あらまし
- 平成28年4月14日、及び16日に発生した熊本地震では、熊本県、大分県等を中心に大きな被害がありました。4月22日に厚生労働省は社会福祉施設等に対する介護職員の派遣依頼を出しています。今号では、熊本県に応援に入った東京の福祉施設職員の活動を報告します。
施設機能をうまく使った福祉避難所―練馬区の特養から熊本市の福祉避難所へ応援
練馬区にある特別養護老人ホーム「フローラ石神井公園」は、平成28年5月28日~6月1日に介護職員1名を熊本へ応援派遣しました。応援に行った吉田律子さんは熊本市の出身。自身も「行きたい」と思っていた派遣でした。派遣先は、熊本市内で養護老人ホーム、小規模型の特養、通所介護事業所などを幅広く運営する社会福祉法人リデルライトホームに設置された「福祉避難所」です。
4月14日、16日と震度7の地震が発生した熊本県ですが、リデルライトホームでは、幸い利用者に怪我はなく、ガス漏れもなく、停電もすぐに回復し、地下水も無事でした。電話は通じませんでしたが、LINE(*ソーシャルネットワーキングサービス)で連絡を取り、勤務可能な職員で災害対応にあたりました。地域住民の避難者もホールに受入れ(14日‥2名、16日‥66名)、訪問介護も震災翌日からカセットコンロ、ペットボトルの水等を持参して行いました。そして4月20日には、特養に宿泊する形で福祉避難所の受入れを始め、5月1日からは福祉避難所専用の場所を整えて全国各地からの応援派遣職員の受入れを開始しました。
吉田さんが応援に入った5月28日には、軽い認知症のある高齢者・息子さんの親子と独居の高齢者の12名が避難していました。普段は特養で勤務している吉田さんは、初めて福祉避難所に来て、「思っていたよりも自立した方たち。でも、体育館の一般避難所で過ごすには厳しい方たちだった。『ここにいる間に身体機能を低下させてしまってはいけないので、手を出しすぎないように』と最初に言われた。ケアというよりも生活支援が必要だった」と話します。
福祉避難所は、もともとは特養に併設した地域交流スペースだった場所に、ベッドや仕切りのカーテンを持ち込んで設置されていました(写真)。そこから扉一つで特養につながっており、入浴や洗濯、調理は特養の施設機能をうまく使っていました。そして、吉田さんが意外だったのは、日中の福祉避難所を応援派遣職員が中心に運営していることでした。相談相手の管理者が特養にいるものの、日中は県外から応援派遣に来た初対面の3名のみで運営し、夜は特養の夜勤職員がカバーするというしくみです。それでも、既にみんなでつくってきた一日の流れはしっかりと決まっていました。街に出ると、まだまだ復旧には支援が必要という状況ですが、特養をはじめ、法人全体がバタバタすることなく落ち着いた雰囲気で過ごしていました。
応援派遣中、福祉避難所に避難している方々とたくさんコミュニケーションができました。「戦争はこぎゃあもんじゃなかった」と話す94歳のおばあさん。住んでいた家は壊れてしまったのですが、それでも前を向き、それは「生きているんだな」と吉田さんが感じる姿でした。応援派遣の職員が全国から交代で入ってくるという環境も、むしろ張り合いになっているのかもしれません。
吉田さんを送り出したフローラ石神井公園施設長の兒玉強さんは、「現場は貴重な戦力が欠けて大変だと思うが、応援派遣はお互い様で当然のこと。むしろ報告を聞き、福祉避難所を具体的にイメージできた。うちも指定を受けているが、どのような対象者を受入れ、どんな人員で運営するか、区との間で決まっていないことに気づかされた。参考にしながら課題を詰めたい」と話します。区内の特養の施設長会で吉田さんに報告してもらうなど、貴重な経験を生かそうとしています。
吉田律子さん(フローラ石神井公園介護職員)
気にかけてくれることが心の支えに―八王子市の特養から益城町の養護老人ホームへ応援
八王子市にある特別養護老人ホーム「偕楽園ホーム」からは2名の介護職員を応援派遣しました。2名とも、熊本県内で最も被害の大きかった益城町の養護老人ホーム「花へんろ」に支援に入りました。
花へんろは、精神科を主とした社会医療法人ましき会益城病院が運営している施設です。益城病院は、被害が大きく、200名の入院患者のうち150名は他の病院にうつり、50名は退院となりましたが、2名が応援に行った養護老人ホームでは避難者の受入れ等は行っておらず、厳しい体制の中で、通常の施設利用者の支援をなんとか継続していました。花へんろは高台にあり、建物に、ひび割れ等はあったものの、大きな損傷はありませんでした。ライフラインは、震災直後停止しましたが、すぐに復旧し、食糧も備蓄で賄うことができました。そのため、早い段階から、利用者は普段通りの生活に戻ることができました。施設の人員体制も、派遣時には、平常時とほぼ同様の体制で運営していました。しかし、職員のなかには、自宅に帰れず車中泊をしながら出勤していたり、避難所に暮らしながら業務にあたっていたりと厳しい状況の方も多くいました。
6月13日~18日に応援に行った田中健太郎さんと6月20日~25日まで応援に行った三輪隆太さんは、偕楽園ホーム施設長から応援派遣の話を聞いて、「少しでも被災地のために何かしたい」と自ら手を挙げました。
派遣先では、少しでも地元の職員が休めるように、清掃業務等の現場職員の補助と、利用者の支援として傾聴やレクリエーション指導を担当しました。二人は、「たった5日間の派遣で何ができるだろう…」と考えながら応援に入りました。そんな時、現場の職員から「誰かが来てくれるだけで落ち着く。気にかけてくれる人がいることが心の支えになる」、「益城町を見て、東京に帰ってから町の様子を伝えてほしい」と話がありました。「利用者は、日中にはリビングなどで自由に過ごし、中には畑や病院に出かけていく人もいた。震災の話題についても、利用者の方からはあまり出てこなかった。その『ふつうに過ごしている』ところに強さを感じた」と田中さんは話します。
