(社福)いいたて福祉会
全村避難の中、事業継続の決断をした特養は~この場所にとどまることで利用者の命と笑顔を守りたい~
掲載日:2018年6月1日
ブックレット番号:7 事例番号:72
福島県/平成30年3月現在

目に見えない原発の恐怖

いいたてホーム施設長の三瓶政美さんは、「地震によるホームへの建物被害はそこまで大きくなかった。電気や水、食糧も何とかなった。しかし、その時はまさか1か月後に全村避難になるとは思ってもみなかった」と当時をふり返ります。

地震の発生翌日である3月12日、東京電力福島第一原発1号機、続いて14日に同原発3号機が水素爆発を起こしました。しかし、飯舘村で高い放射線量が観測されたことは村民には知らされないまま、時が過ぎていきました。

飯舘村は、第一原発から30km以上離れています。職員の多くは「ここは原発から離れているから心配ない」と安心していました。しかし、後になって3月15日の村役場前の放射線量が44.7μ㏜/hであったことが分かりました。第一原発から30kmを越えた飯舘村にまで放射性物質が降雪とともに降り注いでいたのです。

 

当時は何が本当なのか、正しい情報が分からず、さまざまな情報が錯綜していました。やがて近隣市町村が避難する中、3月末になると村でも自主避難の動きが出はじめるとともに、ホームの職員の中にも自主避難をする者が出てきました。そして3月31日に20名の職員が退職しました。

 

表1 各地点の放射線量     (単位:μ㏜/h)

 

 

 

 

 

 

 

表2 職員の動向

 

目に見えない放射線被害。4月に入ると国際放射線防護協会(ICRP)と国際原子力機関(IEAE)から、「現状では飯舘村を計画的避難区域にすべき」という勧告が出され、4月22日、飯舘村は全村が計画的避難区域(※1)に指定されました。

 

  •  
  • ※1 計画的避難区域
  • 事故発生から1年の間に累積線量が20m㏜に達する恐れのある地域において、住民の被ばくを提言するために設定された。

 

 

 

        福島復興ステーション「平成23年4月22日の避難指示区域」を一部加工

 

取材先
名称
(社福)いいたて福祉会
概要
(社福)いいたて福祉会
http://www.iitate-home.jp/
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