NPO法人さぽーとセンターぴあ  デイさぽーと ぴーなっつ
多くの市民が避難した後も街に残った障害者を支援
掲載日:2017年12月15日
ブックレット番号:2 事例番号:21
福島県南相馬市/平成25年3月現在

市民が避難した街に障害者が数多く残る

翌日以降、職員も親戚や実家に連絡がとれなかったり、それぞれ家の方が大変な状況になりました。ちょうど法人をとって5年目ということもあり、お子さんのいる若い職員が多くいました。当初は1週間ぐらいで再開することを考えましたが、原発事故によりお子さんのいる職員が避難を余儀なくされたため、職員体制がとれなくなり断念しました。それでも、5人程のスタッフが残ってくれました。

こうした中、南相馬市は3月16 日の夜に全市民に市外への避難を呼びかけました。翌17 日には市内の病院が全て閉じられ、ヘルパーも避難しました。ところが、車を運転することができなかったり、避難所に行くことを遠慮した障害者やその家族が数多く自宅に残りました。

「ぴーなっつ」を運営するNPO法人さぽーとセンターぴあでは法人全体で60 人の利用者がいました。60 人のうち10 人程度が避難せずに市内に残っていましたが、他の利用者たちも親戚宅を転々としたりしながら、ほとんどが10 ~ 14 日程度の間に市内へ戻ってきていました。電話で安否確認したときにはみな「大丈夫だ」と言っていましたが、物資を届けに行って利用者の顔をみると、心身の状況が著しく低下しているのは明らかで、親御さんも必死に頑張っている状況でした。

 

ちょうどその頃、3月19 日に郡山市を拠点に県内の障害者団体が結束して、JDF被災地障がい者支援センターふくしま(以下、「JDF」)が活動を開始しました。県内の結束にとどまらず全国の障害者施設・団体からの支援を展開する拠点となり、JDFを通じて、全国からの支援物資が南相馬市の「ぴーなっつ」に集まってくるようになりました。それを利用者や他の事業所に配る活動を始め、足りないものはすぐにJDFが手配して送ってくれました。

そして、物資ともに情報もやりとりされるようになったことで、「ぴーなっつ」は南相馬における障害者支援の拠点となっていきました。郡さんは「顔の見える一本化された拠点があることで動きがスムーズになる。マンパワーも集めやすい。困ったとき、JDFのセンターに相談できたことも大きかった。拠点になるところにいろんな役割の人がいて、相談する機能と実働部隊、そして、人が足りないときにどうするかというネットワークがやはり重要だ」と指摘します。

JDFの取組みが報道されて南相馬市内に残っている障害者が郡山市のJDFに電話して、そこから「ぴーなっつ」に「こういう人がいるから行ってみて」「電話をかけてあげて」とつながってくる流れも出てきました。

「ぴーなっつ」の玄関には、今も当時の貼り紙が残っています(下写真)。市内でわずかに手に入る食糧も高騰し、人づてに「こちらに来れば食べ物がもらえると聞きました…」という家族も訪ねてきました。

避難せず自宅に残った障害者は心身ともに疲弊していました。食べる物がない、病院も閉鎖しているため必要な薬も手に入らず、国からは「屋内退避」という指示が出たため、外出もままならない状況です。不安も広がりました。ヘルパーが来なくなり、日中活動もなく、市内に2つあった相談支援事業所も閉鎖し、家族の負担が大きくなりました。さらに、それまで障害福祉サービスにつながっていなかった人も極限の生活状況に家族がギブアップし、支援ニーズは増大していきました。郡さんは、「増大する困りごとのつなぎ先として、南相馬市社協と保健センターはすばやい対応や柔軟な判断で頑張ってくれた」とふり返ります。

 

また、郡さんは仮設住宅の課題を指摘します。「最初に建った仮設住宅は優先的に入る対象が高齢者、障害者、子どものいる人だった。しかしながら、敷地内は砂利道で玄関にも段差があり、結局、なんとか入居しても出ることができなくなってしまう。また、自閉症や発達障害の方が仮設住宅に入居しようとしたが、やはり環境が変わると急に声を出したり、ちょっとした音でパニックになり、それを抑えればストレスになってしまう。仮設住宅一つひとつの環境調整も自由にできなければ、結局、我慢して入居したり、あきらめたりということになる。お店や病院が近くにないのも大きい」と話します。

 

 

「ぴーなっつ」の玄関に今もある当時の貼り紙

 

 

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