NPO法人さぽーとセンターぴあ  デイさぽーと ぴーなっつ
多くの市民が避難した後も街に残った障害者を支援
掲載日:2017年12月15日
ブックレット番号:2 事例番号:21
福島県南相馬市/平成25年3月現在

 

福島県南相馬市では、東日本大震災による地震・津波の被害を受けるとともに、福島第一原発事故により市内が「避難指示区域」「屋内退避指示区域」「指示のない区域」の3つに分断されました。その時、南相馬市の障害者は多くが避難せず市内にとどまりました。

逃げる手段がなかったり、避難所にいづらく自宅で過ごしていた方がほとんどです。一方、市内では、相談支援事業所、居宅介護事業所等も休止し、残った障害福祉サービス事業所も人手不足に陥りました。そのため、支援を必要とする障害者がいるのに、サービスの提供力が足りない事態となりました。

障害者の生活介護事業所「デイさぽーと ぴーなっつ」を運営するNPO法人「さぽーとセンターぴあ」でも法人全体で震災前の半分にまで職員が激減しましたが、震災から1か月後に事業を再開し、全国の障害者施設職員の支援を得ながら市内に残った障害者への支援を続けました。震災前からの利用者へのサービス提供を続けるだけでなく、街に残った障害者のため、物資の提供にはじまり、訪問調査を通じた相談・情報の支援を展開しました。

 

震災当日、利用者全員を無事に避難させる

「デイさぽーと ぴーなっつ」(以下、「ぴーなっつ」)は、重度の障害者も多く利用している通所の生活介護事業所です。震災当日、地震の発生した午後2時46 分は、車椅子の方、経管栄養などの医療行為が必要な方、自閉症の方など18人が日中活動を終えて片付けや掃除をしている時間帯でした。普段はいつも午後3時30 分が帰る時間でした。

ちょうどその日、施設長の郡信子さんは、福島県社会福祉協議会の会議で遠く福島市に出張していました。施設長は不在の状況でしたが、施設には9人の職員と看護師がいました。

「ぴーなっつ」では、毎月、地震か火事を想定した簡単な避難訓練を行っていたので、利用者は皆、その日もちゃんとテーブルにもぐって、じっとしていました。激しい揺れのため車椅子の利用者には職員が覆いかぶさってなんとか守りましたが、余震が立て続けに起こり、40 ~ 50 分間、とても動けるような状態ではありませんでした。

そこへ施設の前を通る車が「津波が来くっと」と教えてくれ、職員がはっとして「みんな帰るよ」と促しました。ところが、自閉症の方にはいつも帰る前にこなしているこだわりの順番があります。おそうじ道具を片付けないと帰れない、戸を閉めるのが好きなので開けた扉をまた閉めてしまうといった状況でしたが、なんとか外にみんなを連れ出しました。

いつもは職員1人体制で送迎していますが、事務所に駆けつけた理事長が「2人体制で送迎するように」と指示し、4時過ぎに車4台でそれぞれ家族のもとへ出発しました。

幸いにも進路に津波が押し寄せることなく、無事に送り届けることができましたが、新地町と相馬市から通っている利用者2人がそれぞれ家族にすぐには会うことができませんでした。

 

新地町から通っている利用者は、自宅が海の近くにあるので、「学校や役所に避難しているかも…」と家族を探し、午後7時、2か所目で家族に会うことができました。相馬市から通っている利用者は、家が小高いところにありましたがそこへ行く途中までの道路が海になっていたので、いったん施設に連れ戻り、午後8時にようやくお母さんの携帯電話に連絡がとれて、午後9時にお父さんが迎えにきてくれました。

一方、郡さんは、出張先から懸命に車を走らせて午後5時に南相馬市に戻ってきました。理事長と郡さんと男性スタッフ3人の5人が事務所に残って、携帯電話で当日利用していなかった人たちの安否確認をとろうとしましたが、電話がつながりにくい人もいたり、その日のうちに確認がとれたのは半分くらいの方でした。

「ぴーなっつ」は海岸から2.5㎞の距離にあり、津波が届きませんでした。しかし、「ぴーなっつ」よりわずか500mほど海岸に近かった老人保健施設は津波に流されています。郡さんも翌日になってからようやく被害の大きさを実感するほど、想像を絶する津波でした。

 

 

 

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