高野 理江さん
「障害者」じゃなくて、障害を持っているだけのことです
掲載日:2017年11月29日
2014年8月号 くらし今ひと

 

あらまし

  • 脳動静脈奇形により脳内出血を発症し、リハビリを経て重症心身障害児施設で働いている高野理江さんにお話をうかがいました。現在は、社会福祉士の資格取得を目指しています。

 

絵画展や芸術鑑賞が好き

叔父がグラフィックデザイナーをしていて、何となく将来の仕事にしてみたいなと思っていました。中学生の頃、お母さんと一緒に絵画展や美術展に通ったことも影響していると思います。歌舞伎にも連れて行ってもらいました。

 

20歳で広告関係の会社に就職が決まりました。働き始めて半年が経ったころ、仕事中に脳動静脈奇形により脳内出血を起こして倒れてしまいました。駆けつけた母親に執刀医は「左脳7㎝の出血で3割は死亡、3割は寝たきり、3割は右半身麻痺、1割がリハビリしたら普通の生活になるかもしれない」と伝えられたそうです。

 

後遺症で右半身麻痺と、突発的に身体全体が硬直する発作や、痙攣発作が起きるようになりました。また、左脳を出血したので、時間や料金、日付、特に電話番号を口頭で言われると今でも苦手です。スケジュール管理も苦手で、用事が決まったときはすぐに携帯電話にメモを残しています。

 

3年間程リハビリをして、身体は少しずつ動くようになりましたが、右半身が前の様には動かないので、念願だったグラフィック関係の仕事はできなくなりました。自分自身の目標や希望がなくなり「1日をどう過ごすか」だけの辛い日々を過ごしていました。

 

誰かが助けてくれたら何でもできる

病院を変えて、今の主治医に出会ったことが私の転換点になりました。今の主治医は、「病気だけど困った時は助けてあげる。好きなことをやってごらん」と言ってくれます。「飛行機に乗れないから旅行ができなくなって残念」と話したら、発作が起きた時の対応をメモにし、「海外に行く時はパスポートにこのメモを挟んでおいてね」と言ってくれました。この一言で私の人生が明るく開けたような気がしました。「誰かが助けてくれれば何でもできる」と思えるようになりました。

 

そして、通信制大学の入学を検討しました。大学側に「願書や試験を手書きすることが難しい」と伝えると、キーボードで入力して提出できるようにしてくれました。できないことを伝えて助けてもらう体験が、今の自分につながっています。

 

障害者は助けなければいけないの?

大学の授業の一環で福祉を学んだ際に、少し違和感を持ちました。「障害者を助けるのは美徳」の意識が高まっています。でも「障害があるからやってあげる」「してあげる」はちょっと違うと思います。「困っていたら助ける」でいいと思います。そんな違和感がきっかけになり、現在は本当に困った時に誰かを助けるため、社会福祉士の資格を取得する福祉系の通信制大学に編入しています。

 

心配されすぎると余計に辛い

私の夫は10秒程で落ち着く発作の時は「いつ止むかな」みたいな感じであまり気にしません。付き合った時に病気のことを話したら笑顔で「ふーん」だけでした。それですごく気が楽になりました。周りの人は「大丈夫?」と心配してくれますが、一生付き合っていくことなので心配されすぎると余計に辛いのです。夫はいつも笑顔です。「この先もどんなことがあっても大丈夫に違いない」そんな風に思える夫です。

 

これからは、今の主治医が私にしてくれたことを、私が他の人にしていきたいです。

 

なるほどword!

  • 脳動静脈奇形
    脳の血管が先天的に異常な結合がある状態。動脈と静脈が直接つながり、血管がとぐろを巻いたような塊ができている。血管が破裂すると、脳出血やくも膜下出欠を起こす。10万人に1人と言われる珍しい病気で、難病申請されている。
取材先
名称
高野 理江さん
タグ
関連特設ページ