(社福)仙台市社会事業協会
領域にとらわれず、必要なところへ必要な支援をつなぐ
掲載日:2017年11月23日
ブックレット番号:2 事例番号:20
宮城県仙台市/平成25年3月現在

 

震災が発生してから、被災地の施設では介護職員の手が足りない状況が続いています。そうした中、全国から応援職員の派遣が展開されていきました。宮城県におけるその応援職員のコーディネートを行ったのが、仙台市社会事業協会の佐々木薫さんです。宮城県老施協や各道府県老施協、日本認知症グループホーム協会、全国社会福祉施設経営者協議会、全国認知症介護指導者ネットワークなど様々な機関と連携しながら、受入れの調整を行ってきました。

 

介護職員のコーディネート

仙台市社会事業協会が運営する仙台楽生園では、震災当日、電気や水道などのライフラインがストップしていましたが、地域住民が100名ほど避難してきました。備蓄は、利用者の分しか想定していませんでしたが、地域住民に加えて職員やその子どもたちにも施設の備蓄品を提供しました。当時は、職員が泊まり込みや家族連れで入居者の支援に当たる状況でした。そんななか、徐々に安全な場所を求めて、沿岸部の要援護者が楽生園に避難してくるようになりました。地域住民は1週間で185人を受け入れ、その後は福祉避難所として3月16 日から5月8日まで約52 日間、延べ139人の方を受け入れ、さらには定員外として、南三陸町から4月4日から12月6日まで約271日間、延べ602人の方を受け入れたのです。

このような状況により、職員の不足が深刻となりました。最初の1カ月は法人内の職員だけで支援を継続していましたが、外部からの応援が必要と判断し、日本福祉大学の提携法人と北海道老施協と名古屋市老施協の三者から応援職員を受け入れることにしました。

一方、沿岸地域の被害の甚大さが明らかになる中で、仙台市社会事業協会理事、仙台楽生園施設長の佐々木薫さんには一つの疑問が浮かんできました。「楽生園でこれだけ困っているなら、沿岸部は当然もっと困っているのではないか」。佐々木さんのもとには、沿岸部の施設や被災者受け入れ施設より介護職員の応援要請がきていました。楽生園に応援に来ていた先述の団体に対し、「沿岸部の支援をしませんか」と佐々木さんのほうから声をかけ、被災施設と派遣職員のコーディネートが始まりました。当初は、楽生園の職員からも反発がありました。「楽生園も定員以上の受入れを行っている。なぜさらに支援まで行うのか」。そうした職員には、懇切丁寧に説明し、それでも理解してもらえない場合には、支援物資を持って被災地に連れて行きました。「実際に自分の目で被災地を見ると‘はっ’と気づいて、やはり変わって帰ってくる。今は逆に行きたいという職員が何人か出てくるようになった」と佐々木さんは話します。

 

仙台市社会事業協会 仙台楽生園施設長 佐々木薫さん

 

機能しなかった厚労省の派遣システム

実は、介護職員の派遣に関しては、3月に厚労省が種別協団体の協力を前提にしたシステムを作っていました。しかし、ほとんど機能しませんでした。それはその仕組みが、受入れ施設が派遣職員の給与を支払う出向の形態となっており、当時はそうした手続きを行う余裕のある施設がほとんどなかったためです。宮城県や県社協、老施協も沿岸部の被災があまりにも大きく、施設の情報収集を行うことすら困難を極め動きが取れない状況が続きました。全国からは約8千人の方が被災地支援の希望を出しましたが、それをコーディネートする人材がいなかったのです。

 

必要なところに必要な支援を

コーディネートは佐々木さんが中心となり、宮城県の老施協や仙台市の老施協とも連絡を取り合い、被災した宮城県内や仙台市内の施設にボランティアとして応援職員の派遣を行いました。また、仙台市社会事業協会は、グループホームも運営していることから、グループホーム協会と協働した支援も展開していきました。そうした中で、様々な関係団体との連携ができ、物資や職員を必要としているところに届けることができるようになりました。

