(社福)大島社会福祉協議会、(社福)椿の里「大島老人ホーム」
大島土石流災害から2年―今だから大切な福祉
掲載日:2018年1月22日
2015年11月 社会福祉NOW

 

あらまし

  • 平成25年10月16日未明、台風26号による豪雨により東京都大島町では大規模な土石流災害が発生しました。あの日から2年。行方不明者3名の捜索は現在も続けられています。応急仮設住宅で暮らす方は、復興住宅の完成に伴い生活環境が変わる大きな節目の時期を迎えようとしています。福祉施設では、大規模災害に備えるための取組みが継続して行われています。本号では、土石流災害から2年を迎えた大島の状況をお伝えします。

 

現在、大島町では、28年2月の完成にむけて島内2か所で復興住宅の建設がすすめられています。応急仮設住宅で生活する23世帯のうち、21世帯が入居の意向を示しています。町の復興計画では、4つの柱が掲げられ、地域基盤とインフラの復旧・機能強化や復興まちづくりが行われています。

 

岡田地区の復興住宅建設現場

 

先を見通せる大切さ

沢沿いの自宅が土石流の被害に遭った澤田吉雄さんは、町が検討している沢の拡張工事に伴い、自宅が立ち退き対象になる予定です。自宅に流れ込んだ土砂の片づけは終わり、当初は修理して住むことを考えていました。しかし、立ち退き後の代替地がまだ示されていないため、修理も建て直しもすることができない状況です。被害の少なかった離れの2階に住みながら町の検討の行方を見守っています。「沢の拡張も町のことを考えたら仕方がないからな…」と、自分の意思だけでは前に進めない複雑な心境をのぞかせます。

 

大島社会福祉協議会(以下、大島社協)では、26年4月より生活支援相談員を2名配置しています。応急仮設住宅等へ巡回訪問等を行ないながら、町で生活する住民の生活上のニーズを把握し必要なサービスにつないでいます。大島社協が毎月発行する「かわら版」は、応急仮設住宅と併せて、被害が大きかった地区を中心に戸別配布しています。町のお知らせやイベント情報と共に、復興住宅建設の様子を写真で伝える等の工夫がされています。生活支援相談員の草野圭孝さんは、「集合住宅や家賃などを初めて経験する人が多く、町での生活環境も大きく変わっている。先のことが考えられない不安を軽減するためにも、正確な情報を少しでも早く伝え、住民自身が今後の計画を立てたり選択ができるようにしている」と話します。

 

大島社協では、被災者支援に関して、町と定期的に「大島町被災者生活支援連絡会(*)」を開催しています。復興計画に関する町の検討状況や、決定事項を確認できる場です。そして、気になる住民について専門職と情報を共有できる場でもあります。草野さんは「被災者と同様に支援側にも、今後の支援の先を見通せる情報が必要」と指摘します。

 

*大島町被災者生活支援連絡会(毎月1回定例開催)

大島町:福祉けんこう課(子ども家庭支援センター)、土砂災害復興推進室

東京都:大島支庁総務課福祉係(福祉事務所)、島しょ保健所

その他:大島社会福祉協議会(生活支援相談員)、担当地域の民生児童委員

 

 

澤田吉雄さん宅。自宅の片づけは終わったが、沢拡張の検討を見守る

 

いまなお選択や決断を迫られる

29年前の昭和61年(1986年)、大島では三原山が噴火し全島避難を経験しました。約1万人の島民はおよそ1か月間避難生活を送りました。

 

2年前の土石流災害では、死者36名、行方不明者3名、全壊建物137軒という甚大な被害を受けました。しかし、その被害は元町神達地区を中心に局所的に発生したもので、発災直後から島民の中には災害に対して温度差がありました。2年経った現在では、その温度差がより顕著になってきています。澤田さんや応急仮設住宅で生活している方のように、2年が経過するいまなお、様々な場面で選択や決断を迫られている方がいます。その一方で、発災直後から特に日常生活に変化がなかった方や、2年が経過する中で既に以前の日常に戻った方もいます。島内でも災害への関心が薄れるなど、大島では、いま難しい時期を迎えています。

 

新しい大島の力

以前の大島にはボランティアセンターがありませんでした。2年前の土石流災害時には、災害ボランティアセンターが立ち上げられ、都立大島高校の生徒や都内で暮らす大島出身者など、特に若者の関わりが大きな力となり住民を元気づけました。大島社協ボランティアセンター副センター長の鈴木祐介さんは、「これまで大島の若者には、地縁系の青年会のようなつながりしかなかった。災害をきっかけに、20~30代を中心としたボランティアグループが立ち上がったのは新しい動き。社協が開催するふくし祭り等のイベントを共催するなど町を支える力になっている」と話します。

