都内に住むSさん
いつか「聴く」ことができると信じて
掲載日:2022年9月14日
2022年9月号 くらし今ひと

趣味の自転車を退院後も続けています

 

あらまし

  • 都内に住むSさんは、2021年に脳出血を患い、後遺症として失語症が残りました。入院前後の生活や気持ちに起きた変化などを伺いました。

 

 

突然脳出血で倒れて入院

私は脳出血で倒れるまで、普通の会社員をしていました。いわゆる中間管理職で、定年まであと4年という年齢でした。週末はロードレーサータイプの自転車に乗り、いろいろな場所に行きました。体力もある程度ついていたと思います。

 

2021年2月に突然脳出血で倒れました。発症後1週間くらいは寝たきり状態でその時の記憶もありませんでしたが、だんだん意識が戻りました。でも気が付くと右半身が自由にならない状態でした。「これは困ったな。でもいつかは動いて何とかなるだろう」と楽天的に考えていました。(実際には寝たきりに近く、思うように動かない、話せない状態でした)

 

そのうち先生から「さあ、明日からリハビリを始めるよ!」と言われ、1日に3~4回のリハビリが始まりました。運動好きなこともあり、苦ではありませんでした。日に日に筋肉の動きが戻ってくる感じがあり、嬉しいというか不思議な感覚でした。

 

リハビリは、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の方々がメニューを組んでくれました。リハビリメニューを見て私は「自分は比較的元気でもっとできる」と思い込み、より負荷のある内容を要望しましたが、それを反映してくださりました。負荷をかければ少しでも早く良くなるのではないかと考えたからです。しかし、新型コロナが院内で感染拡大し、リハビリをサポートしてくださっていた方たちが2週間自宅待機となってしまいました。リハビリができなくなってしまい、正直弱気になりました。

 

「これは困った」と思い、入院仲間で比較的仲の良かった方とお話しし、毎日病院内の廊下でウオーキング、腹筋、スクワットなどをしました。結果的に退院するまでその方と「自主トレ」という名目で続けることになりました。「継続は力なり」の言葉通り、リハビリをすることで少しずつ体力がついていきました。また、忙しそうにしていた看護師の方々も声掛けしてくださり、勇気をもらいました。

 

 

聞こえるのに話の内容が理解できない

しかし、脳出血の影響で「失語症」という障害が残りました。病気になるまで知らなかった障害です。具体的には「聴く」「話す」「読む」「書く」の全部または一部に影響が出て、普通の生活に困るようになります。失語症を例えると、「自分だけ海外の街角に一人置いてきぼりにされたみたい」と表現する人もいるそうです。

 

私の場合は特に「聴く」ことに困っています。

 

初めておかしいなと思ったのは病院のロビーで他の患者さんとテレビのお笑い番組を見ていた時でした。「自分だけ笑っていない、なぜ?」と思い、先生に相談したところ「MRI検査をしましょう」となりました。「誰が話しているのかは理解しているのに、その声の意味が解らない⁉」という状態でした。ただ、字幕など文字を一緒に見れば問題ありません。話すことは普通にできます。先生から「それが失語症の特徴の一つです」と説明があり、ようやく冷静に理解・納得した気がします。

 

もちろん「これからどうしよう」「もうだめなんだ」とネガティブな気持ちになったのも事実です。でもなってしまったことは悩んでも仕方ありません。すすんだ時間だけは平等です。「後は何ができるのか、前向きに受け止めていくんだ、それしかないよ」と考えました。

 

退院後、会社復帰に向けて

退院が迫っていた頃、自宅に戻った後失語症のリハビリをどのようにしていくのか分からず不安でした。しかし、退院前に今後のリハビリ計画について、説明があったため、不安の種も小さくなった気がします。

 

退院後、妻に助けてもらいながら、会社の人事部と「会社復帰」の時期を相談しました。幸い会社・同僚の理解があり、在宅勤務と出社を組み合わせる勤務方法で、退院後3か月程で「会社復帰」を果たすことができました。以前のように営業部門で仕事をこなすことは実際には難しいですが、リハビリの継続により、「いつかは戻る」という気持ちを忘れずにいます。

 

また、並行してケアマネージャーさんに「会社復帰」に向けてのケアプランを立てていただき、生活パターンを組み立てていきました。今は言語聴覚士の方による訪問リハビリを受けています。また、最近は地域の失語症友の会にも参加しています。

 

 

いつか「聴く」ことができると信じている

不幸にも脳卒中が突然やってきて、その後遺症で失語症になりました。入院中、周りの方を見ると同じ脳卒中でもそれぞれ異なる症状を抱えた方もいたように思います。「脳卒中による麻痺などで生活に苦労する人に比べれば、自分は体を動かせる方だ。自分はまだまだ生かされているのだな」と強く思い、プラスに考えています。

 

会社員時代から大事にしていた言葉があります。タイ語で「マイ ペン ライ」。“なんでもない、大丈夫‼”という意味です。「(物事を)投げずに、めげずに、あきらめずに続けていけばきっと」、という気楽な気持ちでこれからもリハビリを続けていきたいと思います。

 

