(社福)石巻祥心会
地域の中にある障害者施設として
掲載日:2017年12月12日
ブックレット番号:1 事例番号:4
宮城県石巻市/平成24年3月現在

 

「これまで私たちは地域の人に支えられてきた。今こそ地域に恩返しをする時だ」

宮城県石巻市で障害児者の支援をしている石巻祥心会は理事長のこの一言から、震災後、福祉避難所の設置をはじめとして、地域で生活する障害者へさまざまな支援を行ってきました。

 

石巻祥心会は知的障害者を中心に更生施設、通所事業所、通所更生、グループホームなどの障害福祉サービスを幅広く展開している社会福祉法人です。

 

 

地震発生直後の施設の対応は

地震発生時は通所系のサービス提供時間中。津波が来る、という認識はありましたが、何よりも利用者を自宅に帰さなければいけないという意識があり、利用者を送り届けるため車を出しました。

 

ところが、地震の揺れで道が通れなかったり、津波が来たりということで、ほとんどの車が通所施設に戻ってきました。当日は、その後、身動きがとれず、通所施設で利用者・職員ともども夜を明かしました。翌日以降、ご家族の方が利用者を迎えに来られました。ただ、中には、家族が来られても帰る自宅がなく、そのまま通所施設に泊まる方も多くいました。

 

幸い、通所施設は6ヵ所とも津波の被害はありませんでしたが、残念ながら、自宅にいた障害者の方お一人が津波で亡くなりました。

 

各通所施設では暖房器具が不足していました。そこで、職員が被害に遭っていない地域の家を一軒一軒回り、石油ストーブやプロパンガスの提供のお願いをしました。また、入所施設にある布団を運んでなんとか寒さをしのぎました。食事については、見知らぬ方からすぐに物資を提供してもらえたのと、もともと施設で養鶏やお弁当づくりを行っていたため、食材には不足しませんでした。それでも、震災から数日経つと、利用者の中には震災の影響で調子を崩し、緊急入院する方も出てきました。

 

一方、海に近いひたかみ園(入所施設)と法人事務局は周囲が完全に水没、園と事務局の建物だけが島のように残りました。既に、利用者と職員は避難していなかったのですが、そこに自衛隊のヘリで救助された一般の方が次々に降ろされていきました。話を聞くと「行くところがない」ということだったので、法人事務所のホールを開放し、避難場所と食事の提供を行いました。

水没からまぬがれた法人事務局

 

自称「福祉避難所」の開設

震災から2日~3日が経過すると、石巻地域内に障害のある方の避難先が見つからない状況が少しずつわかってきました。例えば、一般の避難所にいることが難しいが、そこ以外に行く先のない障害者、大学の構内に座り込んでうずくまっている障害者、救急で石巻赤十字病院に搬送されたが、自宅が流されたため治療後も病院内にいざるをえなかった障害者などです。

 

そこで、立替えが予定されていた入所施設の空きを活用して、福祉避難所を立ち上げました。障害者の家族も一緒に受け入れました。3月13日のことです。事業本部長の鈴木さん(当時、災害対策本部統括責任者)は「当初は、福祉避難所という概念があるとは知らず、現場で必要だと感じたことを行っていった結果、福祉避難所の立ち上げにつながった」とふり返ります。はじめは交代職員の見通しもない中で4人の職員が2日間夜通しで運営を行いました。地域の避難所の訪問も開始し、一般の避難所にいる障害者を福祉避難所に受け入れる取組みを行い、最大で約100人の障害者とその家族を受け入れました。

 

当然ですが、福祉避難所に来る方は障害の種類や障害の程度、本人の名前すらも最初はわかりません。福祉サービスをこれまで使ったことのない人もいました。良かれと思ってやったことで怒られたこともあります。第二ひたかみ園係長の遠藤さんは「施設での支援だと、どうしても管理の視点が入ってしまうが、福祉避難所は施設とは違う。支援者がいることでの安心感を持ってもらったり、避難されている方の生活を見守る視点が重要だった」と話します。

 

また、法人の中で医療チームを作り、通院や服薬のフォローを行いました。

 

取材先
名称
(社福)石巻祥心会
概要
(社福)石巻祥心会
http://www.i-shoshin.or.jp/
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