(社福) リデルライトホーム
目の前にある課題への取組み それは、インフォーマルに始まる ~福祉避難所の運営と県内の法人への支援~
掲載日:2018年3月26日
ブックレット番号:6 事例番号:56
熊本県熊本市/平成29年3月現在

 特養の機能を使いながら、福祉避難所を応援職員で運営

地域密着型特養のノットホームとドア一つでつながった地域交流スペース「ちこす」に福祉避難所を設営しましたが、入浴や洗濯、調理は特養の機能を使って運営しました。全国から応援に来てくれた介護職員は表のとおりで、31法人から86人です。

 

運営方式にも特徴があります。日中の福祉避難所の運営は応援職員を中心に行い、運営そのものは応援職員が引き継ぎながらつくり上げていくようにしました。夜間は併設する特養ノットホームの夜勤職員が見守りをカバーし、ノットホームの計画作成担当者と相談員の2人が「入退所調整」「物品管理調整」「派遣職員の宿泊場所の環境調整」などを担いました。その意図をノットホーム施設長の吉井さんは、「全国からの応援職員の方々にここで経験したことを役に立ててもらった方がよい」と話します。応援職員はそれぞれに個性も力もある職員です。困ったときには相談してもらうようにしながら、それぞれに考えてもらい、その力を発揮してもらうことを大切にしました。

練馬区にある特別養護老人ホーム「フローラ石神井公園」からリデルライトホームへ応援派遣に入った吉田律子さんは、当時をふり返り、「特養をはじめ、法人全体がバタバタすることなく、落ち着いた雰囲気で過ごしていた」と話しています。

 

「ちこす」からすぐそばにあった「ノットホーム」の入浴設備

 

東京から応援に入ったフローラ石神井公園の吉田律子さん

 

高齢者は比較的自立。子育て家庭、益城町の人も

その吉田さんは、普段は特養で介護職員として勤務していました。吉田さんは福祉避難所というものに初めて来ましたが、「思っていたよりも自立した方たち。でも、体育館の一般避難所で過ごすには厳しいと思われる方たちだった。『ここにいる間に身体機能を低下させてしまってはいけないので、手を出しすぎないように』と最初に言われた。ケアというよりも生活支援が必要な方たちだった」と話します。

では、どのような方たちがリデルライトホームの福祉避難所を利用していたのでしょうか。8月27日までの避難者27人の年齢と要請元は図のとおりです。

 

図の年齢や要請元にあるように、リデルライトホームの福祉避難所は高齢者だけではなく、子育て家庭も受入れています。木村さんはその受入れの流れを次のように説明します。「体育館などの一般避難所にいる保健師が避難者の状態を見て、福祉避難所へ移すことが必要と判断すると市に連絡してくる。それを受け、市からリデルライトホームに受入れの打診があり、書面でどういう方かを伝えてきて、受入れへとすすむ。市も被災者支援に手一杯で書面を作れずに電話での連絡もある。われわれが事前にわかる受入れる方の情報は漠然としたもの。受入れは、①市から避難所に迎えに行ってほしいと頼まれる場合、②避難者自身が自分たちで来る場合、③ケアマネジャーが連れて来る場合がある。新生児を抱えた親子などの子ども支援課からのケースでは、こちらでOKを出した後に子ども支援課が本人に打診すると、避難場所を変わる不安から断りが入ることもあった」と話します。

 

ケアマネジャーから引き継ぐ場合以外は、本人のそれまでの暮らしの具体的な状況はわからないのが実情です。実質的には「どんな状態でも受入れる」という姿勢で、どういった場合には難しいかを明確にしておくしかありません。特に福祉避難所の対象者は、震災前には在宅の生活が何とか成り立っていて、福祉サービスの支援を利用してこなかった人もいます。震災に伴う環境の変化と先々への不安をどう支えるかが重要です。全国からの応援職員が交替で入ってくるという支援者の出会いと別れは、もしかしたら、そうした不安を乗り越えていくための張り合いになったかもしれません。

また、要請元の図にあるように、受入れたのは熊本市内からだけではありません。福祉避難所の協定を結んでいた相手は熊本市でしたが、実際には益城町と御船町から4人を受入れています。

熊本市内からの受入れ要請が落ち着いた5月11日頃に被害の大きかった益城町、御船町などで福祉避難所が足りていない状況もあったので、リデルライトホーム側から県に「益城町などの人も受入れたい」と申し出ました。そこで、熊本市とも調整し、あくまでも本来の熊本市からの要請を優先的に受入れることを条件に益城町や御船町からも受入れて構わないということになりました。木村さんが益城町役場、御船町役場と直接話して、両町とリデルライトホームの間に契約をつくる形をとりました。

 

特に益城町は避難所が大きな体育館でした。益城町から受入れた方の中には認知症があり、落ち着かずに動き回ってしまい息子さんも見失ってしまうことがあった方もいました。リデルライトホームの福祉避難所に移ってもらってからは、こじんまりとした環境に落ち着きを取り戻してくれました。

また、木村さんは「益城町と御船町からの受入れは4人にとどまったが、震災から1か月経ってからではなく、もっと早くからこれができたら、もっと多くを受入れられたと思う。なぜかと言うと、明らかに福祉避難所の方が適していると思われる人も避難所がギリギリで運営されている状況で1か月を過ごすと、心理的にも現状維持を望んでしまう。『ここから動きたくない』という人が少なくなかった」と指摘します。また、「益城町や御船町から受入れた方は皆、町に帰れるようになることを望んでいた。いずれも家を失った方たちだった。役場の方も週に1回様子を見に来てくれるなど、町から離れる不安を町役場の職員は本当によく支えてくれた」と話します。

 

このことからも、被災地域の市町村に所在する福祉施設自体も被災することを考えると、近隣の市町村との間でこうした対応ができることを想定しておくことは重要といえます。ただし、避難者にしてみると、それまでに暮らしていた町を離れることに不安もあります。そのため、こうした対応は丁寧につくっていく必要があるともいえます。

そして、東京から応援に来た吉田さんが話すように、受入れた高齢者は比較的自立度が高い方たちでした。受入れた高齢者は21人ですが、要介護度でみると、図のような分布になっています。最も高い方で「要介護3」で、「未認定」の方は家族が介護していた方になります。特養などで定員超過による緊急受入れなどで対応する場合と異なり、リデルライトホームのような形で福祉避難所の機能を使う場合には、在宅では生活ができていたけれど、一般避難所では厳しい方、また、家族が支えきるのが難しい方という実像がここからもわかります。

 

取材先
名称
(社福) リデルライトホーム
概要
(社福) リデルライトホーム
http://www.riddell-wright.com/
タグ
関連特設ページ