あらまし
- 都内の大学で留学生に日本語や論文の書き方を教えている中国内モンゴル自治区出身のアルタンボリグさんに、日本語や福祉を学んだきっかけ、日本の社会について感じていることを伺いました。
アルタンボリグさん
来日のきっかけ
中国の内モンゴル自治区で生まれ、大学まで暮らしていました。外国を意識したきっかけの一つは、学校の先生をしていた父の「将来は外国に行ったり留学したりすることが普通になるだろう」という言葉でした。大学卒業後、友人の誘いや内モンゴルから日本への留学を後押しする当時の流れもあり、2002年に初めて日本に来ました。
最初の一年半は日本語学校で学びました。次の進路を担任の先生に相談した時「今後アジアにとって福祉は重要になると思うので、一つの選択肢として考えるのはどうか」とアドバイスをいただきました。加えて、小さい頃、私の家も裕福ではなかったものの、食べ物に困っている人が家に来ていました。「何でこういう状況になってしまう人がいるんだろう」と思っていたこともあり、福祉を学ぼうと決めました。
そのため日本の大学院にすすみ、貧困をテーマに研究をすすめました。
福祉と日本語への関心
大学院を卒業後、内モンゴルに戻り、大学教員として日本語とソーシャルワークを教えました。日本語はとても好きな言語なので、たくさんの人に知ってもらいたいという思いもあり、この二つの授業を持ちました。これらのテーマは今でも私の中でつながっています。
2019年に妻の仕事の関係で再来日し、現在は都内の大学で留学生に日本語能力試験対策や論文の書き方等、日本語の指導をしています。
生活者としての外国人へのサポートの充実を
アジアの他の国に比べると、日本の社会保障等の福祉政策は整備されていると思います。一方で住んでいて思うことは、労働者としての外国人を受け入れる政策に比べ、生活者としての外国人へのサポートが十分整備されていないのではないか、ということです。
例えば、外国にルーツのある子どもの教育です。このテーマはとても重要だと思います。再来日した時、私には小学5年生になる子どもがいました。子どもの日本語のレベルを考えると、一つ二つ下の学年から入学できた方が子どもにとって良いと考えました。しかし、学校に問い合わせたところ「決まりなので学年を下げることはできません」と断られてしまいました。国として外国人を受け入れようとするのであれば、もう少し柔軟な対応も必要ではないかな、と感じました。
多文化社会に向けて私ができること
日本では2010年代頃から「多文化社会」という言葉がよく使われるようになりました。
今、日本は多文化社会に向けて変化する過程にいるのだと思います。そして、労働力不足等を考えると、今後、日本は外国人を受け入れざるを得なくなるでしょう。福祉の分野では多文化共生の視点を持ったソーシャルワークが必要になると思います。
また、日本では外国人の高度人材確保をすすめていますが、入社後5年程度で辞めていく人が多くなっています。その原因の一つは日本独自の決まりごとやしきたりが多く、職場や住む地域で安心して生活できていないからではないでしょうか。一住民として地域に受け入れられているという感覚があれば、この国に対して恩返しをしていこうという気持ちにつながると思います。
私は日本でたくさんの人にお世話になりました。その恩を何らかの形で返したいと思っています。私ができることは、これまでの経験を活かして、留学生や日本で安定した生活を送りたい外国人に、日本語や生活に関する悩み相談やアドバイス、地域で生きていくために必要なことを伝えていくことだと考えています。
多文化社会の実現のためには互いを尊敬し、歩み寄れるような環境づくりが必要ではないでしょうか。今できることを通して日本人と外国人の間をつなげることができたら嬉しいです。
ゼミにて
学科の学生たちと