小規模多機能型居宅介護事業所「いつでんきなっせ」・ 熊本県DCAT及びライフサポートチーム
DCATの活動を通して見えた「地域に戻ったあとの生活を見通して関わる」ライフサポートの視点
掲載日:2018年3月26日
ブックレット番号:6 事例番号:58
熊本県熊本市/平成29年3月現在

 

熊本県DCATの活動

(1) DCATとは

DCAT(Disaster Care Assistance Team)とは、災害派遣福祉チームを表します(DWAT:Disaster Welfare Assistance Teamで表されることもあります)。医師や看護師らが被災した地域で活動を行うDMAT(=災害派遣医療チーム)の福祉版ともいわれています。

東日本大震災で高齢者を中心に、長引く避難生活のストレスが原因で震災関連死が相次いだことなどを受け、避難後における高齢者や障害者等の要配慮者が避難所において十分なケアが受けられずに生活に支障をきたすことが想定されることから、東日本大震災以降、各地で整備がすすんでいます。国が主導するDMATと違い、法的位置づけはありません。

 

DCATは、社会福祉士や介護福祉士などで構成され、被災自治体からの要請で派遣されます。具体的な活動内容は、被災地の福祉ニーズを把握したうえで、避難所での緊急介護や衛生対策、生活環境の改善、相談事業を行うことなどが想定されています。

また、発災から時間の経過とともに被災要配慮者のニーズも変化していくことから、中長期的な活動も視野に入れ、避難所などで介護や福祉のサービスを行います。

熊本県は、県老人福祉施設協議会等に呼びかけて協定を結び、「熊本DCAT事業」を平成24年度より開始しています。

これまで600人以上の専門職が登録し(平成26年6月時点)、災害時の注意点や配慮すべき点等を研修で学び、いざという時に備えていました。

 

 

(2) 熊本地震におけるDCATの活動

熊本県DCATでは、まず先遣隊が被災地の様子を見に行き、ニーズ把握、地元からの要請の有無を確認することになっています。

熊本地震の発災直後は、DCAT登録者に対して派遣待機が指示されたものの、その後派遣解除となりました。しかし、川原さんは「本当にDCATの派遣の必要はないのか」と、自らの足で実際に避難所を見て回ってみることにしました。

益城町の東部は昔からこの場所に住み続けている人が多く、要介護者等についても、家族介護がベースになっているケースが少なくありません。そのような地域特性のとおり、一般避難所では在宅の要配慮者が家族とともに避難所に避難している姿が多くみられ、川原さんは「一般避難所でも介護者と夜勤者が必要だ」と感じました。そして、「在宅の方の支援は、私たち小規模多機能型居宅介護事業者の大事な役割。動ける人だけでも支援に入ろうと思った」と話します。

 

前述のようにDCATの協定を結んでいる団体の多くが被災し、それぞれの支援活動に追われたため、4月17日に県はいったん登録者への待機指示を解除しました。そこで川原さんは、熊本県地域密着型サービス連絡会チームとして手を挙げました。それを受け、熊本県は4月25日付けで同チームにDCATの派遣要請を行い、同時に派遣を打診してくれていた岩手県の災害派遣福祉チームにも派遣要請を行いました。

そうして4月28日から、東日本大震災を経験した岩手県チームと、土地勘のある熊本県チームが連携し、避難者の相談、入浴介助、高齢者の運動サポート、要配慮者の見守り等の支援をはじめました。

2つのチームはまだ支援団体が入っていなかった「益城町交流情報センター ミナテラス(町が運営していた熊本県益城町の避難所)」を拠点にしながら、町内各避難所を回って要配慮者の支援を行いました。

川原さんは「今回、保健師さんたちが全国からすぐに熊本へ駆けつけてくれた。京都や兵庫、岡山などの保健師さんたちの活動はとても頼もしかった」とふり返ります。

 

DCATは、岩手県の業務を引き継ぐ形で、5月初旬には京都府の災害派遣福祉チームへ県から派遣要請を行い、5月13日から5月末まで京都府チームと熊本県チームで活動しました。

熊本県DCATのメンバーは、「熊本県DCAT」と書かれたピンク色のビプスを着用して避難所等へ支援に入りました。「ピンクのビプスの人=熊本県DCATの人」と認識でき、避難者にとって身元がわかる人たち、安心できる存在になれるようにしました。

 

平成28年熊本地震におけるDCAT活動開始までの経緯

 

 

避難所や事業所支援は地域と地域の要配慮者を支えること

4月25日~5月31日は、「緊急的支援から、通常時へ戻すための支援」として、活動者6人+コーディネーター+地元メンバー2~3人に加えて岩手県DCATがチームとして支援を行いました。活動者6人の内訳は、小規模多機能型居宅介護事業者関係団体や、グループホーム団体連合会、災害福祉広域支援ネットワーク・サンダーバード等のメンバーです。当初、全国からの派遣者の宿泊所は益城町のそばになく、チームのメンバーは毎日2時間かけて通っていました。

宿泊所で支援者がともに食事をとりながら、支援の方法を話し合う中で、考え方の統一やイメージの共有、支援の方向性がつくられていき、「益城町の事業所を支援することは、事業所のある地域を支援するということ」、「一般避難所の支援をすることは、事業所が支える地域の在宅要配慮者を支援するということ」という共通の認識のもとに活動しました。

川原さんは「各避難所を回る際は、その避難所にいる保健師との協力が必須。しかし、大きな避難所になるほど情報の集約が難しい上、保健師同士の引き継ぎが円滑にされていないことがあった。また、発災直後は全体の被害状況を把握することはとても難しい。すべての避難所の場所を把握することさえも困難だったため、全体像がつかめないままの活動になり、DCATとして想定していたような動きはできなかった」と、情報収集や共有の難しさを話します。

いつでんきなっせ理事・統括管理者の山下順子さんは、「ただ目の前の人を支えたいだけだった」と避難所での支援をふり返ります。

 

当時ミナテラスでは行政、DCAT、他県からの保健師、施設職員等で最大200人の避難者を受け入れました。山下さんや川原さんは、ここに避難している人たちが地域での生活に戻る日のために、長引く避難生活の中でも避難者が自立を忘れないような声かけをするように心がけていました。

例えば、ミナテラスでは、「一緒にやろう」、「でも、できることは自分でやってね」と伝え、支援する側が必要以上に手を貸しすぎないように気をつけていました。

 

いつでんきなっせ代表 川原秀夫さん(左)

いつでんきなっせ理事・統括管理者 山下順子さん(右)

 

取材先
名称
小規模多機能型居宅介護事業所「いつでんきなっせ」・ 熊本県DCAT及びライフサポートチーム
概要
特定非営利活動法人 コレクティブ
http://www.kinasse.jp/

しょうきぼどっとねっと―全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会
http://www.shoukibo.net/

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