
味香 興郎さん
杉並区阿佐谷にある「まちサロンおきやんち」代表。
杉並区商工相談員などを歴任し、地元商店街から
相談に長年携わってきた。趣味は読書。
あらまし
- 住人がお互い声を掛け合える拠点として「まちサロンおきやんち」をつくった味香興郎さん。これまでの半生と活動の中で大切にされている思いを伺いました。
人間やればなんとかなる
私は、三重県四日市市の旧市外の出身です。生まれ育った地域で子どもの頃からさまざまな災害に遭遇してきました。12歳の時には東南海地震を体験、会社員時代の1959年9月には伊勢湾台風に遭遇、当時勤務していた会社も大きな被害を受け事後処理に奮闘しました。これらの災害を経験して「人間やればなんとかなる」というスピリットを得られたことは良かったなと思っています。今思うと貴重な経験でした。
声を掛け合える居場所をつくりたい
今思い返せば、子どもの時の近所の人たちは、何かあれば助け合える関係でした。冠婚葬祭があれば、近所が総出で準備やお手伝いをしてくれる。災害が起きれば、声を掛け合って、安否確認や手助けをしてくれました。ところが、東京では隣近所にだれが住んでいるのかが分からない、新しく近所に引っ越してきた人も引っ越しのあいさつすらありません。家には表札もかかっておらず、不幸があっても知らせもないのです。隣近所に新しく、アパートやマンションが建設されて移住者が増えてきているにもかかわらず、どのような人が隣に住んでいるのかが見えにくい。私はこの状態を「東京砂漠」と呼んでいます。この状態を何とかしなければいけないと常々強く感じました。
そもそも、阿佐谷北三丁目地区には地域の人が交流できる“集会所”がありませんでした。杉並区と交渉しても不可でした。どうしたらいいかと困り果てていたときに次女からアドバイスをもらって、自宅隣の一階の倉庫を使って地域の人たちが集う“みんなの家”にすればいいと閃きました。それは、私が90歳の時でした。築50年以上経った古い家だったため、耐震補強と防音工事が必要でした。その改修費用に約620万円かかりましたが、クラウドファンディングで皆さんの協力を受けて改装し「まちサロンおきやんち」を2024年4月にオープンしました。
「生涯現役」をモットーに阿佐谷に住む全ての人を巻き込みたい
災害が発生した時に住民同士が助け合うには、日頃からもっとフランクな付き合いが必要です。しかし、阿佐谷では、こうした関係を築くことがまだまだ難しいと感じています。町内会の役員として、新しく引っ越してきた人に「町内会へ入ってください」とお願いすると、「私には関係ない」と断られます。文京区の「こまじいのうち」や世田谷区の「岡さんのいえTOMO」など各地の居場所を見学し、老若男女が集える取組みをぜひ自分の街で実現したいと思ってきました。しかし、地域性が異なるため、居場所を通してどこまで人を巻き込めるかはまだまだ途上にあります。最近は、外国から移住してきた方も増えてきました。言葉や文化の壁を乗り越えて、いろんな人たちとも接点を持ちたいと考えています。
第一の人生は産業人として47年、第二の人生はコンサルタントとして25年全速力で走ってきました。90歳で突入した第三の人生でも、これまで信奉してきた日野原重明先生の「生涯現役」をモットーにこれからも地域づくりに貢献していきたいと考えています。