「話す」ことは、リハビリにより失語症になる前の「話す」に近くなっている実感があります。きっと「聴く」もリハビリを続ければ、いつかは必ず「聴く」ことができると信じている思いは変わりません。

 

突然脳出血で倒れて入院

私は脳出血で倒れるまで、普通の会社員をしていました。いわゆる中間管理職で、定年まであと4年という年齢でした。週末はロードレーサータイプの自転車に乗り、いろいろな場所に行きました。体力もある程度ついていたと思います。

 

2021年2月に突然脳出血で倒れました。発症後1週間くらいは寝たきり状態でその時の記憶もありませんでしたが、だんだん意識が戻りました。でも気が付くと右半身が自由にならない状態でした。「これは困ったな。でもいつかは動いて何とかなるだろう」と楽天的に考えていました。(実際には寝たきりに近く、思うように動かない、話せない状態でした)

 

そのうち先生から「さあ、明日からリハビリを始めるよ!」と言われ、1日に3~4回のリハビリが始まりました。運動好きなこともあり、苦ではありませんでした。日に日に筋肉の動きが戻ってくる感じがあり、嬉しいというか不思議な感覚でした。

 

リハビリは、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の方々がメニューを組んでくれました。リハビリメニューを見て私は「自分は比較的元気でもっとできる」と思い込み、より負荷のある内容を要望しましたが、それを反映してくださりました。負荷をかければ少しでも早く良くなるのではないかと考えたからです。しかし、新型コロナが院内で感染拡大し、リハビリをサポートしてくださっていた方たちが2週間自宅待機となってしまいました。リハビリができなくなってしまい、正直弱気になりました。

 

「これは困った」と思い、入院仲間で比較的仲の良かった方とお話しし、毎日病院内の廊下でウオーキング、腹筋、スクワットなどをしました。結果的に退院するまでその方と「自主トレ」という名目で続けることになりました。「継続は力なり」の言葉通り、リハビリをすることで少しずつ体力がついていきました。また、忙しそうにしていた看護師の方々も声掛けしてくださり、勇気をもらいました。

 

聞こえるのに話の内容が理解できない

しかし、脳出血の影響で「失語症」という障害が残りました。病気になるまで知らなかった障害です。具体的には「聴く」「話す」「読む」「書く」の全部または一部に影響が出て、普通の生活に困るようになります。失語症を例えると、「自分だけ海外の街角に一人置いてきぼりにされたみたい」と表現する人もいるそうです。

 

私の場合は特に「聴く」ことに困っています。

 

初めておかしいなと思ったのは病院のロビーで他の患者さんとテレビのお笑い番組を見ていた時でした。「自分だけ笑っていない、なぜ?」と思い、先生に相談したところ「MRI検査をしましょう」となりました。「誰が話しているのかは理解しているのに、その声の意味が解らない⁉」という状態でした。ただ、字幕など文字を一緒に見れば問題ありません。話すことは普通にできます。先生から「それが失語症の特徴の一つです」と説明があり、ようやく冷静に理解・納得した気がします。

 

もちろん「これからどうしよう」「もうだめなんだ」とネガティブな気持ちになったのも事実です。でもなってしまったことは悩んでも仕方ありません。すすんだ時間だけは平等です。「後は何ができるのか、前向きに受け止めていくんだ、それしかないよ」と考えました。

 

 

退院後、会社復帰に向けて

退院が迫っていた頃、自宅に戻った後失語症のリハビリをどのようにしていくのか分からず不安でした。しかし、退院前に今後のリハビリ計画について、説明があったため、不安の種も小さくなった気がします。

 

退院後、妻に助けてもらいながら、会社の人事部と「会社復帰」の時期を相談しました。幸い会社・同僚の理解があり、在宅勤務と出社を組み合わせる勤務方法で、退院後3か月程で「会社復帰」を果たすことができました。以前のように営業部門で仕事をこなすことは実際には難しいですが、リハビリの継続により、「いつかは戻る」という気持ちを忘れずにいます。

 

また、並行してケアマネージャーさんに「会社復帰」に向けてのケアプランを立てていただき、生活パターンを組み立てていきました。今は言語聴覚士の方による訪問リハビリを受けています。また、最近は地域の失語症友の会にも参加しています。

 

 

 

いつか「聴く」ことができると信じている

不幸にも脳卒中が突然やってきて、その後遺症で失語症になりました。入院中、周りの方を見ると同じ脳卒中でもそれぞれ異なる症状を抱えた方もいたように思います。「脳卒中による麻痺などで生活に苦労する人に比べれば、自分は体を動かせる方だ。自分はまだまだ生かされているのだな」と強く思い、プラスに考えています。

 

会社員時代から大事にしていた言葉があります。タイ語で「マイ ペン ライ」。“なんでもない、大丈夫‼”という意味です。「(物事を)投げずに、めげずに、あきらめずに続けていけばきっと」、という気楽な気持ちでこれからもリハビリを続けていきたいと思います。

 

「話す」ことは、リハビリにより失語症になる前の「話す」に近くなっている実感があります。きっと「聴く」もリハビリを続ければ、いつかは必ず「聴く」ことができると信じている思いは変わりません。

 

 

 

書き取りの練習の様子

 

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都内に住むSさん
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