(社福)大熊町社会福祉協議会 大熊町民生児童委員協議会
避難生活に心強い民生児童委員
掲載日:2017年11月30日
ブックレット番号:1  事例番号:2
福島県大熊町/ 平成24年3月現在

 

福島県大熊町は福島第一原発の所在地で、震災の翌月の4月5日には町役場も会津若松市に移転し、多くの町民が同市内で避難生活を続けています。人口1万1千500人のうち、福島県内に避難している方が8千人、県外避難者のうち500人が東京都内に避難しています。

 

大熊町の民生・児童委員は27人。そのうち、16人が会津若松市内に避難しています。会津若松市に次いで多くの町民が避難生活を送っているいわき市にも4人の民生・児童委員がいます。

 

日頃からの活動が生きた震災当日

大熊町民生児童委員協議会(以下、民協)会長の秋本正夫さんは、震災当日の3月11日をふり返り、「担当地区の世帯を急いで車で回り、40分ほどで安否は確認できたが、当日は携帯電話もつながらず、他の民生委員と連絡がつかなかった。各委員はそれぞれの判断で動いた」と話します。

 

もともと民協では震災前から「65歳以上」「ひとり暮らし」「ねたきり」「昼間が一人」「障害者」の要援護者台帳を作り、防災マップに色分けして各委員と社協でそれぞれ持っていました。本人の同意を得て作成した台帳は、毎年3月には更新していました。月1回は「変わりはないか」と訪問し、さらに、災害に備えた研修にも取組んでいました。こうした日頃からの活動があったため、各委員はどう動いたらよいかが頭に入っていました。

 

 翌日の朝以降、大熊町民は西へ西へ転々と避難を重ねます。研修もしたことのない厳しい避難生活が始まり、民生委員は移動の際と行き先の避難所で要援護者に寄り添いました。その寄り添いとは、「一緒にいて話し相手になるだけですよ」と、秋本さんは話します。

 

旅館・ホテルでの避難生活の中で

会津若松市に落ち着いた4月以降、旅館・ホテルが二次避難所となりました。当初、誰がどこにいるかわからない状況でした。秋本さんが避難生活を送った旅館には63世帯250人。その3分の1は子どもです。

 

避難生活が長期化する中で「ささいなことが大きなトラブルになりかねない」と、秋本さんは考えました。そこで、フロアごとに班長を選び、限られた洗濯機を使用するローテーションを決めたり、連休明けから会津若松市内で再開した学校への通学では教育委員会と調整したり、1~2時間かかる高校生の通学のために、保護者会を立ち上げた上、バスの借上げ、お弁当の手配を助けました。解決してあげるのではなく、自分たちで課題を解決する場づくりをしていきました。

 

 5月からは旅館内の一室でサロンを始めました。避難生活が長引き、とじこもりがちになる中、健康体操などを行いました。健康体操の後は、自然と輪になって話が始まります。秋本さんは「町からこんな通知が来ているねとか、その世間話が意外に大事」と話します。バラバラになりそうな避難生活につながりを地道に取り戻していきました。

 

仮設住宅での見守り活動

5月には民協の役員会、6月から定例会を再開しました。6月には民協事務局を担う大熊町社協が生活支援ボランティアセンター「つながっぺ!おおくま」を立ち上げました。同センターは避難している町民同士がつながり、支え合う仕組みづくりに取組むとともに、生活支援情報を発信します。避難した町民自身がボランティアになり、町が設置したサロン「おおくまサロン ゆっくりすっぺ」を毎日、手伝い、民生委員もそこに顔を出します。そこでも世間話から情報を拾います。

 

 仮設住宅の入居が始まり、9月からは、民生委員2~3人を1チームとして市内12か所の仮設住宅に割り当てて訪問を始めました。要援護者の様子を仮設住宅の自治会長に聞いたり、個別に訪問します。要援護者宅を訪問すると、「まあ、上がって」と1時間くらい。民生委員は、昔から知っているという安心感があります。各世帯に「相談カード」を配り、そこに困ったことがあれば書いてもらい、関係機関が訪問した際につながるようにしています。民協の定例会には、地域包括支援センター、生活支援相談員も毎回、参加しています。

 

 12月には民間借り上げ住宅の名簿も手に入り、民生委員による訪問活動を始めました。仮設住宅には、新たに建設するもの以外に、民間のアパート等を借り上げて仮設住宅と同様の扱いをするものがあります。この民間借り上げ住宅には、新たに建設された仮設住宅の入居者数以上の方が避難しており、かつ、市内に点在しています。そのため、孤立化しやすいことが課題です。震災後、借り上げ住宅にいた方が家族環境や住環境の変化で認知症になり、秋本さんが町につなげて、目の届きやすい仮設住宅への住み替えをすすめたケースもありました。

 

つながりを作る中で、問題を解決につなぐ

大熊町は沿岸に位置していたため雪に不慣れな町民は、雪深い会津若松市で冬を過ごしました。大熊町民協では、定例会で会津若松市民協から大雪への対処を研修してもらったりして、要援護者からの相談に対応できるようにしています。雪のため、出かけることが少なくなりがちになるので、1月には社協が、借り上げ住宅の方を対象につながっぺサロン「ひまわり」in一箕を始めました。月に1回、開催していきます。訪問活動に限らず、社協による場づくりにも民生委員が参加し、つながりを作っていきます。

 

また、大熊町は、もともと震災前に県内で唯一、人口が増加したほど、子育て世帯が多い町です。高齢者だけでなく、避難している子育て世帯の困りごとが民生・児童委員に入ってきます。主任児童委員が学校に顔を出すなど、避難先でいろいろな場に顔を出して情報を拾い集めています。長期化する避難生活の中、困りごとを解決につなぐ役割を民生・児童委員が担っています。

 

長引く避難生活での困りごとをいち早く関係機関につなげて解決してしまう大熊町民協会長の秋本さん

 

取材先
名称
(社福)大熊町社会福祉協議会 大熊町民生児童委員協議会
概要
(社福)大熊町社会福祉協議会
http://okuma-shakyo.or.jp/
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