宮城県仙台市/平成25年3月現在
春圃苑では、震災直後から入居者、地域の要援護者等の生活の場の確保を最優先に考え、対応を行って来ました。そうした中でも職員確保の課題や応援職員を受け入れる中でのコーディネートの課題などが新たに浮き彫りになってきました。特に職員の問題では、今でも人材不足を来たし、また、職員の心のケアの問題で引き続き支援が必要な状況になっています。
災害発生当日の状況
震災当日は、総勢95 人の利用者がいました(施設入居者48 人、ショートステイ12 人、デイサービスセンター35 人)。職員は法人全体で81 人いましたが、この日は苑長も含め研修などで12 人の職員が出張しており、苑内にいたのは35 人でした。春圃苑では、震度5以上の地震が発生した場合には、職員は昼夜を問わず苑に駆けつけるというルールがありました。当日、苑長が仙台出張から戻ったのは午後9時、管理栄養士は2日後の深夜となりました。
地震発生時、特別養護老人ホーム、デイサービスセンターでは、その場で安全を確保し、揺れが治まってから入居者をロビーに誘導しました。発災と同時に停電となり、災害時優先電話がありましたが不通となり、災害情報はラジオしかありませんでした。その頃、春圃苑周辺の見回りをしていた職員から海面が盛り上がっているという報告があり、入居者全員を苑の正面玄関前に避難させ、その後、再び入居全員を駐車場に避難させ、午後3時30 分頃、95 人の利用者全員の避難を完了しました。
入居者の避難手段には、車椅子、ベッド、ワゴン車を使用しました。駐車場では、車内とベッドで大津波警報の解除を待ちました。その間、ぼた雪が降るなど寒さが厳しかったので、ベッドの人には頭から毛布をかぶせて、枕元には傘を立て、防寒対策に努めました。
職員は、利用者を見守るチームと、建物・設備などの安全確保と損壊状態を確認するチームとに自然に分かれて行動しました。その後、午後5時半頃、大津波警報は解除されませんでしたが、屋外では寒さをしのげなかったので全員で施設内に戻りました。
食事については、先述の駐車場への避難直後から炊き出しの準備に入り、午後7時には温かい食事を提供することができました。備蓄のストーブ8台が調理や苑内の暖をとるのに役立ちました。
春圃苑までの通路には倒れた電柱に電線が絡まり、アスファルトが剥がれて幾重にも重なり、それに瓦礫が積み重なって緊急車両の通行ができなかったので、職員が小型重機を使うなどで、通路を確保しました。
居室は停電で暖房が使えず、廊下の四隅はカーテンで仕切り、サッシュの側には段ボールを貼り、また、高い天井にはハウス用のビニールを使って天井を塞いで、寒気の進入を防ぎ、暖かい空気の流出を抑えました。それでも低体温症になる恐れがあったので、職員から石油ストーブ8台を借り、備蓄分8台の計16 台で苑内の暖の確保に努めました。
デイサービスセンター利用者35 人のうち17 人は当日の夜から宿泊することになりました。それ以外の利用者については、自宅が被災していないか、介護者がいるかなど利用者の帰宅が可能かどうかを確認し、家族の了解を得た利用者については職員が自宅に送りました。なお、宿泊する利用者については、職員が自宅を訪問して安否を伝え、宿泊することの了承を得て、宿泊しました。
午後6時頃から、携帯電話のメールを使っての職員の安否確認を始めました。午後9時頃には出張していた職員が戻り始め、翌日の午前3時頃まで職員の安否確認を行いました。しかし、行方不明となっていた地域福祉課長だけが、生存していてほしいという願いも空しく3月18日に遺体で発見されました。多くの職員が被災し、最終的には1人死亡、23人が家屋の損壊(全壊・大規模半壊・半壊)、家族の死亡4人、行方不明2人となりました。春圃苑苑長の阿部勝造さんは「行方不明者の職員を探そうとしたが、余震が続いているので、消防から中止するよう言われ、断念した」と悔やみます。
写真左:菅原さん、写真右:苑長の阿部さん
震災翌日以降の状況
電気は3月31 日に、上水道は6月9日に復旧しました。気仙沼市本吉総合支所等から給水支援を受けていましたが、それだけでは足りず、苑独自に軽トラック2台で一日中、掃除・洗濯・トイレ用など飲料水以外の生活用水の確保に努めました。
避難者数は、1日最大64 人となった日もありました。苑の定員数がショートステイも含め60人なので、利用者に避難者数を加えると124人となり、通常時の2倍以上の方々が苑内にいたということになります。
市役所では、福祉避難所として指定すると言い、7月になって、発災時に遡及して適用しました。
春圃苑事務長の菅原賀弥子さんは「避難して来た方はすべて受け入れる方針で臨んだ。ただ、職員は定員超過の状態がいつまで続くのか不安な気持ちでいたように窺われた。そのため、デイサービスセンターを3月12 日から休止とし、デイサービスとヘルパーステーションの職員全員を苑に配置することで、何とか対応できた」と当時の大変さを振り返りました。
震災後の職員の状況
ガソリンがないため、職員は自家用車に乗り合わせて出勤したり、帰宅せず苑に宿泊したりしました。シフトは基本的にはそれぞれの部署で決めていましたが、余震が多いこともあり、3月中は12時間交代とし、看護師もオンコール体制から夜勤体制に変更しました。
阿部さんは「3月24 日~ 29 日の間は、日本看護協会から夜勤専属の看護師4人を派遣していただき、また、苑から2㎞のところにある市立本吉病院に支援に入ったTMAT・DMAT の医療チームが24時間診療体制をとってくださったり、入居者の状態が悪くなった際には、苑に訪問診療してくださり、とてもありがたかった」と話します。
職員の勤務体制は、4月からは3交替制とし、5月からは通常の勤務となりました。このような勤務体制は職員自身が決めました。しかし、休み時間も自宅に戻れず苑にいる職員もおり、休養を取れない職員もいたので、苑内が落ち着いてからは、職員の健康管理を考え、苑から離れた場所で休養をとるよう申合わせ、実行しました。
女性職員には、保育所・幼稚園・小学校が休業している間は子ども同伴で出勤し、専任の職員を配置したりボランティアに依頼し、子どもたちのお世話をしました。子どもたちの受入れは、4月半ばの幼稚園等が再開されるまで続きましたが、利用者にとっては子どもたちのいることが精神的によい影響となったようですし、子どもを持つ女性職員にとっては、とても喜ばれたようです。
入所利用者以外への対応
震災直後から3日間のうちにデイサービスセンター、ショートステイ、居宅介護支援事業所、在宅介護支援センター、訪問介護に登録している利用者全員について自動車や徒歩で安否確認を行い、苑に届いた支援物資を在宅の利用者にも届けました。
デイサービスセンターは、4月22 日にサービス(無料)として再開しました。本格的な再開は5月8日からですが、正規の入浴のサービス提供は、上水道が復旧するまで遅れることとなりました。菅原さんは「地域のニーズを考えると、もっと早く再開させたかったが、特養の体制もあり困難だった」と話します。
春圃苑では、地域の要援護者について、避難者は全員受け入れる方針をとりました。インスリンが必要な方、行政からの紹介で、避難所での生活が困難な認知症状のある方を受け入れました。また、入浴ができるようになったときは、在宅で介護を受けられている方々にも入浴支援を行いました。
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