(社福)みどりの町
目の前のことを解決することが精一杯な状況でも日常をとり戻すまでの道のり
掲載日:2019年1月10日
広島県三原市/ 平成30年12月現在

 

グループホーム利用者の生活を支える

みどりの町のグループホームは三原市域と東広島市域にあり、法人全体で14施設あります。7月6日の夜は、法人本部から各グループホームを巡回できる状況になく、また各グループホームから一般避難所へ向かうことも困難と思われる状況でした。そのため、みどりの町グループホーム所長の森永高治さんは各グループホームに「危ないから2階から降りて来ないで」と電話で指示を出すことで精一杯だったと振り返ります。

 

夜が明けて、2か所のグループホームの大家さんから今後の対応について連絡があり、84名の利用者のうち14名が一般避難所へ移動しました。しかし利用者にとって避難所での生活は2日が限界でした。すぐにグループホームに戻ってくることになりましたが、備蓄は3日分しかありませんでした。そこで力になったのは地域住民です。「利用者と地域の人同士つながりがあったことで、おにぎりを持ってきてくれる人もいた。職員がグループホームに行けないときに、近所の人に助けを求められるかは日頃から地域の人とかかわりを持てていたか次第」と森永さんは話します。

 

また発災後は利用者が通っていた事業所や勤務先が休止したため、日中活動の場が一時的になくなってしまいました。グループホームには昼食の用意がないので、急いで食料を確保する必要がありました。そこで同法人が東広島市の事業所で製造しているパンや弁当、食材を調達することにしました。

 

「法人本部にも井戸水を引いていたし、法人内の事業所で作っている米のストックもあったので、最後はそれを使おうと思っていた。今回はA型の事業所でパンを作っていたことがよかった。職員がすべて調理して用意することは到底できなかった」と森永さんは振り返ります。さらに「道路はあちこち封鎖され、JRなどの公共交通機関は不通となり、病院や会社などへ行くこともままならない。利用者の中には会社を失ってしまった人もいて、イライラしたり落ち着かない人もいた。それが苦しかった」と被災後の生活の変化について話します。

 

日常を取り戻す難しさ

発災後の1~2か月は、利用者の生活をいかに日常に戻すか、さまざまな対応が必要となりました。特に鉄道の運休や道路の寸断による移動の課題が依然としてあり、一部の利用者が自力で通勤できなくなったため、送迎を行う必要が出てきました。

 

一人ひとりの利用者の行き先と車両の組み合わせを考慮したうえで、新たな送迎ルートや乗り継ぎ方法を考えたり、別便を出したりする必要がありました。道路の復旧状況も変化していたため迂回ルートの検討も必要になり調整は困難を極めましたが、森永さんがダイヤグラムのような表を作成して対応しました。

 

9月3日からは、東京都社会福祉協議会の知的発達障害部会による利用者の送迎支援が始まりました。現地で1日2名体制となるように東京から職員派遣が行われ、とよの郷ならびにグループホーム利用者の平日の送迎を支援しました。当初は2台の車両で送迎を行い、10月からは送迎と利用者支援に1名ずつ割り当てる形で11月2日まで続けられました。

 

平成30年12月現在でも市内には片側通行区間がある。

平成30年12月現在でも市内には片側通行区間がある。

 

取材先
名称
(社福)みどりの町
概要
(社福)みどりの町
https://www.midorinomachi.or.jp/
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