東日本大震災で高齢者、障害者、子どもを支えた人たち
2011年3月の「3.11」。東日本大震災は、突然の大地震で、広範な地域に大きな被害をもたらしました。そして、多くの人たちの命と生活基盤が奪われました。続いて起きた福島第一原発事故により、福島県では多くの人たちが住み慣れた地域を離れ、避難を余儀なくされました。2017年現在、避難指示が解除された地域は広がってはいるものの、まだ避難指示解除となっていない地域もあります。この「3.11」の災害にあたって、多くの福祉・介護の事業所では、まずは自らの利用者の対応に追われながらも、地域の要配慮者、地域住民、福祉関係者の仲間を懸命に支援する取組みが行われました。また、この災害を通じて全国各地からの支援の輪が広がりました。当時、東京都社会福祉協議会では、災害ボランティアセンターの支援について福島県を担当し支援を行いましたが、種別部会でも施設職員を現地へ派遣し、宮城県、岩手県などの福祉施設・事業所や地域の要配慮者を支援しました。
福祉関係機関・事業所、民生委員などの福祉関係者、そして介護福祉士、保育士、社会福祉士などの福祉職にとって、この災害は大きな試練でしたが、厳しい状況を目の当たりにしてさまざまな取組みが見られました。とりわけ津波の際、訪問介護事業所の介護福祉士が訪問先の高齢者を回って避難させたり、津波から利用者を守りぬいた福祉施設の職員の例は少なくありませんでした。また、避難にあたって受入れ先を自ら探さざるを得ず、要介護高齢者を横浜市まで避難させた南相馬市の特別養護老人ホーム「福寿園」では、職員が自らの家族も避難する中で、懸命に利用者を守ろうとしました(No.23)。このような「福祉職」の姿は、計画的避難区域となった飯館村に残った特別養護老人ホーム「いいたてホーム」をはじめ、他でも多くの施設・事業所でみられました。そして、それらは介護現場に限りません。例えば、児童養護施設である「相馬市立相馬愛育園」では、災害時、自分たちの気持ちを我慢して訴えない子どもたちに対して、どのようにしたらよいかを考えて真剣に向き合いました(No.5)。
さらに、この「3.11」の後も、その経験を活かして、多彩な支援も広がっています。災害時の支援の輪は全国に広がり、社会福祉法人間、さまざまな主体の間に広がりました。その後、災害を教訓に具体的な協定を結ぶなどの動きが拡がるようになっています。
※事例No.は、ポータルサイトにおける事例番号
災害時要配慮者支援の事例の数々にある、“福祉ならでは”
一方、東日本大震災でも「一般避難所に障害者が行かない」という現実がありました。高齢者、障害者、子ども、また、災害時に何らかの事情で支援が必要な要配慮者は、災害が起きることで多様な課題がさまざまな形で顕在化してきます。それまで地域社会のいろいろなサービスを利用したり、いろいろな地域の支援の中で日常生活の営みができ、地域社会とのつながりもある生活を送っていた要配慮者が、災害によって日常生活の営み、地域での生活が続けることができなくなったりします。災害が起こる前には、自分でふつうにあたり前にできていたこともできなくなることもしばしば起こります。
痛ましい被害をもたらしながら繰り返し起きる災害ですが、災害時の一つひとつの支援から学ぼうという地域福祉の新たな動きも生まれてきました。災害時の要配慮者への支援の輪が大きく広がり、深まりを見せてきています。その原点をたどると、1995年1月の阪神淡路大震災ではボランティアが大きな役割を果たし、1995年は「ボランティア元年」と言われるようになりました。2007年3月の能登半島地震では、初めて「福祉避難所」がつくられました(No.30)。そして、2011年3月の「3.11」東日本大震災は、災害時の支援のあり方、避難所の工夫も行われました。
