(社福)西東京市社会福祉協議会 会長 村田 利夫さん
社協会長の32年間を振り返って
掲載日:2017年11月29日
2016年10月号 福祉職が語る

(社福)西東京市社会福祉協議会 会長 村田 利夫さん

 

田無市社協との出会い

昭和59年に当時、民生・児童委員で田無市社協の副会長を務めていた中嶋武平さんが訪ねてきて、「村田さん、田無市社協の会長に就任してほしい」と言われたのが、田無市社協そして現在の西東京市社協との出会いの第一歩でした。私は田無で生まれ育ち、自動車運転教習所を経営して警察関係や消防関係の会議などには参加していましたが、社会福祉には関わりがありませんでした。しかし、その後32年間社協の会長を務めてこられたのも地域の付き合いや、地元の関係者に支えられてきたからだと思います。

 

社協の会費増額のお願いをしたときに、何か会員にお返しすることができないか考え、付き合いのあった故三波春夫さんに会員等を対象に公演をしてもらいました。それがきっかけで市民を対象に社協のPRも兼ねて毎年1回芸能人をゲストに迎えて実施するチャリティゴルフ大会につながり、今年で17回を迎えています。

 

私が社協や仕事を通じて大事にしてきたのは、「すべて世のために行っている」ことだと思って臨むことです。誰でも苦労していますが、自分だけが苦労しているとは思わず、支えてくれる人がいることに感謝の気持ちを持って、明日に向かって頑張ることだと思います。私個人としては一つひとつの事柄にクヨクヨしないことが一番大事かなと思っています。

 

天皇陛下のお言葉

私は大正123月生まれの93歳で、関東大震災の折に母の背中に負われて逃げたことは、後から聞きました。また、兵役では近衛師団で皇居の警護に当たっていました。天皇陛下(当時皇太子殿下)の警護で奥日光にも行きました。そうしたご縁で、数年前には皇居に当時の近衛師団の同僚とお招きをいただき、天皇・皇后両陛下とお話をさせていただく機会も得ることができました。その折に、社協の会長を務めていることをお話しすると、天皇陛下から「ご苦労様、頑張って」とお声をかけていただき、大変うれしい思い出になりました。

 

社協の合併から今後の活動

平成13121日に田無市と保谷市が合併することになり、田無市・保谷市両社協も合併に向かって協議を始めました。組織体制、事業内容、職員体制などさまざまな点で違う団体が一緒になるということで、混乱することもあるかと思いましたが、市役所からも支援をいただき、両社協の役員、職員、関係団体・機関の方々の協力を得て、平成1342日にスムーズに西東京市社協として発足させることができました。

 

田無市社協ではボランティア活動の推進をすすめ、西東京市社協になってからは、地域に住む人が「安心して暮らせるまち」をつくる住民参加型の活動を重点事業として推進してきました。平成27年度から平成31年度までの事業として「西東京市社協改革のためのアクションプラン」を実施していきます。プランでは、西東京市社協は地域福祉を推進する中核的な団体として、誰もが安心して暮らすことができる福祉のまちづくりをめざしています。子育て世帯、生活困窮者への支援など、市民の抱える問題解決に今まで以上に、中核的な役割を果たしていきます。

 

今、思うこと

私は社協会長として、いろいろな場所でお話をさせていただいています。以前は高齢者、障害者関係などの会議が多かったのですが、近頃は子育て教室の母親の会議など、以前より幅広い層に広がっています。私は、閉じこもっていてはダメ。外に出て地域につながることが大事であることをお話していますし、それを支援することが社協の仕事だと思っています。

 

社会福祉は、皆が協力し相手の立場になって考え、話し合うことを積み重ねていくことが大事で、そのためには、自分を顧みて物事を考えることが必要だと思います。

 

 

プロフィール

  • 村田 利夫さん
    大正12年3月に生まれ、戦時中は、現天皇陛下の皇太子時代、疎開先の奥日光に同行。終戦時には皇居にて近衛兵として従事。
    田無自動車教習所を経営。昭和59年8月に田無市社会福祉協議会会長に就任。平成13年4月、田無市社会福祉協議会と保谷市社会福祉協議会が合併し、西東京市社会福祉協議会が設立されたことに伴い、会長に就任し、現在に至る。長年、警察、消防関係の懇話会会長を務め、交通安全協会、ロータリークラブなどの分野で、地域活動に取組み貢献。
取材先
名称
(社福)西東京市社会福祉協議会 会長 村田 利夫さん
概要
(社福)西東京市社会福祉協議会
http://www.n-csw.or.jp/
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