(社福)マザアス 理事長 髙原 敏夫さん
地域のニーズに誠実に対応することから社会福祉がはじまる
掲載日:2021年11月10日
2021年11月号 福祉職が語る

社会福祉法人マザアス 理事長

髙原 敏夫

 

学生時代に看護を学び、その後、都内の病院で勤務しながら大学で福祉を学びました。病院では、病院事務や人事も担当しました。その病院で私が事務長だった時に、入院患者さんから「自分の資産を世話になった医療や高齢社会へ貢献するために寄附したい」との申し出がありました。すぐに準備委員会が設置され、その方からの寄附をもとに横須賀市内の土地を入手し、昭和59年に社会福祉法人をつくり、特別養護老人ホーム(以下、特養)が設立されました。

 

横須賀市内に設立した特養で地域のニーズに応える

私はこの新設の特養の施設長になり、ここから社会福祉のキャリアがスタートしました。

 

なぜ縁のなかった横須賀市なのか、それは、土地探しをする中で、この地域に高齢者福祉の大きなニーズがあったからです。行政や地域住民の福祉へのニーズや思いを目の当たりにして、ここならば、と決めました。
特養を立ち上げてから、地域の福祉ニーズにも一つ一つ誠実に対応してきました。

 

特養内のスペースを活用して、近隣の認知症高齢者を受け入れるデイサービス事業を市からの要請でモデル的にスタートさせました。スタートしてすぐに、週一回だったサービスを増やしてほしい、という利用者と家族からの強い要望を受けました。職員と共に地域を回り、利用者や家族からの在宅生活の様子を伺い、サービスを自前で週二回に増やすなどしました。また、その時に障害がある方の自宅での入浴介助の困難さを知り、施設の浴室が空いている時間を開放して利用してもらうようにしました。職員も、自分たちの施設が地域の中にある福祉の拠点であることを意識して、多様なニーズに対応することを心掛けました。

 

現在では、社会福祉法人の地域公益活動は責務と位置づけられていますが、当時の高齢者の福祉施設では画期的なことだったと振り返ります。

 

先駆的に取り組んだ「認知症ケア」と「看取り」

特養では、認知症高齢者の受入れを積極的に行いました。当時、福祉領域に「認知症ケア」が取り入れられた頃で、神奈川県の方針もあり受け入れることになりました。当時はまだ認知症高齢者は、薬物治療の対象として病院に入院するなど、医療の範疇にあるのが一般的で、困っている方や家族を「救出したい」という気持ちでした。在宅生活が困難な方のありのままの姿を受け止めて、治療の場ではなく生活の場として過ごしてもらうよう受入れをすすめ、手探りで対応しました。個室ではなく、あえて多床室を使ってもらったところ、認知症の方同士で会話がうまれるようになりました。また、職員が気持ちに寄り添う支援を意識していろいろと試し継続していったところ、認知症の方たちの周辺症状が軽減して服薬を減らし、状態を改善することにつながりました。

 

一人ひとりに寄り添う生活支援の重要性を再認識した出来事です。その頃のエピソードは無数にあり、新たな取組みの中から新たな発見がたくさん出てきます。

 

さらに、「看取り」についても意識して積極的に取り組みました。介護保険開始前の特養では、最期を迎える時には、病院に搬送してそこで臨終を迎えることが常識になっていた時代です。私は「利用者には、自分が過ごす生活の場で、家族に見守られながら最期を迎えさせてあげたい」と考えました。家族に説明し同意していただいた時には、病院への搬送をせずに、自室での看取りができるような提案をしていました。

 

死は家族や友人・知人との大きな別れですが、その方の人生が完結したことを意味する出来事でもあります。利用者の方たちに「敬意を持ってお見送りをしましょう」と呼びかけて、施設から出棺の際には、裏口からではなく、利用者も職員も大勢が一階のロビーに集まり、施設の正面玄関からお見送りをするようにもしました。「自分の最期の時もこのように送り出してほしい」と多くの方から言われました。看取りのケアを通じて険悪だった親子関係が最後に改善するケースもあります。私たちのやっていることが間違っていなかったと実感した瞬間です。

 

