福島県福島市/平成24年3月現在
地震が発生したときは午睡の時間でしたが、福島県内の保育所では、園にいた子どもは全て安全に避難することができました。地震と津波そのものによる被害は全壊が2園、液状化による休園が2園でした。しかしながら、その後の福島第一原発の事故に伴う影響が大きくのしかかっています。
福島県保育協議会(以下、「県保協」)は、県内を5つの支部に分けて活動しています。そのうちの第一原発周辺の相双支部の役員がようやく県保協の会議に出席できるようになったのは11月末でした。県保協会長の川口孝司さん(のぞみ保育園園長・会津若松市)は、「相双支部の保育所は広域避難で分散したり、とどまったところも大変な状況にあったため、その実情を把握するのが非常に難しかった」と話します。
緊急時避難準備区域に子どもが残った
相双支部にある南相馬市では、原発事故によって市内の小高・原町・鹿島地区のうち小高が立ち入ることのできない「警戒区域」、原町が「緊急時避難準備区域(9月末に解除)」となりました。被災直後は南相馬市内の全ての保育所が休園となり、休園している間は保育士も避難所の炊き出しに追われました。
その後、市内に残って働く人たちの保育需要に応じるため、5月6日に公立2園が臨時開園するとともに、私立3園が合同で地域の公民館を借用して臨時開園しました。
11月末の県保協の会議に出席した南相馬市の保育所の園長や保育士たちは「過酷な保育状況だった。保護者は、臨時開園した園に子どもを預けて市内で従事することに『仕事のためとはいえ、小さな子どもを抱えて、ここにとどまってよいのか…』という葛藤に苦しんでいた。未だに市内には小児科医がいない。保育所の子どもたちは限られた屋内のスペースで時間を決めて交替で遊んでいるが、やはりその時間になるといきいきとした表情になる。かけっこや鬼ごっこをさせてあげられないのが非常に苦しい。秋にお母さんが『リレー、見たかったな…』とつぶやいたのが切なかった」と話します。
そして、避難に伴い減ってしまった園児が戻ってくるのか、先行きの見通すことのできない不安を抱えています。
園児の発達への影響が危惧される
福島県内では放射線の子どもへの配慮のため、会津地区を除く保育所が外遊びを見合わせた保育を強いられました。県保協副会長の國井隆介さん(エムポリアム並木保育園園長・郡山市)は、「外遊びの不足による園児の発達への影響が危惧される。それは体重の増加率が例年の半分にとどまるなどのデータにも出てきている。木の実や落ち葉で遊んだり、雪遊びができないなど、自然との遊びが閉ざされるのは、子どもの成長と発達を支援する保育所にとって厳しい状況だ。発達段階ごとのその時期にしか感じることのできない自然に対する経験の不足は、後からでは埋めることができない」と指摘します。
國井さんの保育所では、震災発生時、午睡していた子どもを園庭に避難させましたが、ちょうど雪が降ってきたため、一つの部屋に子どもたちを集めて毛布で暖を取りました。保護者と連絡をとることができず、ただ待つだけでした。翌日以降、施設の安全確認の間、休園しました。給食にもめどが立った3月23日には再開し、4月には法人で自主的に園庭の表土を張り替えました。しかしながら、外遊びについて保護者にアンケートをとったところ、3~4割の保護者が不安視していたことから、全員の外遊びを見合わせています。夏にはプールでの水遊びもできませんでした。それでも、屋内のホールで壁にマットを置いたり、力を出せる遊びに苦心しています。バスの無料貸出しの支援を受けて、県外への遠足も3回、実施してきました。
さらに、県保協会長の川口さんは「食べ物の安全性を簡易でもよいから園が自ら検査できる体制が必要だ。自分たちで保護者に『安全ですよ』と言えるようにしたい。また、私立の保育所では代替の場所の確保、補修や除染が経営上の課題となっている」と話します。
先が見えない不安の中、限られた条件のもと、子どもの発達と保護者の安心に保育所は懸命に応えようとしています。