東京都民生児童委員連合会 顧問 大澤 義行さん
地域とともに半世紀
掲載日:2017年11月29日
2015年6月号 福祉職が語る

東京都民生児童委員連合会 顧問 大澤 義行さん

 

神田生まれの神田育ち

私は神田で生まれ神田で育ちました。ですから、ちゃきちゃきの江戸っ子と言いたいところではありますが「江戸っ子は三代続いて江戸生まれ」の言葉に従うと、父親がこの地で会社を興してから、実はまだ二代目です。しかし、先日も江戸三大祭に数えられる神田祭を無事に終えたところでして、生粋のお祭り好きであることは確かなようです。私は昭和45年に36歳で民生委員・児童委員(以下、民生委員)を拝命しました。以来37年間、務め上げ平成19年の一斉改選で退任しました。

 

現在でも30歳代の民生委員は都内に十数人しかいないと聞いていますが、当時としてもかなり珍しかったと思います。なにより周りの先輩は、皆さん70歳以上の方ばかり。私などは息子というよりも孫世代だったようです。

 

地域活動の原点

どうして、そんなに早く民生委員の話が来たかといいますと、これは私の地域活動の原点にもなるのですが青年会議所(以下、JC)の活動なのです。私は大学卒業後、父親が興した会社とは別のところに就職しました。そこで修行してから今の会社に入り、昭和42年に代表に就きました。その頃から始めたJCでの活動で「福祉委員会」に携わったのがスタートです。JCでは、例えばわんぱく相撲大会で各地の小学校を回って歩いたり、障がいの有無に関わらず誰もが楽しく参加できるユニークダンスパーティーなどを企画、実施しました。

 

障がいを持つ方とのかかわりで思い出すのは、夏の花火大会です。今のように福祉車両はもとよりバリアフリーの考え方など浸透しておらず、もちろんエレベーターも整備されていない時代ですから、仲間と一緒に汗だくになりながら車椅子をかついで、駅の階段を一歩ずつ登ったことを記憶しています。それでも、そうして皆で一緒に見た、大輪の花が夜空を彩る光景は忘れられません。

 

民生委員の委嘱

こうした活動が目に留まってしまったのか、ある日、当時の区長さんが私のところに民生委員の打診に来られました。JCで活動していたとはいえ民生委員の「み」の字も知らない若輩者ゆえにお断りもしましたが、最後はやむなく承諾したというのが正直なところです。ここ神田は、今ではオフィスや学校などのビルばかりですが、当時は木造長屋も建ち並ぶような中を細かな路地が入り組んだ、典型的な住宅街でした。その中にいくつか商店を営むお宅があり、民生委員の先輩方の中には、こうした魚屋さん、パン屋さんや本屋さんなどのご主人やおかみさんもいらっしゃいました。現在よりも担当世帯数は多かったはずですが、皆さん熱心に地域を回っていました。高齢者や障がい者、生活に困窮する方も少なくなく、今でいう見守りや調査活動などを通して、特に女性の委員さんはきめ細かな心配りで関係づくりをされていました。

 

地域に根ざし地域に生きる

地域と向き合う、こうした先輩方の地道ながら熱心な活動は、とても心に響きました。「住民の一人として」「住民の立場に立って」というのは、まさに民生委員活動の基本であり、私は幸運にも素晴らしい先輩方からこれを学ぶことができました。民生委員を始めてからは、警視庁関係の少年補導員や交通安全協会、消防団なども引き受けました。

 

今、考えますと、どれも民生委員に関係するものばかりですが、何か少しでも地域の役に立てるならと思って続けた次第です。おかげでJC時代を含めると、人のつながりも大変豊かになりました。

 

民生委員の役目で全国を回り各地の民生委員と接しましたが、ひょんなところからJC等の共通の経験が分かることもあり、お互い大いに感嘆したものです。

 

いろいろなご縁で、今も福祉関係やまちづくりなどに関わっていますが、恩返しのつもりで、これからも地域とともに生きていきたいと考えています。

 

プロフィール

  • 大澤 義行さん
    昭和9年3月生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、昭和42年㈱千代田建設代表取締役就任。昭和45年民生委員・児童委員委嘱。昭和61年千代田区民児協会長、平成7年都民連会長、平成8年東社協副会長。平成14年全民児連会長に就任。任期中の平成19年に日本武道館にて開催された「民生委員制度創設90周年記念全国大会」を指揮。大会前には吹上御所にて天皇皇后両陛下に福祉や民生委員についてご進講する。平成19年旭日中綬章受章。現在も都民連・全民児連顧問のほか社会福祉法人理事等を担う。
取材先
名称
東京都民生児童委員連合会 顧問 大澤 義行さん
概要
東京都民生児童委員連合会
https://www.tominren.com/
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