(社福) 慶信会 城南学園・第二城南学園
「避難後の訓練」と「広域ネットワーク」の重要性に気づいた熊本地震
掲載日:2018年8月8日
ブックレット番号:7 事例番号:79
熊本県/平成30年3月現在

「利用者のルーティンを崩さない」ことを目標にルーティンを崩さない」ことを目標に

B棟が使えなくなったことで、利用者24名の生活の場がなくなってしまいました。水道やガスの配管も損傷したので、入浴や食事の対応も考えなければいけません。「当たり前」にあった設備やいつもの生活は震災で大きく変わりました。城南学園所長でサービス管理責任者の井上砂緒里さんは、「今まで使えていた物がまったく使えなくなったのが大変だった。職員自身も被災している中、最初の1週間が特にきつく、毎日『どうしよう』の繰り返しだった」と、当時をふり返ります。

職員の勤務調整や情報・物資の調整等を行う災害対策本部を発災後に立ち上げましたが、混乱の中、あまり機能しませんでした。「避難訓練は定期的に行っていて、避難さえすれば大事に至らないと思っていたが、被災後の生活を想定した訓練も必要だということを実感した。『施設が被災すると、何が使え、何が使えなくなるのか』、『利用者はどのようなことを不安に感じるのか、どんな声かけをしていけばいいのか』『生活や食事の場はどこにするか』『マスコミ対応は誰が窓口になるか』など、被災後に対応しなければならないさまざまなことに、被害に遭ってから初めて気がついた」と、井上さんは話します。

園では「利用者のルーティンを崩さないこと」を目標に掲げました。これは元通りの事業運営を行うこと、すなわち「事業の早期再開」でもあります。その目標のもと、まずは形だけでも整えていこうという想いで、一つずつ復旧に向かって取りかかり始めました。

 

生活の場は、損傷がありながらも使うことができたA棟と、被害のなかった生活介護事業所「サポート」の建物を使いました。はじめは男女の生活空間を1階と2階で分けることも考えましたが、仕切りやカーテンなどを使って個人のスペースが確保できるように配慮しつつ、男女ともに1階で生活することを選択しました。数えきれないほどの余震が毎日続く中、もしものときにすぐ避難できることを最優先に考えたためです。

入浴は約40km離れた八代市の障害者支援施設の設備を借りに行きました。食事は、調理場が使えるようになるまではガス会社からプロパンガスをレンタルし、渡り廊下で調理しました。食事時間は今までの時程にこだわらず、その時々で調理担当と寮担当が相談しながら柔軟に対応していきました。

 

「サポート」1階に仕切りを設けて個人スペースを確保

 

日中活動は、震災の翌日から多くの利用希望がありました。そこで早急に受入れ体制を検討し、震災の翌週から再開することにしました。活動内容は、まだ災害の爪痕が色濃く残る中、震災後の設備状況でできることを工夫していきました。

生活介護事業のEMボカシづくりで製品を乾かす工程では、使えなくなった乾燥機の代わりに天日干しをすることにしました。1日で乾く乾燥機と異なり、時間は1週間かかりますが、手作業のため利用者が中心となって作業をすることができます。日中活動に使用していた体育館は、箪笥などの大きな家具を移していて場所が狭くなっていたので、日光浴や数人でのドライブなど外での活動を段階的に取り入れていきました。倒壊した建物を間近に見ながら生活をしていた利用者にとって、日の光に当たることや外に出ることはリフレッシュにもつながりました。

 

他にも、いつもは利用者が自動販売機で好きな飲み物を買う「ジュース休憩」を、自動販売機がある場所まで移動することが難しくなったので、職員が自動販売機をスマートホンで撮影し、その画像から好きな飲み物を選んでもらい、代わりに買いに行く形に変更するなどしました。安全と衣食住を確保しつつ、利用者のニーズにこたえる方法を考えていきました。

 

取材先
名称
(社福) 慶信会 城南学園・第二城南学園
概要
(社福)慶信会 城南学園・第二城南学園
https://www.keishinkai-jyounan.or.jp/
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