東京都大島町/平成26年3月現在
大島町民児協は、民生委員・児童委員(以下、民生委員)29名(内、主任児童委員2名)で構成され、大島支庁、大島町役場、社会福祉協議会、地域包括支援センター、子ども家庭支援センター等の関係機関・団体とともに高齢者や低所得者の生活支援、障がい者の居場所づくり、子どもたちの健全育成等の活動に取組んでいます。
なかでも力を入れてきた活動の一つに、島外施設入所者訪問事業があります。離島という環境下、医療・福祉関係施設が限られる大島町では、島外にて入院・入所生活を送る方も少なくありません。大島町民児協では、昭和30 年代から現在に至るまで、毎年、住み慣れた島を離れ他所にて生活を送る島民の慰問と調査を関係機関と連携しながら実施してきました。
台風26 号による土石流が町を襲い大きな被害をもたらしたその日は、この島外施設入所者訪問のため多くの委員が出張中でした。
被災地の一住民として
災害の発生を本土で知った民生委員は、島内に残る家族・親族や留守番役の民生委員、関係機関と連絡を取り合い、島内の状況把握に努めました。当初の予定を切り上げ、一夜明け帰島した後は、要援護者の安否や被災状況の確認、被災者宅への訪問・支援(泥だし等)、さらには続いて襲った台風27 号への対応に奔走しました。
一時は全島民に避難勧告が出るという非常事態の中、日頃から気にかけている高齢者や以前から作成していた災害時要援護者名簿をもとに、それぞれの委員が各自の判断で避難の呼びかけや誘導、島外避難者の切符の手配、避難所の支援等に取組みました。
町が被害の全容を把握できない中、いち早く被害の状況把握に乗り出した民生委員がいました。この委員の担当地区は数十名の死者を出し集落が壊滅状態となった地域で、自宅にも土石流が押し寄せ50〜60センチの土砂が堆積しました。
委員宅の土砂は、近隣住民や仲間の民生委員、災害ボランティアの協力により、わずか数日で取り除くことができましたが、担当地区の変わり果てた姿を目にし、亡くなった方の顔を思い浮かべると矢も盾もたまらなくなりました。避難勧告が解除された被災後5日目、くまなく地域を歩き周り、住宅地図を張り合わせた畳一畳分ほどの地図に被害状況を落とし込みました。
「台風26号元町被害略図」と名付けられたこのマップは、土石流が流れた場所がピンク色のペンで囲まれ、全壊の家屋は「×」、半壊は「△」等で示されています。マップをもとに、集落ごとの町別被災者リストも作成しました。日頃の活動の中で担当地区のどこに誰の家があるかはほとんど頭に入っていました。地図や名簿を作成したのは、情報を可視化し共有することで、行方不明者の捜索や被災者の支援に活用してほしいという思いからでした。
▲ 委員作成のマップ「台風26 号元町被害略図」
個人の力と組織の力
発災から13日目、委員が一堂に会し、毎月実施している民児協定例会が開催されました。普段会場として利用している公共施設は災害対応のため使用できず、急きょ民間企業が所有する会議室を借りることとなりました。また、通常の定例会には役場等の関係機関が出席しますが、災害対応と本来業務に追われるという非常事態ゆえに各方面の出席はかないませんでした。そのため、直前まで民児協会長が関係部署を周り、被災関連情報の集約に努めました。
定例会では、会長が集めた関係機関からの情報提供をはじめ、災害ボランティアセンターの活動説明、各委員からの被災状況のほか、これまでの活動報告がなされました。そして、民児協として「被災者の見舞・調査訪問」の実施と「災害対策委員会」の設置が決定されました。それぞれ委員個人が進めてきた災害対応を、民児協組織としてすすめようというものです。
即日の内に第1回目の災害対策委員会が開かれ、訪問の手順や調査項目等に関する検討が行われました。前述のマップとリストに他の委員からの情報も加え、11月初旬より見舞・調査訪問を開始しました。
この見舞・調査訪問では、被災者が多数でた地区には他地区の民生委員が応援に入り、見ず知らずの者が訪ねるのではなく、できるだけ知人が知人を、また複数の委員で訪問するよう配慮しました。約1カ月をかけ、被災者の方へお見舞品を届けながら、被害状況や困りごと、心配ごと等について聴き取りを重ねました。訪ねた世帯は100世帯を超えます。
住民からは「家、仕事をなくした」「不安で体調を崩した」「二次災害の発生が心配」「生活再建の見通しがたたない」といった切実な思いが寄せられました。避難所から教職員住宅に移られた被災者を訪ねた委員は、「顔なじみの民生委員が訪ねることで、行政に直接言いづらい要望をすくい上げ、被災者の支援につなげていきたい」と話します。島民同士という立場でいたわり合うとともに、地域の実態把握や行政・関係機関とのパイプ役としての民生委員の機能を活かした取組みが、民児協の組織力で実現しました。
この訪問を通じて、被災者の心のケアや生活再建に向けた長期・継続的な支援の必要性が明らかになりました。今回の災害は局所的だったことから、多くの住民や民生委員は直接的な被害を受けませんでした。それだけに被災地の現状や被災者の悩みを委員全員が共有したことは、民児協として組織活動を行う上での大きな原動力となりました。
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