こうした経験が積み重ねられる一方、東京都社会福祉協議会では、災害時における要配慮者支援の貴重な経験が必ずしも広く伝わっていないという現実に気づき、その教訓から学ぼうと、これまで全国各地の災害時における要配慮者に対する支援事例を集め続け、ブックレットや広報誌で紹介してきました。東日本大震災以降、集まった事例数は2018年3月現在で69事例となっています。
これら「3.11」をはじめとする支援の貴重な経験は、各地のさまざまな災害における教訓が含まれていますが、要配慮者がどのような現実にあったかはあまり広く報道されていない事例もそこにはあります。さらには、地震に限らず、台風や豪雨災害の事例も近年は増えてきています。
東日本大震災以降も69の事例の中には、以下のような事例があります。
- 2013年10月16日、伊豆大島を通過した台風26号で起きた大島町の土石流災害での取組み(No.35~39、51)
- 広島市の2014年8月豪雨による土砂災害での取組み(No.47~49)
- 2015年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の決壊での取組み(No.54~55)
- 2016年4月の熊本地震での取組み(No.56~60)
- 2016年8月の台風9号の豪雨による東京都青梅市の福祉施設の浸水被害での取組み(No.61)
さらに、災害があって無事に避難できた後の避難所における支援も、福祉職はその先にある復興時を見据えて支援を行なっていることが分かります。そこには、地域社会のあり方を学ぶことの大切さなど、日頃からの福祉のあり方につながる貴重な教訓が含まれています。これらは、要配慮者自身がそれまでにできていた生活の営みを継続しようとする、福祉ならではの視点に立った取組みといえます。以下は、発災時に限らず福祉がその力を発揮した事例です。
- 外遊びできない保育園での取組み(No.6)
- 避難しないで町に残った障害者を支援した、地域に目を向けた取組み(No.21)
- 多様な人たち、団体が集まり緩やかに「つながる」場づくりをした取組み(No.22)
- 復興に向けて、「何度でも起き上がる」福幸だるまをつくった事業所の取組み(No.13)
- 災害により日中活動を失った6つの福祉作業所が共同で新しい仕事を起こした取組み(No.14)
- “ふるさとの景色をもう一度”と、障害者とともに無農薬野菜づくりをした取組み(No.27)
- 子どもたちの育ちを支えるため、「誤解や差別」の解消を課題とした児童養護施設の取組み(No.28)
- 困難を乗り越えて再開した事業所の取組み(No.47、55)
- 悲しみを分かち合い、生活再建に向けて島民同士のつながりを生かした支援(No.37)
- 「地域に戻ったあとの生活を見通して関わる」取組み(No.58)
- 「美しいふるさと浪江をもう一度」という想いを次世代につなごうという取組み(No.50)
- 「荒れ果てた浪江町を緑にぬりかえる」取組み(No.52)
これらの事例の数々には、緊急時の支援を乗り越えて、普段の生活を取り戻していくまでを見据えて支えようとする、福祉職ならではの支援の姿があります。それを図でみてみましょう。福祉職が大切にしたい視点のポイントとして、次のようなことがあります。
図 災害時の各ステージにおける福祉職の支援のあり方
被災地で起きていること。それは、日本の近未来の福祉の縮図。
福島県の浜通りの福祉の現場をここ数年間、何度か見てきました。避難指示が解除となっても、戻ってきているのは高齢者や障害者であり、若い人が戻っていない中で、事業所の運営が難しくなっているという現状もあります。こうした現場を見ていると、この浜通りの「災害発生期」「避難生活期」「復興期」で起きていることは、その原因は違っても、日本中で今後、起きることではないかと思われます。
例えば、被災地の福祉施設では、障害者や高齢者の生活を守るため、まず、地域でいちはやく福祉施設・事業所の再開が求められます。避難先から戻る障害者や高齢者の受入れが必要になるからです。そのためには職員を確保しなければなりませんが、職員も被災者であることが少なくありません。障害者や高齢者の生活を守ろうという職員が施設の運営を支えますが、復興の遅れもあり職員不足が起きています。