介護保険開始前、こういった取組みにはさまざまな困難があり、経営的にも決して順調だったとは言えませんが、大きな成果もあったと思っています。職員だけが頑張ってもうまくいきませんが、ニーズに応え、利用者・家族・地域の方たちに理解してもらって共につくり上げていくことで、より良い支援が育っていくことを経験できたのは、私の大きな財産です。

 

東久留米市に特養を設立

やがて、取組みが評価され、同じような施設をつくってほしいと声がかかるようになりました。東久留米市から依頼を受けて新しい特養を建設することになりました。東久留米市のさまざまな人との出会いがあり、何よりも福祉へのニーズの大きさを実感したことが決断の大きな要因です。新たな社会福祉法人を立ち上げて、平成7年に新しい特養がスタートしました。これが、現在私が所属している「社会福祉法人マザアス」の特養「マザアス東久留米」です。さらに、平成11年には日野市にも「マザアス日野」、平成22年には「マザアス新宿」をスタートさせました。それぞれの施設でもこれまでのように、地域の福祉ニーズに誠実に対応することを心掛けていることは言うまでもありません。

 

施設長から東社協の部会活動のリーダーに

活動の軸足を東京に移してから、東社協の老人福祉部会(当時の名称)に所属しました。自分の施設の運営・経営に責任を持つだけではなく、都内の特養や高齢者福祉分野のより良い運営・経営のための活動にも、部会を通して関わりを持つようになりました。

 

平成13年からは副部会長、平成19年から部会長として活動を続けました。

 

部会長の時には、介護サービスの大都市特有の問題を協議する首都圏高齢者福祉協議会の立ち上げや、高齢者施設福祉部会(当時の名称)とセンター部会との統合による東京都高齢者福祉施設協議会の立ち上げ、「アクティブ福祉」の活性化など、東京の高齢者福祉の推進のためのさまざまな取組みに率先して関わってきました。多くの仲間に支えられながら積み上げてきた実績が、自分自身の視野を広げることにとても役立っていると思っています。

 

2040年問題と向き合う

今、わが国では「2040年問題」が大きな課題です。「高齢者人口の急増」と「現役世代人口の急減」が重なり、社会保障をはじめ金融・農業・住宅等のさまざまな分野に大きな影響が出ることが予測されています。とりわけ介護分野への影響は深刻です。厚生労働省からは、2040年度までに「69万人の介護人材増が必要」との試算が出ています。今でも大都市の介護現場では、慢性的な人材不足が大きな課題ですが、今後さらに厳しい状況になると思われます。昨今、国等でさまざまな検討がなされています。介護現場へのITの導入、運営法人の大規模化、介護事業の効率化や他分野との一体化等です。その中で、私は「人材の確保・定着」が将来の介護サービスにとって最も重要であると思います。今後の日本の介護をどのように支えていくかを考えると、外国人介護人材の受入れも、もっと積極的に推進する必要があると思っています。やはり「福祉は人」だからです。

 

「2040年問題」は、2040年の介護現場の方たちだけで解決する問題ではなく、今から社会全体で真剣にこの課題と向き合ってもらいたいと考えています。

 

将来の介護サービスがより良質で安定したものであるために、そして、誰もが安心して利用してもらえる介護サービスであり続けるために、ニーズに応え、これからも尽力していきたいと思っています。今、福祉や介護に携わる皆さんにも、目の前にあるニーズに誠実に対応することを大切にし、日々を積み重ねてほしいと思います。

 

(令和3年9月30日 東社協でのインタビューをもとに編集)

 

  • 社会福祉法人マザアス 理事長 髙原 敏夫
  • <経歴>
  • 昭和35年 東京衛生病院勤務
    昭和59年 社会福祉法人三育会 特別養護老人ホームシャローム 施設長
    平成6年 社会福祉法人マザアス 常務理事
    平成7年 特別養護老人ホームマザアス東久留米 施設長(~H.25)
    平成19年 東社協高齢者福祉施設部会 部会長(~H.25)
    平成20年 社会福祉法人マザアス 理事長
    平成26年 東社協経営者協議会 副会長
    平成29年 東社協総合企画委員会 委員
取材先
名称
(社福)マザアス 理事長 髙原 敏夫さん
概要
(社福)マザアス
https://www.moth.or.jp/
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