(社福)南相馬福祉会 特別養護老人ホーム福寿園
受入れ先を自ら探し、要介護高齢者が横浜市まで避難
掲載日:2017年12月22日
ブックレット番号:2 事例番号:23
福島県南相馬市/平成25年3月現在
福島県南相馬市/平成25年3月現在
ポイント
- (1)特養が所在地を離れて避難しようとした時、受入れ先は自ら探さなくてはならなかった。
- (2)外部委託していた調理も途絶え、経管栄養剤の備蓄も残りわずかとなった。
- (3)受入れ先への要介護者の長距離の移動はリスクが高かった。
- (4)施設を再開できたが、職員が3割減る中、職員は無理をして通い続けてくれた。
あらまし
- 社会福祉法人南相馬福祉会は、東日本大震災の際、要介護者である利用者229人とともに、福島県南相馬市から遠く横浜市まで避難しました。震災の翌日に原発事故が発生したものの、同法人の「福寿園」は旧警戒区域のわずかに外にあったため、行政から何も指示がないまま数日が経ち、物流が途絶え、外部に委託していた調理員も一時来なくなり、病院も市内から撤退する中、経管栄養剤の備蓄もあと数日という危機的な状況に陥りました。自衛隊員から「どうするんですか?」と聞かれる状態でした。そこで、施設内の実情を自らデジカメに収め、3月16日の「NHKニュースウォッチ9」に動画を送りテレビ電話出演し、苦境を訴えました。すると横浜市の老人保健施設から「全員受け入れてよい」という申し出をもらいました。そこからは、大型バス6台に要介護の高い高齢者を座らせて約10時間の移動でした。褥そうもひどい状態で「誰も亡くならなかったのは運がよかったとしかいえない」と、常務理事の大内敏文さんは語ります。
10月にようやく再開にこぎつけて利用者を呼び戻すことができましたが、震災から3か月で職員は7割まで減りました。70キロの道のりを家族のいる避難先から通い続ける職員もいました。泣きながら家族と県外に避難することになったことを告げる職員には「いいんだよ。気にするな」としか言えませんでした。
取材先
名称
(社福)南相馬福祉会 特別養護老人ホーム福寿園
概要
(社福)南相馬福祉会
http://minamisomafukushikai.or.jp/
http://minamisomafukushikai.or.jp/
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