていました。全利用者を家族に送り届けてから、彼女を飯舘村の実家に届けましたが、村が計画的避難区域に指定され、彼女は地元の障害者施設の入所者となって避難することになりました。気持ちを確認すると、「施設には戻りたくない」とのことでした。そこで、仮設住宅で避難生活をする道を選択しました。その後は、車の免許をとり、車を買いました。今は、サポートセンターで再開したデイサービスでしっかり介護の仕事をしています。

 

児童デイサービスを利用していた子どもたち

特別支援学校に通ってJinの児童デイサービスを利用していた12人は、今は避難先近くの特別支援学校に通っています。しかし、公共交通手段の確保が困難なので、各自治体が学校までの送迎車両を運行しているものの、時間の制約もあり、放課後の活動はできない状況です。避難先から児童デイサービスに通えている子は1人だけです。

 

福島県相双地区には、震災前には11か所の児童デイサービスがありましたが、再開したのは3か所です。うち2か所が未就学児が中心です。そのため、これまで受けていた放課後のケアを受けることができなくなりました。特別支援学校に通う子どもたちの保護者から相馬市での児童デイサービスを再開してほしいという要望がありましたが、職員も家族と避難しているため、その要望に応えることができませんでした。しかし、震災の影響で本法人を退職した2人の児童デイサービスの職員が、南相馬市に新規事業を起こすことになり、うれしい報告ができました。

 

未就学の子どもたち4人は、皆さん県外に避難していますが、「地元のサービスになじめずに困っている…」というお母さんからの相談もありました。

 

生活介護を利用していた方々のその後

震災前は23人がJinの生活介護を利用していました。看護下のリハビリテーションをしていた方が15人、発達障害の方が5人、知的障害の方が3人でした。

 

発達障害や知的障害の方のうち、避難先の事業所を利用しているのは3人、在宅にいる方が3人、入所施設にいる方が1人、確認できない方が1人です。在宅にいる3人は、新しい事業所での環境になじめないそうです。

 

リハビリテーションをしていた方々のうち、入院・入所となった方が2人、避難先で障害福祉サービスを利用している方が10人います。しかし、専門的なリハビリテーションがなく、日中活動として生活介護を利用しているだけなので、体幹の湾曲、四肢の内転や硬直が進展し、とても心配で…と相談を受けますが、医療機関や相談支援機関へつなぐ以上の支援はできていません。そして、3人の方のその後が確認できていませんが、継続的なリハビリテーションが必要な方々なので心配です。私たちも平成23年12月にサポートセンター内に生活介護事業を開設しましたが、サービスを必要とする方々が皆さん遠くにいるので、役に立つことができません。

 

取材先
名称
川村博さん(NPO法人Jin代表)
タグ
関連特設ページ