(社福)広葉会 特別養護老人ホーム「リリー園」
地域の高齢者やその家族が安心して故郷で暮らし続けられるように、またあの場所で~避難指示を受けた特養の事業再開までの道のり~
掲載日:2018年6月29日
ブックレット番号:7 事例番号:76
福島県/平成30年3月現在

 

突然の避難指示

平成23年3月11日。東日本大震災が発生してすぐに、一般避難所に指定されていたリリー園には地域住民がどんどん避難してきました。施設が高台にあるため、津波の心配はありませんでしたが、近くの木戸川が逆流しました。

交流スペースであるロビーはあっという間に40名を超える住民でいっぱいになりました。余震は夜中でも構わず長く続き、「怖いから泊めてほしい」と訴える地域の高齢者もいました。

リリー園では、自家発電の機能を活かすことで、ライフラインには大きな問題はありませんでした。また、59名の職員(介護職員は34名)のうち、26名が駆けつけてくれました。地震翌日の3月12日は、33名の職員が施設に集まりました。

 

福島第一原発1号機が爆発した翌日、3月12日の早朝でした。町役場の職員から「避難になるかもしれない」と告げられました。施設長の永山さんは、「高齢者の避難はできない」と避難により予想される利用者の健康へのリスクを訴えましたが、「命最優先で逃げてくれ」というのが役場からの指示でした。そのようにして原発から半径20キロ圏内の楢葉町は「警戒区域」に指定され、緊急的な避難を強いられることになったのです。

その日の午前中から、80名の利用者を2グループに分け、いわき市へ避難することになりました。移動距離は20km以上、渋滞もあったため3~4時間かけての避難となりました。第1グループは施設の車と職員の車を使い、第2グループは町のバスで移動することになりました。

町のバスは高齢者の避難には不向きでした。1人の利用者を乗せるのに4~5名の職員が必要でした。人手が足りなくなり、町の消防団に手伝ってもらいました。普段寝たきりの利用者は、バスの補助席部分を倒し横にして対応するしかなく、おむつ交換もその場でしなければなりませんでした。避難には車いすが必要であり、車椅子運搬用車両の提供を役場に申し入れを行いましたが、都合がつかず、職員の家族が保有する軽トラックで30台分だけ運びました。

 

一次避難先であるいわき市内の小学校や中学校をめざす道中では、震災の影響による通信障害から携帯電話が不通となり、2グループ間でうまく連絡を取り合うことができませんでした。

このため、当初は町からの「リリー園は草野中学校に避難してください」という指示に従いましたが、到着するなり、「リリー園分はありません」と告げられ、中央大南小学校へ向かうことになりました。第2グループは予定通り草野中学校へ避難できることになりましたが、通信障害から両グループ間でやりとりが不能となり、結果としてバラバラに避難行動をする結果となりました。

 

 

福島復興ステーションの図を加工し作成

 

取材先
名称
(社福)広葉会 特別養護老人ホーム「リリー園」
概要
(社福)広葉会 特別養護老人ホーム「リリー園」
http://lily-en.com
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