福島県浪江町/平成27年3月現在
NPO法人Jinは福島県浪江町で東日本大震災の前に障害のある人、子ども、高齢者の日中活動やデイサービス、リハビリ等を提供していました。その事業所は、東京電力福島第一原発から7.2㎞の距離にあります。原発事故により全町民が避難した浪江町は、震災から2年の時を経て平成25年4月に区域が3つに再編され、事業所のあった地区は「避難指示解除準備区域」となりました。同区域は午前9時から午後4時の立ち入りが認められています。
日中の立ち入りが始まってすぐに、Jinは事業所のあった場所で高齢者、障害者とともに農業を再び営み始めました。高齢者と障害者が復興の最前線を耕し始めたのです。
農業を再開した1年目。まずは鶏の玉子が出荷できるようになりました。しかし、浪江町サラダ農園で育てた野菜を出荷できるには至りませんでした。平成25 年8月19 日に第一原発のガレキ撤去が行われた際に放射性物質が飛散してしまったことが要因の一つとして疑われていますが、ここでどんな農業ができるかを関係者と相談しながら試行錯誤を重ねています。
1年目の野菜づくりが叶わなかった川村博さん(NPO法人Jin代表)は、「ならば、『花の名所』を作って町民を出迎えよう」と考え、チューリップの球根6,600 個をサラダ農園に植えました。そのチューリップが春、見事に咲きました。県内の新聞でも取り上げられたこともあり、家の片付けに訪れていた町民が毎日10人くらい見に来てくれました。高齢者と障害者が咲かせた花が人を呼んだのです。変わり果てた故郷に復興の礎となる景色を作ることが叶いました。
いまだ荒れ果てた町の景色
鶏の卵は1年目から出荷が可能に
浪江町で見事に咲いたトルコギキョウ
浪江町サラダ農園が迎えた2年目。チューリップに続き、トルコギキョウを植えました。高齢者、障害者が耕し、草をむしって世話をして、7月にはその花を見事に咲かせることができました。そして、その夢は、ヒマワリ、りんどうと続いていきます。もちろん2年目も野菜づくりを続けて、研究を重ねて出荷できることをめざしています。
平成26 年8月27 日に浪江町内にコンビニエンスストアのローソンが再開。日中の滞在者や除染作業員たちが町内で買い物ができるようになりました。Jinからもそのお祝いにトルコギキョウをプレゼントしました。事故後、原発20㎞圏内では楢葉町に続いて2店舗目で、全域が避難区域になっていた町村でコンビニが再開するのは初めてのことでした。明るい話題の一つとなりました。
また、前年に福島なみえ焼きそばが優勝したB-1グランプリが平成26年10 月に郡山で開かれました。浪江町民から来場者にJinの栽培したトルコギキョウを配ることもできました。
避難が長期化し、川村さんは「困らないようにする支援ではなく、自分らしく生きるため、その人の真の自立につながる支援でなければならない」と話します。浪江町に戻ろうとする人もいれば、避難先のそれぞれの地域で新しい暮らしを始めている住民がいます。その暮らしは、故郷への悲しさではなく、故郷に誇りをもったものであることが望まれます。
ヒマワリが育つサラダ農園と川村博さん
9月にはヒマワリが浪江のサラダ農園に咲き誇りました