NPO法人Jin
避難指示解除の日。それは、昨日から続く今日。そして、復興の明日への通過点 ~震災前からの「利用者主体と地域生活」の理念を貫く~
掲載日:2018年9月12日
ブックレット番号:7 事例番号:82
福島県浪江町/平成30年3月現在

事業所が休止となっても、大切にしてきた理念を貫く

NPO法人Jinは、平成17年に「既存の制度の枠組みにとらわれず、自分たちのめざしたい事業所を作ろう」と、浪江町で3名のメンバーが立上げ、震災が起きる間は、「利用者主体と地域生活」を理念に、障害のある人、子ども、高齢者の日中活動やデイサービス、リハビリなどを行っていました。約1万㎡の畑では、無農薬、無肥料で野菜を栽培し、鶏、ヤギ、ウサギなどを飼っていました。

ところが、平成23年3月11日に起きた東日本大震災、そして東京電力福島第一原発の事故により、3月14日午前に原発から半径10キロメートル圏内の全域、その日の午後には浪江町の東部全域が含まれる半径2km圏内に避難指示が出されました。事業所は原発から7.2kmの距離にありました。けれども、後に避難指示区域が再編された際に、「避難指示解除準備区域」となったように、事業所のあった場所は実際には、原発事故による影響が少ない土地でもありました。それでも、震災から2年間は町に立ち入ることができず、いつしか豊かな田園風景は荒れ果てた大地へと変わってきました。

 

浪江町から避難しなければならなくなったとき、通所事業所を営んでいたJinは、利用者と一緒に西へ西へと遠く猪苗代町まで避難しました。そして、3月22日に最後の利用者を家族のもとへ送り届けるとともに、想いを込めて立ち上げた事業所は「休止」の状態となりました。

そして、浪江町から遠く離れた避難生活を過ごす中、職員、そして、職員の子からも元気をなくした親の姿をみかねて、「事業所を再開してほしい」という声が上がるようになりました。そこで、Jinでは、みんなで話し合い、「2年間は、浪江町を離れて避難した人たちの支援を頑張ろう。その後は、一人ひとりが自分のしたいことをすればよい」と決めました。それは、目の前にあることに対して、まずは自分たちにできることに力を合わせて取組まなければならない。そのことに職員が一丸となって、まずは歩み始め、2年間という目標の先には、それぞれの想いを大切にしようとするものです。

 

Jinでは、10月3日から避難先である仮設住宅にサポートセンターを開設し、避難者を支える取組みを始めました。このサポートセンターは、厚生労働省老健局が、震災後の平成23年4月に『応急仮設住宅地域における高齢者等のサポート拠点等の設置について』を示し、仮設住宅にサポートセンターを併設し、総合相談機能やデイサービス、サロンなどの機能を持たせようとしたものです。NPO法人Jin事務局長の清水裕香里さんは、「代表から『デイだけをやるんじゃない。高齢者のためだけじゃない』と言われ、自分たちがやらなきゃいけないことに気づかされた」と、サポートセンターを始めた当時をふり返ります。「0歳から高齢者まで、困っていることを見つける。でも、困っていることは変化する。同じことをし続けないようにしようと思った」と話します。

 

川村さんは、「当初の緊急性が高い時期には、生活が困らないようにしなければならない。でも、1年くらいすると、いかに自立するかが大切になる。手厚い支援は、自立を妨げるものにもなりかねない。サポートセンターは、自由な発想ができ、何でもできてやりやすかった」と話します。そこには、そもそも「福祉」が大切にしたい視点が込められています。目の前にあるニーズに向き合いながらも、先行きを見据えた関わりができること。災害の有無にかかわらず、また、制度にとらわれずの「福祉」ならではの本来の関わりであり、むしろ、「自立」をめざさなければならない時期にこそ、「福祉」の真価が問われます。Jinがこの取組みができたのは、震災後に事業所としての形態が変わろうとも、やろうとしたことが同じだからでした。震災前の平時から大切にしてきた理念を貫いたからこそといえます。

浪江町サラダ農園にて

右:NPO法人Jin代表 川村 博さん

左:事務局長 清水 裕香里さん

取材先
名称
NPO法人Jin
概要
NPO法人Jin
浪江町サラダ農園
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