大島町立元町保育園
土石流の危険から他の町立園2園で保育を継続
掲載日:2017年12月19日
ブックレット番号:3 事例番号:38
東京都大島町/平成26年3月現在

 

大島町には保育園が5園(町立3園、私立2園)あります。大島町立元町保育園は、町立園のうちの1つで、大島の中心地から山側に車で数分入った沢に囲まれた場所にあります。

元町保育園では、台風26号に伴う土石流災害とその後の台風の影響で、園舎が災害にあう可能性が非常に高いという判断から、元町保育園を一時休止し、約3週間にわたって公立保育園2園に分かれて保育を行いました。

 

台風26号による土石流災害直後の状況

10 月15 日〜18 日

10 月15 日(火)台風26 号接近の前日、小中学校は16 日の休校が決まっていましたが、保育所は休園しないという町の判断でした。

16 日(水)朝5 時、元町保育園園長は、福祉けんこう課の前係長より「元町が大変なことになっている」という連絡を受けました。そこで元町地区の消防団に園の状況を確認してもらうようにお願いしましたが、消防団も動けない状況とのことでした。朝6時過ぎ、園長から担当課長に連絡し、園長は園に向かいました。また、副園長から、早朝保育利用者に7 時30 分からの開始時間を遅らせる旨を伝えました。一方、園長は何度かハンドルを取られそうになりながらも、7時ごろ到着しました。幸いにも、園の内外には大きな被害はありませんでした。職員20 人のうち、当日集まることのできたのは10 人でした。園庭前に土砂が流れ込んでいる状態のため、急遽、保育士5名は園庭の整備にあたりました。

 

園長は、元町地区の中でも被害の大きかった神達地区・3丁目地区の園児を中心に、電話で安否確認をしました。直接連絡の取れない園児に対しては、その親戚に連絡するなどしました。両親と園児が医療センターに搬送された家庭もありました。16 日は、保護者が役場に勤務している方や家族・親族が行方不明の方等、緊急性のある16名を預かりました。

翌17 日(木)、職員ほぼ全員が出勤できるようになっていました。また、断水により、他地区に水を汲みに行ったり、職員が出勤時に水を持ってきたりして、何とか給食を出しました。

 

 

元町保育園は休園し、2園にわかれて保育

◆10 月19 日〜(4日〜2週間目)

10 月18 日(金)夕方、翌日19 日の天気は雨の予報でした。園長から町に相談し、10 月19 日の土曜保育は町立岡田保育園で行うことにしました。この日の夕方、元町地区全体に避難勧告が出ました。担当課長から21 日(月)より他の町立園2 園(差木地保育園と岡田保育園)に分れて保育を行うよう指示がありました。町は、園舎の裏の長沢の溶岩流堆積溝に土砂や流木等が流入しており、堆積溝が満杯となっていたため、次の降雨で、土砂流が発生した場合、隣接する沢の氾濫等により、園舎が災害にあう可能性が非常に高いと判断しました。

 

園長は、1軒1軒、65 世帯に電話しました。「電話で直接話をすることで保護者の不安を少しは軽減できたのではないか」と園長は話します。岡田保育園を希望したのは39 名でしたが、岡田保育園には50 名定員で33 名の利用者がすでにおり、園舎が狭いことから、共働きと被災した方を優先させました。差木地保育園はハード面での余裕はありましたが、元町保育園から車で約30 分と遠いこともあり、希望者は当初2〜3名でした。

 

10 月28 日〜(3週目〜)

10 月28 日(月)からは、仕事復帰する保護者も多く、多いときには約40 名が岡田保育園を利用するようになりました。しかし、岡田保育園では、「長期にわたる大人数の受入れは難しい」という話でした。実際、調理室等が狭く給食の提供は大変な状況でした。

2園に分かれて保育をするにあたって、重要書類や、衣類や布団等の園児の私物が流されてしまわないように、職員で運び出しました。また、岡田保育園にはアレルギー児がいなかったので、元町保育園のアレルギー児用の冷凍してある食品を、冷蔵庫ごと運びました。元町保育園は危険区域に指定されたため、園長立会いの下、10分、20分と短時間で、何日も通いました。

 

 

園長がコーディネートや判断のほぼ全てを担う

職員は2園に分かれて勤務しました。また、16 日より、町からの職員派遣の依頼に基づき職員数名を町役場に派遣して避難所等をまわる業務にもつきました。

園長は、「避難場所もバラバラで、島外避難している園児もいる中で、全園児のいる場所の把握は大変だった。避難勧告が出ていた時には、どこにだれがいるか、避難場所をまわった」とふり返ります。園児がいる場所の確認、出欠の確認、職員ローテーションの作成等は園長が1人で担わざるを得ない状況でした。また町立保育園3園の調整も園長が行いました。園長は、「職員のローテーションは、できるだけ担任が行けるように工夫したが、必ずしも叶わないこともあった。また、それぞれの園で勤務したことのない職員もいたので、勝手がわからず大変だったと思うが、頑張ってくれた」と話します。

役場も夜中まであけているような状況でした。人命にかかわる事態の中、町の担当職員が亡くなったこともあり、町に十分相談することは難しい状況でした。そのため、さまざまな判断は、3園の園長会議で決めて町に報告する形となりました。

 

一方、2週間が経った頃より、保護者から「クラスの友達がほとんど岡田保育園に行っているので岡田保育園に行かせたい」、「いつになったら保育園に預けられるのか…」という不安の声が聞かれるようになりました。

また、岡田保育園は、園舎が狭く、定員を超えての受入れとなりましたので、子どもにはストレスがたまっている様子がみえました。乳児は特にボーッとしているなど、このまま続けるのは子どもにとって良くないと感じるようになりました。

 

再開に向けて

再開の見通しが立たない中、差木地保育園までスクールバスを出すこと等も町と一緒に検討していました。ところが、11 月6日、国土交通省の調査等をふまえ、町長の判断により、急きょ、11 日からの開園が決定されました。長沢溶岩流堆積溝の土砂の搬出がすすみ、多少の降雨では土石流はない、もしあったとしても沢の流動域までは土砂はないだろうという判断でした。8日に保護者を対象とした説明会が開かれることになりました。

 

十分準備をする時間的な余裕がないなかでの開催でしたが、町長や専門家の説明に加え、園長が、保護者に状況を伝えるために毎週末撮っていた長沢溶岩流堆積溝の写真などを交えて課長が状況を説明しました。

説明会では、再開を喜ぶ保護者もいる一方で、「本当に危険はないのか」、「子どもに変わってしまった山を見せたくない」等という慎重な声も聞かれました。ただ、園長は、「島に住む以上は、子どもたちに伝えていかなければいけないこと」と語ります。

 

* * * *

 

今回の土石流災害をふまえて、園では、職員の車を使って子どもを代走する訓練など、より実践的な訓練を行っています。また、1日分の補食程度だった備蓄品を増やす等の対応を行いました。

園では、被災後の心のケアについて講演会を2回行い、保護者を中心に、職員も参加しました。大島では、今もまだ、子どもや保護者の心のケアが必要な状況が続いています。

 

10月16日 長沢の溶岩流堆積溝(広域)

この下に園舎がある

 

10月28日 長沢の溶岩流堆積溝

 

11月10日 長沢の溶岩流堆積溝 土砂搬出がすすんだ

 

 

 

取材先
名称
大島町立元町保育園
概要
大島町
https://www.town.oshima.tokyo.jp/soshiki/kenkou/hoikuen-index.html
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