福島県老人福祉施設協議会会津支部
避難指示により施設に戻れない特養入所者を緊急支援
掲載日:2017年12月15日
ブックレット番号:2 事例番号:24
福島県会津若松市/平成25年3月現在

 

受入れを行った会津支部の施設では

受入れを決めた施設は、避難している施設の避難先まで車で迎えに行きました。利用者の避難先となる施設は、避難している施設で決めてもらいました。避難施設の職員が同行して引き継ぐ場合と、受入れ施設が迎えに行った先で、ごく基本的な利用者情報を口頭で聞いてくるだけの場合もありました。利用者は厳しい避難生活により衰弱している上に、長時間の移動をしなければなりませんでした。利用者を移動させるリスクも当然高いと考えられますが、それでもこのまま避難生活を続けるリスクの方が高いという究極の判断をせざるを得ませんでした。「理屈を言うときではなかった」と小林さんは言います。

会津みどりホームでは、被災した特別養護老人ホームサンライト大熊(大熊町)から4名、オンフール双葉(浪江町)から5名の入所者を定員超過で受け入れました。

まずはやっとの思いでたどり着いた利用者に、暖かい食事とお風呂を提供しました。同行してきた職員も本当に疲弊しているので暖かい軽食と入浴をとってもらい、つかの間でもほっとしてもらえるように配慮しました。

定員外として受け入れるため、デイスペース、ショートスペース、会議室等を居室に転用して対応しました。多床室もカーテンで仕切り、4人部屋に5人入所してもらいました。また、定員を超えて受入れを行うことについて、みどりホームに震災前から入所している高齢者とその家族に説明し、理解を得ました。

受入れ時には連れてきた被災施設の職員からの口頭のみで申し送りという状況でしたので、情報が少なく、介護も手探りでした。被災施設から職員を受け入れられる訳ではなく、被災施設の職員は法人に一部を残してバラバラになってしまったので、これまで介護していた職員との連絡も困難です。また、厳しい避難生活が長期化していたため重度化がすすんでおり、「介護事故等のリスクに十分気をつけなければならなかった」と小林さんは話します。また、受け入れた入所者の家族、身元引受人も遠隔地に避難していることが多く、緊急時の連絡には不安もあります。

 

支援の拠点となった

特別養護老人ホーム会津みどりホーム

 

受入れ施設・避難施設における課題

小林さんは今回の経験をふまえて次のような課題を指摘します。

まず、今回の災害のような緊急時における利用者情報の共有方法についてです。日頃から緊急時に持ち出せ渡せるように利用者情報をまとめておくなどの工夫が必要です。

次に、契約による介護保険施設としての課題があります。一つ目は定員外の入居者と地元申込利用者との関係で早急な解決方法が求められます。みどりホームでは空きが出ると、順に地元の方が4人入所したら次は1人避難者を定員枠内に入れるというように、バランスを取るようにしています。二つ目は避難してきた利用者は定員外入居者となりますが、入居契約の締結や重要事項説明等の諸手続きをどうするのかという点です。国や県からの指導はないままですが、みどりホームではこうした入居者とも契約を締結しています。

三つ目に定員外で受入れに対応した施設の改修、器具備品の購入の財源措置がなく、今は受入れ施設の負担となっている点です。また、養護施設に入所していた方を受け入れた特別養護老人ホームでは、さらに複雑な事務手続きが必要になりました。

小林さんは、避難を余儀なくされた被災施設についてもふり返って言います。「本当なら施設ごと一か所に移り住むことができれば一番よかった。できれば残りたかっただろう。それもダメなら分散してでも近いところにとどめたかっただろう」と、入所者も職員もバラバラになってしまう苦渋の選択をした被災施設の悔しさに思いをはせました。

 

県内の相互支援に必要なこと

小林さんは「今回のような大災害は、被災した施設が自らの責任で対応を図ることは極めて困難。県内が一体となって避難、受入れを行うための支援が求められる。特に高齢者や障害者など身体機能に介護を要する方は、移動を含めた避難と受入れの対応は容易ではない。施設・法人間で相互の支援を図ることのできる『相互支援協定』を取り結んでおくことが必要となる」と話します。ただし、「相互支援協定さえ作ればよい訳でない」ということも合わせて小林さんは指摘します。

「やはり人間関係こそが要。今回の会津支部の動きができたのも、日頃から福島県社協の会議や研修会を通じて顔見知りになっていることで、いざというときに迅速に動ける人脈となり、それが力となったことを実感している」と強調します。そして、「実際には県や自治体では一般の住民の災害対応が最優先され、介護している職員のいる施設のことまで手が回らなくなる。これはやむをえないこと。そうした事態に対応していくためには、都道府県社協に避難先の調整役や情報収集と発信ができる役割を位置づけて、それを周知徹底しておく必要がある。今回の災害では、福島県社協が県との連絡役も含めて非常によい相互支援のコーディネート役を果たしてくれた」と話します。

 

会津若松市内の高齢者デイサービスでは…

避難施設への支援物資をコーディネートする役割を担った渡部悌一さんは、会津若松市内の高齢者デイサービスセンターの所長です。

会津若松市内の中核的な病院の一つである竹田綜合病院に併設している竹田ほほえみデイサービスセンターでは、東日本大震災が発生した平成23年3月11 日(金)午後2時46分に26 名の利用者がデイサービスに来ていました。余震が続いていたので、一人暮らし、老老介護のご家庭の方には午後5~6時までセンターにいてもらいました。センター所長の渡部さんは「当日、もし、『泊まりたい』ということがあれば、応じるつもりでいた」と話します。また、当日が利用日ではなかった利用者の安否と被害状況の確認を翌日までかけて行い、幸いにも人的被害はありませんでしたが、何よりも地震に対する恐怖を感じている方がいたことや家財道具が倒れるなどの被害があったことがわかりました。

市内のデイサービスの多くは1週間~ 10日間、休止しました。特に単独のデイサービスセンターの場合にはガソリンも不足して送迎ができない状況でした。病院併設の竹田ほほえみデイサービスセンターは、契約していたガソリンスタンドから優先的にガソリンを確保できたこと、また、重度の利用者も多かったことから、渡部さんは「どんなことがあっても営業しつづけよう」と決めて、休止しませんでした。ただ、会津若松市内でも物流が厳しくなり、トイレットペーパー、プラスチックの手袋、ガーゼ、コピー用紙などの消耗品でさえ、病院に救援物資が入ってくるまでは手に入りにくい状況でした。食事の提供にも苦慮し、翌週の昼食は「おにぎりと味噌汁であれば提供が可能」と業者に確認して、利用者の家族に了解を得てしのいできました。

渡部さんは「大きな被害はなかったものの、しばらく経ってから利用者に表面に出ない不安があることがわかってきた。それは本人も自覚していないショックかもしれない。ちょっとした地震におびえたり、眠れないという状態が続き、それが体調の変化にも現れた。

実際に別部門の訪問看護の利用者が入院に至ったケースもあった」とふり返ります。さらに、会津若松市内に避難してきている大熊町などの高齢者が、長引く避難生活で要介護化したときに、会津若松市の高齢者デイサービスをはじめとする通所・訪問系の介護サービスがどのような役割を果たせるかもさらなる課題と指摘しています。

 

 

取材先
名称
福島県老人福祉施設協議会会津支部
概要
(社福)福島県社会福祉協議会
http://www.fukushimakenshakyo.or.jp
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