(社福)やぎ
全壊した障害者施設「八木園」再開までの取組み
掲載日:2017年12月19日
ブックレット番号:4 事例番号:47
広島県広島市/平成27年3月現在

 

知った顔があると安心する

自閉傾向のある八木園の利用者にとって、環境の変化は大きな不安を生みます。八木園被災の連絡を受けて自宅待機をしていた利用者と家族たちは、メディア報道で八木園付近の様子が伝えられなかったため、実際の被害状況が把握できないまま過ごしていました。

なかには現場まで状況確認に向かった人たちがいることもわかりました。こうした環境の変化で不安になっている利用者に対して、家族はケアをするために仕事を交代で休んで対応するなど、災害後の負担も増えていました。

 

そのため、被災から5 日目の8 月24 日、保護者会では、予想以上に早く作業所が再開されることに利用者とその家族から安心の声があがりました。また、八木園が土砂に埋もれて自宅待機となったことを家族が説明しても納得できずにいた利用者も、いつも作業所で会う職員から直接説明を聞くことにより、安心感を取り戻していきました。そこで八木園では、保護者会で日中や自宅での生活が困難な利用者の相談を行い、翌25 日から9 月4 日まで一時預かりを実施しました。利用者は1日平均5 ~ 6 名でしたが、十分な場所を常に確保できる状況ではなかったため、一緒にあいさつ回りをしたり、間借りしていた作業所の厚意で作業所企画の歌謡コンサートやそうめん流しのイベントに参加したり、職員と動物園へ行くなど外出の機会をつくって対応しました。また、職員は自宅にいる各利用者には一日おきに連絡をとり、継続的に様子を確認しました。

 

再開までの利用者支援を担当した山脇さんは、「利用者にとって慣れない環境で過ごすことになっても、職員など普段から知った顔があると安心することがわかった。自宅待機を余儀なくされた場合も、一時預かりの場合でも、できるだけ早く日中の居場所を確保することが大事。それによって利用者はもちろんのこと、利用者の家族の負担も軽減できる」と指摘します。利用者1 名は、八木園再開まで待機状況でいることが難しく、他事業所へ移りました。その他の利用者は9 月8 日から2 か所に分かれての通所となりましたが、職員や利用者同士で再び顔を合わせることによって、互いに安心して作業所生活を迎えることができました。

 

支援を受け、いよいよ1か所での八木園再開へ

このように職員による努力と地域の関係者の協力を得て、2か所で作業所を再開した八木園でしたが、理事長の菅井さんや施設長の春木さんは作業所を1か所に統合することを目標に新たな物件を探し続けていました。「30 名の利用者が作業できる場所を自分たちだけで見つけることは大変だった。物件探しに苦戦していたところ、9 月に入ってから広島県が所有する可部独身寮が5 年近く空き家となっているという情報が入り、ぜひ使わせてほしいと働きかけた」と菅井さんは話します。そして、2 か月後の11 月4 日、5 年間無償という条件で独身寮を八木園の新たな作業所として利用できることになりました。

 

その頃、八木園の被災状況は徐々にさまざまな関係者に伝わり、日頃からつながりのある地域の関係者だけでなく、阪神淡路大震災や東日本大震災の震災経験者や団体からボランティアをしたいとの声が八木園に寄せられました。「このように多くのボランティアや支援を一度に受け入れる経験がこれまでなかった八木園にとって、段取りや準備をすすめることは難しかった」と春木さんは当時を振り返ります。しかし、8 月30 日にはボランティアや地域の作業所、発注業者、民生委員など100 名近くが集まり、土砂に埋もれた八木園の清掃を行いました。また、仮作業所の再開後も3週間にわたりボランティアが作業所の手伝いに参加してくれました。「以前から民生委員児童委員協議会(民児協)の協力で利用者と一緒に買い物へ行く企画があり、仮の作業所に移ってからも支援していただいた」と山脇さんは話します。

 

県内外からのさまざまな支援を受けて、被災から約2 か月半を経て八木園は一つの作業所として再び統合し、新たなスタートをきることができました。開始後も、5 年間使われていなかった建物では通信機器の設置や水道の修理、作業所として活用するための部屋の修繕が必要な状況にあり、活動を軌道に乗せるための作業は続いています。しかし、支援により徐々に設備面も整えられており、現在は被災前の7 割の発注を業者から受けるまでに戻りました。菅井さんは「福祉関係者や企業、個人など全国から多くの方々に支援していただいたことの重みを感じている。今回、新たな場所で再開したことを良い機会ととらえ、作業所としての環境を整えながら、八木園としての新たな役割も検討していきたい」と今後に向けた取組みを話します。

 

発災時から再開までを通して見えてきたこと

八木園では後日、利用者の保護者たちに発災時の避難状況について聞き取り調査をしました。そこで明らかになったことは、被害の大きかった八木地区に住む利用者と家族3 世帯は、土砂で自宅の入口がふさがれても、避難所を利用しなかったことでした。また、作業所が一時休止の間、利用者の家族たちは自宅でのケアがどれだけ続けられるのか不安だった、という声が多くあがりました。さらに家族のなかに障害のある人がいることで、一般の避難所を利用しにくくなっていたこともわかりました。八木園では今回の経験をふまえ、本人が落ち着いていられる場所に家族とともに避難できるように「施設を避難所や一時預かり場所として対応できるよう、検討していきたい」と菅井さんは話します。

また、再開までの一つひとつのやりとりを通して、普段から地域とつながることの重要性も見えてきました。八木園が安佐北区へ移転することが決まり、職員が近隣の家々にあいさつ回りをした際、高齢の方が多く暮らしていることがわかりました。今後は、社会福祉法人やぎとして作業所を運営しながら、こうした高齢者世帯や地域とのつながりも新たに視野に入れて活動を行っていく予定です。

 

11 月4 日の開所式の様子

 

取材先
名称
(社福)やぎ
概要
(社福)やぎ
https://yagien.amebaownd.com/
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