こうした中で、介護職チームのリーダーである経験ある中堅介護職員も、新たに入った新人職員も、余裕を持った仕事ができず、研修にも出られず、職場全体の運営がうまくいかなくなるということが、見られます。しかも、在宅サービスが再開されていないと、それまで在宅で支えることができていた人たちも、施設を利用せざるを得なくなります。このような職員たちによって運営されている地域拠点の施設がますます多くの役割が求められるということにもなります。
こうした事態は、福島県のこの地域だけではなく、程度の差はあれ、東日本大震災の被災地全体で起きていることです。現にこのような経験をしてきた中堅介護職員には、うまく施設運営ができない悩みを持ちながらも、一人ひとりの利用者やその地域社会に責任を持とうという社会福祉士、介護福祉士としての高い倫理観を見ることができます。私たちはそこから、社会福祉士の倫理観とは何か、介護福祉士の倫理観とは何かを学ぶことができます。
しかも、これは被災地だけの問題ではありません。日本全体の問題です。「少子高齢社会・人口減少社会」を迎える日本でこれから広範に起きることだと言っても言い過ぎでありません。私の大学がある京都府の過疎地域でも、介護職チームのリーダーで、経験ある中堅介護職員が施設の運営を行っているものの、なかなか新しい職員が採用できないために、施設の運営が難しくなるということが起きています。ですから、福島県で起きていることは、日本中でこれから起きること、いや、すでに起きていることだと言っても言い過ぎでありません。
改めて考える。「災害に強い福祉」とは…
東京都社会福祉協議会は、これまで被災地で実践されてきた要配慮者支援の事例をもとに、2012年から毎年、『災害時要配慮者支援ブックレット』を一巻ずつ作成してきています。そこで、これらの事例に残されている貴重な経験から、私たちは「災害に強い福祉」とはどういうものか、ということをもう一度考えてみたいと思います。そこには、「災害だから」ではなく、日頃から福祉が何を大切にしてきているかが込められています。
多くの貴重な経験からは次のことが分かってきました。
第一には、避難生活は高齢者、障害者、子どもなどの要配慮者にさまざまなリスクをもたらすということです。例えば、高齢者の場合、避難による環境の変化や厳しい移動を伴う過酷な避難に影響を受ける高齢者は多いことが分かってきました。また、避難生活の長期化により身体や認知機能が低下するリスクがあるとともに、在宅で生活していた要介護者が必要なサービスを継続して受けられないことがあるということも分かってきました。
また、災害が起きる前に在宅で生活ができていたとしても、それがギリギリのところで成り立っていた人も少なくありません。そして、困っていてもそれを表に出さない、あるいは、あきらめてしまう要配慮者にみられる心理の特性があります。
だからこそ、ニーズを待つだけではなく、アウトリーチの視点も必要で、平時から災害時や避難時に要配慮者となると予想される方々の情報集めが大事になってきます。
(1)過酷な避難と環境の変化により、状態が悪化したり亡くなる高齢者が多くいた。
(2)環境の変化により不安が高まる高齢者がいた。
(3)在宅で生活していた要介護者のサービスが途切れる。
(4)長期の避難生活により身体機能の低下、認知症の進行を招くことがある。
(5)災害により新たなニーズが発生する可能性がある。
(6)担い手不足によりサービスが受けられなくなるリスクがある。
(7)先行きが見えず、新しい判断に迫られることもある。
2 障害者におけるリスク
(1)障害者が避難せずに自宅にとどまった。避難先でもなじめず、居場所がなかった。
(2)障害者にとって、災害時にはいつもと異なる環境・状況に戸惑ってしまうことがあり、フォローが必要だった。
(3)災害時に必要な手助けを求めたり、自らを守る力を高めることが必要。