 

また、25年11月に住民の交流の場として避難所で開始された「あいべぇ」は、現在も応急仮設住宅内の集会場で行われています。そして同時期に、町で生活する住民のために元町2丁目のふれあい館で始めた2か所目の「あいべぇ」は、大島社協としては27年3月をもって終了させる予定でしたが、「知っている人から友達になれる」と住民から大切にされる場所になり、運営を住民が引き継ぎ、現在も週一回開催されています。

 

ふれあい館での「あいべぇ」。伊豆大島の方言で「行こう!」と言う意味

 

土石流災害の教訓をふまえた取組み―大島老人ホーム

2年前の土石流災害では、大島老人ホームは都内で初めて福祉避難所を設置して要配慮者を受入れました。これまで大島では、災害時に開設する福祉避難所は大島老人ホームと町の2か所でしたが、現在は新たに町の施設がもう1つ指定されています。避難指示や勧告が発令された場合、要配慮者は町の施設に避難します。そして、専門的な支援が必要な方を大島老人ホームで受入れる流れです。大島老人ホームでは、ショートステイ枠やデイサービスを縮小しての受入れを検討しています。

 

大島老人ホーム施設長の藤田竹盛さんは、「2年前の教訓をふまえ、町と連携を密にして体制づくりをすすめている」と話します。まずは、町と締結している「災害時配慮者の避難支援等の協力に関する協定書」を見直しました。要配慮者の範囲は、要支援・要介護に加え、一人暮らし高齢者及び高齢者のみ世帯を追加しました。また、町の施設が福祉避難所になった場合においても、車両要請があれば送迎の応援を行うことにしています。大島では車椅子対応の車両は少なく、要配慮者の状態を把握している法人職員が対応した方が安心なためです。実際に26年2月に大雨により避難勧告が発令された際にも、事前に町から大島老人ホームに連絡が入り、要配慮者を福祉避難所へ送迎しました。そして、福祉避難所の運営については、町が看護師や介護員、ボランティアの確保を行うよう取り決めています。

 

町で唯一の大島老人ホーム。施設長の藤田竹盛さん

 

命を守るための備え

2年前の土石流災害では、大島老人ホームの機械室の排水溝から水が逆流し床上浸水しました。その時の教訓をふまえ、町の補助により大型の非常用発電設備を設置し、施設予算で自動排水設備を設置しました。藤田さんは「電気が使えなくなると、照明、ポンプ、冷暖房、トイレ、エレベーター等の全てが使えなくなる。利用者の安全、福祉避難所で受入れた要配慮者の命を守ることが施設の使命」と話します。

 

備蓄品の変更も行いました。これまで、3日間の朝・昼・晩の食事は、それぞれ別のものを確保していました。災害時の食糧は ”その場をしのぐためのもの“と見直し、食のレパートリーを減らし、3日分の備蓄を5日間分に増やし、保管場所を2か所とし、米は300キロを確保しています。

 

また、土石流災害を想定した訓練を実施しています。山側から流れてくる土石流から逃れるため、山側の棟の利用者を海側の棟に避難させ、防火扉と土嚢で流入を防ぎ、山側の居室の掃き出しを開放し土石流を流すようにしました。それ以外にも、災害時は自宅へ帰ることが難しくなるため、2~3日分の着替えをロッカーに保管するようにし、泊まり込み訓練や連絡網訓練も実施しています。藤田さんは「災害時に幹部職員が不安になると職員に不安が伝わってしまう。そして、利用者の生活も不安定になる。皆が落ち着いて行動できるよう冷静な対応と心構えが必要」と指摘しました。

 

災害時には燃料が続く限り自動で施設全体に電気を供給する非常用発電設備

 

要配慮者の情報を町と共有

大島町地域包括支援センターでは、要介護・要支援認定者、独居高齢者、高齢世帯等の避難時に必要な援助(歩行状態、移動手段、排泄状況、認知症の状態)について、ケアマネジャーや介護事業者、社協、民生児童委員等と連携しながら、情報収集しています。集めた情報をもとに名簿を作成し、町担当課と実際の避難方法について協議しています。災害に備え、早め早めに住民に情報提供するように心がけています。

 

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大災害から2年を迎えた大島は、島民の力に支えられながら復興にむかっています。その中で、住民に寄り添い、住民の命を守るため、今だからこそ福祉の力が求められています。

取材先
名称
(社福)大島社会福祉協議会、(社福)椿の里「大島老人ホーム」
概要
大島社会福祉協議会
http://oshima.tokyoislands-shakyo.com/

(社福)椿の里「大島老人ホーム」
http://care-net.biz/13/tubakinosato/
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