発災から約半年がたち・・・
郡家地区のブルーシートが点在する様子
平成30年11月現在、半年近くが経ちましたが、地震では見えなかった被害が台風で壊れて顕在化することもありました。半年経ってもなおブルーシートが点在しています。工務店などの業者に頼むと「2~3年待ち」と伝えられ、市内の業者が不足し遠方の業者にも依頼しても順番待ちの状態です。
一方、修繕をあきらめる家屋もでてきました。アパートなどの賃貸物件でも、修繕ができず、そのまま解体となるケースがあり、入居していた高齢者から引っ越しや施設入所の相談を受けることもあります。また、地震をきっかけに、心配になった独居高齢者やその家族から施設入所などの相談もありました。
発災当初は、身体は大丈夫との返事があった方も、落ち着いた頃に訪問すると「実は・・・2階の仏壇が倒れて。助けてほしい」と伝えてきたケースもありました。「半年ぶりに2階にあがり部屋のひどい状態を見たら、発災当時を思い出して、片付ける気力がでてこない。できれば、片付けを手伝ってほしい」といった不安が後から出てきます。
德留さんは、「今の高齢者は、迷惑をかけてしまうからと我慢してしまう世代。自宅の状況などを一緒に確認しながら、お話をうかがうと、徐々に話してくれる。『不安ですよね』と声をかけると、ようやく具体的に『夜は不安で・・・』と。当初はご近所の方と緊張感をもちながら頑張ることができ、一息ついた今頃の支援が大切。地震、台風後は密に連絡を取るようにし、声をかけあい、訪問している。民生児童委員や自治会へもお願いし、みんなの目があるようにした」と話します。
高齢者の自助意識の高まり
今回の地震を通じて、高齢者自身の危機に対する意識は高まったようです。地震後に相次いだ台風では、自分の身は自分で守るという気持ちに意識が向いた高齢者も多くいました。例えば、2回目の台風のときは、移動できるうちに早めに避難所へ避難し、さらに、近隣同士で誘い合って避難してくる高齢者が増えました。
高槻市健康福祉部長寿介護課職員も「以前より台風に備えて避難所に来る人が増えた。避難所へ来るとみんながいるから安心だという声も聞かれる」と話します。
「顔の見える関係」づくりを目指して
こうした取組みを通じて、さまざまな気づきや課題が見えてきました。見守りが必要なひとり暮らしの高齢者に対して、複数の機関から安否確認の連絡が入っていました。しかし、本人からは同じ質問が重複したことへの不満は聞かれませんでした。それは、高齢者の地域での暮らしを見守る目が多くあるということでもありました。
地域の中で、近隣住民同士が声をかけあい、つながっていることも再発見しました。地震前は普段のつながりは希薄だと思っていましたが、ガスが停まった発災当日は、地域で声をかけあい乗り切った、大丈夫だったと聞きました。高槻市は大阪府内で一番介護保険料が低く、介護予防に力を入れていました。元気な自治会も多く、地域の助け合いが機能していることもわかりました。
「地域のことは地域が一番よくわかっている。センターの役割として、これからも地域のニーズを汲み取りながら、見守り体制を強化し、居場所づくりなどを通じて、地域での活動と啓発をすすめていきたい」と德留さんは考えています。それは、「顔の見える関係」、さらに「地域づくり」、そして近隣住民で助け合い自立しながら暮らし続けるために、地域の力をつけていくことだと思います。
http://www.osj.or.jp/takatsuki/zaitakus/index6.html