(4)日中活動の場を失い、機能低下やストレスを抱える障害者がいたため、事業所の早期再開が必要だった。
(5)通所利用者では、安全を確保して家族へ確実に引き渡すことや、避難後の情報を把握しておくことが必要。
3 子どもにおけるリスク
(1)災害が子どもたちの心に及ぼす影響は大きく、災害後も継続して支援が必要になることがある。
(2)避難生活の長期化は子どもたちにとっても、ストレスとなる。
(3)施設外などで災害が起きた際の対応を決めておくことが必要。
4 全般的な課題、その他の課題
(1)困っていていても自身のことを表出できない要配慮者がいる。また、車中泊する人や避難所で過ごせない人もいた。避難所を誰でも過ごせるようにする必要がある。
(2)災害後にも必要なケアがある。
(3)平時から要配慮者の情報収集が必要である。
第二には、「災害発生期」「避難生活期」「復興期」における供給体制の課題です。とくに災害時には、福祉施設等の被災状況を迅速かつ継続的に把握して適切な支援に結びつけることが必要です。把握した情報は、効果的な支援に結びつけるために、情報共有や発信していくことが大切だということも分かってきました。
災害時に増大する需要に応えることのできる供給力を維持するために、人的体制の確保、事業所の再開などを法人や施設・事業所の課題というよりも、むしろ地域の課題と捉えることが必要となります。
図 災害時における要配慮者支援の供給体制の課題
次のようなことが課題として事例からは見えてきますが、それに対して表2のような取組みの実践が生まれてきています。
(1)福祉施設・事業所の被災状況と支援ニーズを把握する必要がある。
(2)発災後も新たな状況を継続的に把握する必要がある。
(3)支援団体がそれぞれに動くと、効果的な支援ができない。
(4)時期に応じた支援の目標を関係団体が共有する必要がある。
2 備蓄品の不足
(1)物流が途絶え、経管栄養剤など施設固有の物資が手に入らなくなる。
(2)ガソリン不足で移動手段が制約される。
(3)元の所在地にとどまれない場合、物資が持ち出せない。
3 被災施設などにおける人員体制
(1)被災施設で増大するニーズに対応する職員の負担が大きくなる。
(2)利用者を分散させた場合、職員体制をどうするか。
(3)外部委託した調理が確保できなくなった。
(4)児童養護施設では、外出中の利用者の安全確認に人手が必要となった。
4 応援職員
(1)応援職員を支援ニーズに適切に結びつける必要がある。
(2)応援職員は直接的なケアに携わることは難しいのではないか?
5 都道府県単位における種別協議会の機能
(1)都道府県単位での種別協議会などによる「広域支援の機能」はどのようにあるべきか?
6 事業所再開
(1)通所施設を早期に再開できないと、障害者等の日中活動が不足し、状態が悪化することがある。
(2)保育所を早期再開できないと、生活復旧が遅れ、また、支援活動に従事する人材も動けなくなる。
(3)授産施設で災害によりもともとあった作業の発注がなくなることがある。
(4)在宅サービスの休止により要配慮者の生活に支障が生じ、不安も大きくなる。
7 福祉避難所
(1)福祉避難所の「対象者」は、これまでの災害における実践をふまえ、どのような人たちを想定するべきか。
(2)福祉避難所で要配慮者を支援する「人的体制やスペース」は、これまでの災害における実践をふまえ、どのように想定するべきか。
(3)福祉避難所の「設置促進」をどのようにすすめるべきか。
(4)福祉避難所を指定するだけでなく、「実際の運営に関する具体的な想定」を明確にしていく必要がある。
(5)災害時に福祉避難所を「いかに機能させるか」。
(6)福祉避難所を出た後の次の暮らしの場を誰が支援するか。
8 一般避難所における要配慮者支援
(1)災害時に増大する要配慮者のニーズに緊急入所、福祉避難所だけでは対応しきれない。
(2)一般避難所には、日常生活では暮らすことができていても、避難生活が困難な要配慮者が想定される。
