JDF被災地障がい者支援センターふくしま
福島の被災障害者を守る支援センター
掲載日:2017年12月15日
ブックレット番号:1 事例番号:3
福島県郡山市/平成24年3月現在

 

震災から1週間が経過した3月19日に活動を開始した「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」(以下、「支援センター」)。それまでは各団体がそれぞれ利用者の安否を確認していましたが、今回の震災は、県全体をカバーできる支援が必要なものでした。そこで、まずは郡山市内の5団体で支援センターを立ち上げました。

 

支援センター事務局長の和田庄司さんは、「立ち上げてやりとりを繰り返すうちに、構成団体は20を超えていった。できるところから始めたことで、目の前の一刻を争う支援に取り組みながらセンターを作り上げることができた。立場も異なる団体がまとまることができたのは、『今、命が失われようとしている。何とかしなきゃと思うなら、一枚岩でいこう』という白石清春代表の一言だった」とふり返ります。

 

 

命をつなぐ、守る活動 ~物資を届ける

被災当初は、福島県内に宅配便も行かない地域がある状況でした。支援センターでは、特に物流の厳しかった浜通りエリアに物資を運ぶ拠点を相馬市といわき市の作業所に置き、そこへ全国から入ってくる物資を運び込みました。和田さんは「結果的に物資を届けるだけでなく、物資を取りに来る方から情報が入り、情報を伝えることもできた。まさに灯台のような拠点となった」と話します。

 

避難所に障害者が少ない ~避難所訪問調査

震災から3週間後の4月5日から17日には、県内198か所の一次避難所の訪問活動を展開しました。しかし、全てを回り終わってみると、112人しか障害者がいませんでした。

 

原発事故による指定区域の12市町村内だけでも1万人を超える障害者がいたはずです。実際に7割の障害者がいったんは避難所に避難しています。ところが、「最初はいたのに、いなくなった」とのことでした。どこに行ってしまったのでしょうか。ここに避難所の課題があります。「ベッドもないので何日も車椅子に乗ったまま寝ざるを得なかった」「自閉症の子が周囲になじめず車で寝泊りした」「精神障害のある方は薬が手に入らず幻覚や幻聴の厳しい状況に陥った」。住環境の厳しさ、周囲との関係、ニーズに応じた機器の不足という課題が浮き彫りになりました。避難所を離れ、やむなく自宅で過ごしたり、親戚の家にいづらくなったり、中には馬小屋で数日間過ごした方もみられました。一方で、避難所を離れてしまうと情報が入らない、相談もできないという状況が生じることが大きな課題です。

 

 

南相馬市で在宅障害者の訪問調査

福島第一原発の北側に位置する南相馬市は、鹿島・原町・小高の3つのエリアのうち、小高が20キロ圏内の警戒区域、原町が緊急時避難準備区域となりました。震災前は7万人あった人口が緊急避難でいったんは1万人まで減り、街は人影がなくなりました。しかし、4月に入ると、避難生活の困難さから「緊急時避難準備区域」に住民が戻り始めました。障害のある人やその家族も例外ではありませんでした。

 

「緊急時避難準備区域」は、緊急時には速やかに避難しなければならない区域です。緊急時に避難が容易でない障害者が原町に止まったことから、市は、震災前に作成した要援護者リストに基づき状況を確認しました。ところが、そのリストからもれている障害者がみられました。リストを作成する際に、情報提供に同意しなかった障害者が少なくなかったのです。

 

そこで、市は地元の障害者事業所の「ぴーなっつ」と支援センターと協議の上、「障害者手帳の所持者」という個人情報の開示にふみきり、4月30日から9月までにわたり、支援センターが訪問調査を実施しました。調査の結果は、報告書にまとめて南相馬市に提出されています。

 

自宅を訪れてみると、「上がって話を聞いてほしい」という反応が多くありました。いかに情報から切り離されていたか、そして、いかにつながったことへの安心感があったかがわかります。

 

 

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JDF被災地障がい者支援センターふくしま
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