「ある職員が『気を抜くと泣いてしまう』と言っていた。時間の経過とともにメディアで取上げられることも減ってきて、東京にいるときには、少しずつ復旧しているイメージがあったが、少し歩けば土砂崩れや、倒壊した家、形が変わってしまった山があり、半壊の自宅を地域の安全のために自ら壊さなければならない方もいて、現場はまだまだ過酷な生活を送っていた」と三輪さんは話します。
熊本では地震の2か月後に大雨もありました。被災地の施設職員の、「多くの方に被害の状況や現在の町の様子を知ってほしい、それを伝えてほしいと望む気持ちを、二人は受け取って帰ってきました。
三輪隆太さん(左)、田中健太郎さん(右)(偕楽園ホーム介護職員)
そばにいることを心がける―知的発達障害部会から大津町の社会福祉法人への応援
4月22日、東社協知的発達障害部会では、東京都発達障害支援協会と協働して、「平成28年熊本地震東京合同災害本部」を立ち上げました。そして、5月22日~7月15日まで熊本県菊池郡大津町にある、自閉症者を中心とした入所施設、生活介護、短期入所、グループホーム等を幅広く運営する社会福祉法人「三気の会」に、2名体制で応援派遣を行いました。
5月9日から12日まで先遣隊が、現地のニーズを聞いてまわった際、はじめは「他にも被害を受けているところがあるから…」と遠慮していた三気の会より「できれば応援に来てしてほしい」という声をいただいてのことです。こちらから声をかけていくことで、被災した施設側も支援を求める声が出しやすくなります。
当初、1か月の応援派遣の依頼を受け、東社協知的発達障害部会では1か月間継続して応援に入る職員と1週間ずつ応援に入る職員の2名体制でローテーションを組むことにしました。その後、派遣延長の要請を受け、1週間ずつ応援に入る職員2名を7月15日まで派遣しました。
三気の会は、建物の内外において、数か所の亀裂、地面のヒビ割れ、ライフラインの一時的な遮断、グループホームの一部倒壊等の被害を受けました。なかでも、2つのグループホームの被害は甚大で、別の場所に建て替えが必要な状態になりました。3つ全てのグループホームの利用者は、7月末現在でも、入所施設の多目的ホールで暮らしています。また、パン屋を営んでいた地域活動支援センター「アンパ2号店」についても復旧は不可能な程の被害を受けて、撤退せざるを得ず、1号店のみでの営業を余儀なくされました。
一方、法人としては、夜勤職員を増員したり、外出同行の職員を増員したりと、余震に備えて、通常より手厚い体制で支援を行っています。それに加え、職員の中には、車中泊や避難所での生活を余儀なくされている人もいます。
東京から応援に入った社会福祉法人「正夢の会」の掛川恵二さんは、派遣を開始した5月22日から1か月間と、支援を閉じる7月11日~15日までの1週間、応援に行きました。最初に応援に入ったのは、地震から1か月後でした。職員は、余震が続くなかで、体制の変化や状況の変化に応じて新たな挑戦をしなければならず、疲れが出始めている状況でした。掛川さんは、「外部から被災地に応援に行く場合には最初の入り方が大切。食べ物やしゃべり方、全てにおいて土地に溶け込むことに気をつけながら応援に入った」と話します。また、応援職員は1週間ごとに交代するため、引きすぎず、出すぎず、派遣者同士のお互いの価値観をすり合わせながら、一つのゴールに向かう「東京チーム」として支援できるように心がけました。
今回の応援派遣で対応したニーズは、施設の前の橋が土砂崩れにより崩落し、デイサービスに通えなくなっていた自閉症の方を、往復約2時間かけて送迎するというものでした。その方は、自宅が山の中腹の土砂崩れの危険性の高い場所にあり、小学校の避難所や車中泊を経て、なんとか南阿蘇市にある宿に避難していましたが、日中の行き場所としてデイサービスを必要としていました。「具体的な送迎という支援もさることながら、外から人が応援に来ているという地元職員の心の支えこそが大切だと感じた。支援するのではなく、そばにいることを心がけた」と掛川さんは話します。
地震から3か月が経った活動の終盤には、送迎車に乗り込む利用者さんから、にっこりと笑顔がこぼれました。また、三気の会の職員からは、この間の支援を通じて、「利用者の力を再発見した」という驚きの声が聞かれました。
自然豊かな山道のなか利用者を送迎
土砂崩れにより、「三気の会」の前に架かっている大津町と南阿蘇村を繋ぐ橋が崩落。利用者の送迎が必要になった。
(後・左)掛川恵二さん(正夢の会生活支援員)
三気の会施設長・職員、東京から応援派遣に行った仲間と
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応援派遣に行った福祉施設職員からは、共通して、「ライフラインは戻ったものの、熊本に暮らす人々の精神的なショックは大きく、まだまだ災害は終わっていない」という声が聴かれています。災害において真に福祉が力を発揮すべきなのが今からなのかもしれません。地元の福祉がその長い道のりを乗り越えていくために、東京からどのような応援ができるのか。今、改めて考えることが必要です。
http://flora.or.jp
(社福)一誠会「偕楽園ホーム」
http://kairakuenhome.or.jp/kairakuen/
(社福)東京都社会福祉協議会「知的発達障害部会」
https://www.tcsw.tvac.or.jp/bukai/chitekisyogai.html