(3)一般避難所を必要とする人の誰もが来られるところにする必要がある。
(4)一般避難所の要配慮者支援を誰が担うかが課題となる。
(5)一般避難所における要配慮者支援では、避難所の先の次の暮らしを見据えた支援が必要となる。
9 BCPと相互応援協定
(1)BCP(事業継続計画)は必要と思われるが、策定がすすまない。
(2)ニーズに応じた相互応援協定を実効性のあるものにする必要がある。
10 個別支援のしくみ
(1)生命に関わる重度の要配慮者の対応を個別に明確にする必要がある。
(2)避難行動における個別の支援計画づくりを広げていく必要がある。
11 福祉施設における利用者避難
(1)福祉施設が元の所在地にとどまることができず、利用者ごと施設を離れて避難しなければならない状況も生じる。
(2)所在地を離れて緊急に利用者を避難させる際、持ち出せる物資に限りがある。
(3)所在地を離れた施設利用者が命に関わる過酷な状況に陥りかねない。
(4)避難施設側の利用者避難後の人的体制
12 地域の課題解決力
(1)要配慮者に対する地域住民の理解を日頃から高める必要がある。
(2)要配慮者自身の災害を乗り越える力を高める必要がある。
(3)暮らしを取り戻す復興は自立を目標にしたものである必要がある。
第三には、日頃から「災害に強い福祉」を整えていくことが重要だということです。そもそもが、それは、福祉職の実践そのものといえます。いざという時のため、日頃から災害時の要配慮者について考えたり、さまざまな状況に備えておく検討や訓練に福祉避難所となる施設、住民や災害時要配慮者本人にも参加してもらうことでつながりをつくり、地域の自助・共助の力を高めることが大切だということが分かってきました。また、避難中は目標を立てたり、役割を担ってもらうなど、手を貸しすぎず、避難後の暮らしまで見据えながら、本人の今までの生活を大切にした支援を行うこと、困らないように守るのではなく、その人がその人らしく生きることを支える視点が大切です。さらに、避難が終わってもその先の地域に戻った後の生活を見据えた支援が大切です。そのためにも、専門職だけが支え手ではなく、地域のみんなで要配慮者を支えていけるようにつなぐことが大切になってきます。要配慮者自身も支え手側、復興の主役にもなりうるのです。
こうした中で、災害時でも困っている人を助けたい気持ちを持って、支援に取組む福祉職の姿は、多くの人の目に、本当の福祉職として映ることでしょう。
(1)日頃からの関係者や当事者をまきこんだ取組みが地域のつながりと自助・共助の力を高めることに活きる。
(2)いざという時のため、日頃から地域の災害時要配慮者について考えたり、さまざまな状況に備えておく。
2 避難所における福祉のあり方
(1)すべてやってあげることが福祉ではなく、一人ひとりの自立を妨げず、地域での生活までを見据えたかかわりが大切。
(2)避難先でもその人がその人らしくいることを支援する。
3 避難先から地域へつなぐ福祉のあり方
(1)避難者が安心して地域で暮らせるよう、住居さがしなど生活の基盤を整えるところまで継続的な支援が期待される。
4 復興期における福祉のあり方
(1)専門職に限らず、地域に暮らすさまざまな人が支え手になる。
(2)要配慮者は復興の担い手にもなりうる。
5 福祉職の姿
(1)要配慮者に限らず、目の間の困りごとを抱えた人の支援に取組む福祉職共通の想いや姿。
災害時の要配慮者には、もともと地域につながってない人が多い
被災地支援を考えると、「災害発生期」「避難生活期」「復興期」の3つのステージがあり、それぞれの時期に応じて必要な支援がありますが、それらが途切れることない支援の体制づくりが重要ではないでしょうか。災害発生時に比較的犠牲者が少なかった地域でも、「避難生活期」「復興期」での対応に課題が残ることもあります。 17年ほど前、2000年3月下旬の4日間。“おおよそ20年から30年の周期で噴火を繰り返している”と言われている北海道の有珠山が、また、噴火しました。前回1977・78年から22年後の噴火でした。その年の翌4月には介護保険制度の開始が予定されていました。その直前の噴火でした。介護保険の関係者は、半年間の試行期間を終えて、4月実施に向けてその準備に大わらわの時期でした。この有珠山の噴火は、有珠山のある虻田町、隣接する伊達市等に大きな被害を及ぼしました。