佐々木さんは「全国各地の老施協やグループホーム協会等とのつながりがあり、応援を頂きやすかった。また、支援に関しては、グループホーム協会から来たものであっても、老施協の高齢者施設、あるいは障害者施設とか一般避難所、また、仮設住宅にも配布した。とにかくそのときに困っているところに支援を行った」と話します。

 

落ち着いてから、再度、必要になった応援職員の派遣

応援職員の派遣については、当初は10 日間~2週間のような長期での派遣を行っていました。認知症の方への支援を考えると、どうしてもそのくらいのスパンが必要との判断からです。約1年、そうした形で派遣を続けると、被災直後からの忙しさも徐々に落ち着きを見せ始め、応援職員の派遣は終了するかに見えました。ところが、被災地から「介護職員が全然集まらない。もう一度、職員の派遣をしてくれ」という声が上がってきました。被災地では、復興関係の事業が出始め、そちらの方に転職する方が多くなったためです。

このような状況から、一度、派遣を終了していた施設へも再度、職員を派遣することとなりました。

 

行政は民間ベースでの支援のバックアップを

職員派遣をするなかでは課題も幾つか出てきました。一つは、旅費等です。民間同士での応援の場合は、ボランティアとなるので一切旅費等は出ません。しかし、都道府県を通して派遣された職員の場合は国の制度により旅費等が出ます。佐々木さんは「行政を通してから動こうとすると、時間がかかってしまうことが多い。こうした民間ベースでの動きに対しても、しっかりと金銭的な面での保障があれば、もっと職員を派遣できた施設もあったかもしれない」と話します。

 

被災地ではグループホームの人材育成が課題支援したグループホームでは、予想外の問題が出てきました。それは、グループホームで働く人の人材育成です。被災したグループホームでは、避難した公共施設でケアを再開したのですが、職員の離職が深刻な状況でした。仮設グループホームで再び事業を始めるに当たり、当初は、介護ボランティアだけに頼らず「現地の人を採用してください」と話をしておりました。地元の方は、ようやくヘルパー2級を取った方などが多く、全国から派遣されてくる介護福祉士の資格を持つベテラン職員に頼りきりになってしまいました。

そこで、2011 年12 月から翌年の1月にかけて、人材育成を目的としたチームを派遣せざるを得なくなりました。佐々木さんは「ただ単に支援するだけでなく、『自立』という視点を常に持っていないとスムーズにいかない、というのが今回の教訓」と振り返ります。

 

被災地のニーズと全国からの支援をつなぐ人材が必要

 

佐々木さんは「震災時にはいろいろなところにアンテナが張れる人が必要だ」と指摘し

ます。大量に来ている支援をどのように被災者につないでいくのか、ニーズに気がつかなければ、せっかくの支援は台無しになってしまいます。また、どこに支援をお願いしたらよいのか、情報を把握しておかなければなりません。

これをできるだけシステム化しようと佐々木さんは、派遣側や受入側が困らないように必要事項を記載した派遣受入計画書や応援職員用の登録フォーマットを作成しました。複雑にならないよう1枚で見られるもので、応援職員の経験分野(例えば、身体ケアや認知症介護の経験など)を盛り込み、1法人に対して数名が登録できるようにしました。ただし、こうしたコーディネートは一人の人間、一つの法人では限界があります。各種別協団体や専門職団体、企業やNPO とのつながりが多い社会福祉協議会がコーディネートしてくれると一番いいのではないかと言っています。とくに、災害時は様々な団体が支援に入るが、情報がそれぞれの団体から広がらない。

そこをつなぐことでより多様な支援が展開できるはずだ」と強調します。また、そうした被災地のニーズと全国からの支援をつないでいく人材が今後は必要になるとして「今後はそういったコーディネーターの養成も検討していきたい」と話します。

 

 

取材先
名称
(社福)仙台市社会事業協会
概要
(社福)仙台市社会事業協会
http://www.fukushi-sendai.or.jp/
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