フォトグラファー 近藤 浩紀さん
あらまし
- 車椅子ユーザーのフォトグラファーとして介護業界を中心に活躍する近藤浩紀さんに、これまでのご経験や大切にしている想いなどについて伺いました。
障害を意識せず過ごした幼少期
生まれた時から脳性麻痺があり、車椅子生活です。生活で困る事はありましたが、幼いながらあまり深く考えたりはしませんでした。何より両親や友人など、周りの人たちが分け隔てなく接してくれ、小・中学校は普通科に通い、ごく普通の学生生活を送りました。小・中学校ではゲーム三昧、高校では軽音部に入部してパンクロックに夢中の青春時代を過ごしました。志望校の高校受験に落ち、高校1年生の1学期は定時制高校に通っていましたが、2学期から全日制の高校に編入しました。このころからインスタントカメラや携帯のカメラで写真を撮るようになりました。なんとなくその場の雰囲気を撮っておきたかったという理由でしたが、振り返ると私とカメラの出会いはここでした。
定時制高校にはさまざまな背景の人が通っていました。受験に落ち、とても落ち込みましたが、今まで自分の半径数メートルの範囲でしか生活をしてこなかったので、ここでの経験はいい社会勉強になったなと思います。大学受験でも失敗し、その希望大学の短期大学部へいったん入学して卒業後にその大学へ3年生から編入しました。同じ頃、『五体不満足』で有名になった乙武洋匡さんが、車の免許を取得するドキュメンタリーが放送され、それに触発され、自動車免許を取りました。高校・大学と受験に失敗し、挫折だらけだった私にとって、成功体験のひとつになりました。
大学は自宅から遠く、大学のバスの本数も少なかったため、これでは満足に大学に通えないと思い、同じ車椅子ユーザーの学生と一緒にバスの増便とバリアフリー対応を大学に直談判したことがあります。その結果、バスが増便され、大学のほぼすべてのバスがバリアフリー対応になりました。この経験から、声を挙げることの大切さを知りました。
社会人生活を経て渡豪。独学でカメラを学ぶ
大学卒業後は、障害者雇用で外資系のPC関連企業に就職しましたが、メンタルの調子を崩してしまい退職を決意。その後、大学で英語を専攻していたこともあり、スキルを磨こうと英会話教室に通いました。それでもまだまだ足りないと感じ、生の英語を学ぶため25歳でオーストラリアのシドニーに留学します。これは自分の中では大きな挑戦でした。車椅子でも受け入れてくれるホームステイ先が見つかり、完全に親元を離れ、人生初の単身生活が始まりました。それまでは実家暮らしで何不自由なく生活してきたので、親のありがたさを実感しました。
渡豪後、ふと「もう二度と来られないかもしれないから、オーストラリアの風景を収めておきたい」と、思い切って高額な一眼レフカメラを買いました。その時はフォトグラファーを目指そうと思ったわけではなく、いいカメラでとっておきの風景を収めておきたい、ただそんな理由でした。
丸1年の留学を終えて帰国。だいぶ英語も堪能になってきたので英語教室を開こうと思い、オンライン上で生徒を募り、フリーランスで英語を教えながら、カメラのテクニックを磨いてきれいな写真が撮りたいと思い、独学で基礎から勉強を始めました。ある時、友人から誘われて介護関連の勉強会に参加したのをきっかけに、勉強会やセミナーの様子を写真に収めてほしいと頼まれ、ボランティアで撮影をするようになります。そして介護関連雑誌の表紙写真やセミナーなどの撮影を任されるようになり、2015年からフォトグラファーとして仕事をするようになりました。
やっと巡り合えた2つの職業
高校生くらいから、「自分は何ができるんだろう」という想いをひそかに抱え続けてきました。何度も挫折を経験しましたが、フォトグラファーはやっと巡り合えた天職だと思っています。「近藤さんにしか撮れない写真だね」「ありがとう」という言葉が私にとって生きる喜びです。車椅子生活なので誰かに手伝ってもらうことが多いですが、何かお返ししたいと常に感じていたこともあり、少しは人の役に立てているのだと実感できます。
実は数年前にもう一つ、大好きな仕事に巡り合いました。写真を通じてボランティアセンターの方と知り合いになり、正規職員としてボランティアセンターで働くことになり、現在はフォトグラファーとボランティアセンターの職員と2つの仕事を掛け持ちしています。ボランティアセンターでは、地域の方たちとの出会いや、地域が抱える課題、ニーズを知ることができ、解決に向けてみんなで協働してすすめるという、写真の世界とは違ったやりがいを感じています。
祖父の言葉を胸にすすんでいく
今から20年以上前ですが、祖父と一緒に公園に行ったときに唐突に祖父が、「浩紀、死ぬまで勉強するんだぞ」と言いました。この言葉が心にずっと残っており、私の大切にしている言葉です。自分には特別、才能があるわけではなく、障害もあり自由に体を動かせるわけでもない。そんな自分にずっと悩んできました。たまたまシドニーでカメラに出会い、撮影することが楽しいと感じてからは、祖父の言葉の後押しもあり、自分なりに必死で勉強してきました。渡豪中の英語の勉強もそうです。
ライフワークとしている自然風景の写真撮影では、2014年に世界的に有名なアメリカの写真コンテストで入選したことも大きな自信につながりました。祖父もとても喜んでくれました。その祖父は昨年亡くなりましたが、祖父が残してくれた言葉をこれからも大切にしていきたいです。
自分を信じ、「自信」につなげる
障害があるなしに関わらず、自分と同じような悩みを持つ人も少なからずいるかと思います。自分を分析すれば、大きなきっかけの一つは「行動」してみたことかと思います。たくさんのトライアンドエラーをすることが大切で、失敗を失敗とせず、次へのステップだと考えています。その積み重ねが「自信」につながっています。
あとは、多くの人に出会うことも大切だと思います。インターネットの仮想空間で繋がることもいいですが、やはり直接会うことが、デジタル社会でも大切だと思います。今、私がこうしてフォトグラファーとしていられているのも、たくさんの人に会って、応援してくれる方々がいるからなのです。まさか自分がフォトグラファーとして活動しているなんて少しも思ってなかったわけですから。そんな方々に感謝の気持ちを持ちながら自分を信じて頑張っていきます。
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