しかし、幸いなことに、虻田町では、介護保険制度で「要介護」と認定とされていた高齢者が全員無事に避難することができました。北海道社会福祉協議会は、その後、虻田町の避難者がどのように避難をしたかという調査を行いました。その調査に私も参加しました。
無事に避難できたことには、次の理由があることが調査で分かりました。
一つ目は、地震や津波と違って、噴火が予測され、対策がとる時間的余裕があったことです。
二つ目は、介護保険制度ができ、ケアマネジャーが要介護者を全員把握していたことが幸いしていました。訪問調査をしていて、一人ひとりの暮らしの状況が捉まえていたので、ケアマネジャーが一人ひとり自宅を確認して避難の誘導を行いました。
さらに三つ目は、虻田町地域は、その当時、地域の拠点病院を中心に地域医療が取組まれ、また虻田町に隣接する伊達市の障害者施設を拠点に、ノーマライゼーションのまちづくりなど障害者の地域生活の支援がこの地域で取組まれていました。そうした中で、医療と福祉、専門機関と地域、フォーマルサービスとインフォマルサービスが結びついた、ネットワークづくり、まちづくりがすすんでいた。それらのことがその背景にあることも分かりました。
こうして全員無事に避難はできました。避難所では難しい場合は、近隣の自治体の施設に、避難者を受入れてくれました。予測できた災害であったことの他に、このように、地域の要介護者を一人ひとり把握する仕組みが新たにできたこと、地域の関係者・関係機関のネットワークができていたことなどによって、こうした結果となりました。しかし残念なことに、避難者の中には避難先の施設で、避難のストレスに耐え切れなくて、亡くなった人もいました。
災害対応は、発災直後のことに目が行きがちです。けれども、「災害発生期」「避難生活期」「復興期」と継続したステージがあるものとして災害をとらえ、「防災」「減災」を考え、「災害に強い福祉」の取組みをしようという動きがこれまでの経験をふまえて全国に広がってきています。それは例えば、「都心部の災害時要配慮者支援の課題は、その解決を事業所、区民ともに」と取組む東京都文京区(No.62)、「多様な人が住む町の地域防災計画策定」に取組む大田区(No.63)、「区民や事業所の積極的な関わりで要配慮者への支援の強化」と取組む世田谷区、「都市部での「在宅避難」を原則とするしくみづくり」を取組む杉並区(No.65)、「福祉避難所開設訓練を行い区内福祉施設との意見交換」に取組む荒川区社会福祉協議会(No.41)などにも広がってきています。
そして、そもそも「福祉避難所につながってくる要配慮者はもともと地域で支援に結び付いていない人が多い」(№69/京都府)ということを考えると、日頃から「災害に強い福祉」をつくることに取組むことがやはり大事ではないかと思います。
本稿は、東京都社会福祉協議会の「『災害に強い福祉』推進プロジェクト」の事務局スタッフたちと一緒に福島の実践者を訪ね歩き、また、69にのぼる事例を彼らが集めて丁寧に分析してくれ、そして、この原稿でどんなことを伝えていくかを一緒に考えることをはじめとした協働作業で書き上げたものです。
さまざまな事例から、要配慮者の心理や暮らしの実情から、いろいろな教訓を汲み取ると、災害に伴って「表出」する、また「顕在化」する要配慮者の課題は何かと、考えさせられます。そして、「災害に強い福祉とは何か」を考えさせられます。こうした課題に私たちは、今直面しているのだと思います。これらの貴重な事例から学びながら、一緒に考え、取組んでいくことが大事だと思われます。