(社福)文京区社会福祉協議会 浦田 愛さん
あらまし
- 今までの仕事と異なるスキルを身につけ、社会福祉協議会で働く浦田愛さんのおしごとの魅力をお伝えします。
地域にいる困難を抱えた方とかかわりたい
学校卒業後は、特養で介護の仕事をしていました。大学ではフランス文学専攻でしたが、人の役に立ち、一生できる仕事がしたいと考え、大卒後に専門学校に入り、介護福祉士の資格を取って就職しました。ユニット制の特養だったので、20人位を担当していました。3年間勤めてから、双子の出産で産休育休を取得し、その後デイサービスの相談員として復帰しました。そのとき初めて在宅の方に接して驚きました。身体状況が悪くても経済的に施設に入れずに暮らしている方や何年もお風呂に入れていない方など、在宅の生活にもさまざまな困難があり、施設の利用者さんの方が恵まれているのではと感じたのです。こうした難しい状況にある方々と地域の中でかかわりたいと考えるようになり、地元である文京区社協に転職しました。地域包括支援センターなどとも迷いましたが、幅広く支援ができそうな社協にしました。
慣れない事務仕事に不安
1年目はボランティアセンターに入りました。最初は慣れない事務仕事や会議に苦労しました。相談のスキルはありましたが、伝票を切るとか企画する、段取りをつけて仕事をしていくといったことは初めてだったので、半年くらいは「これからやっていけるのだろうか」と不安でした。やりたいことはたくさんあったのですが、「やりたい」という気持ちが先行していたこともあったと思います。担当していたボランティア・ニュースを全部刷り直したり、事前説明が不十分で住民の方に叱られたり、失敗もいろいろしてきました。そんなときサポートしてくれたのは周囲の方々です。先輩をはじめ住民の方は、私に呆れつつも「この子おもしろい」と支え、育ててくれました。「浦田も昔はひどかったよねー」と今では笑い話にしてくれています。失敗したら「次はもっとうまくやろう」と思って続けたことで、1年経つころには仕事がだんだん分かるようになってきました。
地域住民が気軽に集う「こまじいのうち」
右はマスターの秋元康雄さん
たった1人のCSW
4年目に地域福祉推進係に異動し、CSWとなりました。当初CSWは私1人だったので、仕事のことを職場の方に聞いても分からない状況でした。そのため、地域福祉活動計画作成の委員長だった近隣大学の先生や役所へ赴き、相談に乗っていただきました。職場の方には愚痴や悩みを聞いてもらっていました。直接的なアドバイスはなくても、気持ちを吐き出せる場があることが、ありがたかったです。慣れてくるとクヨクヨすることもなくなってきました。
仕事をするなかで、隣人が点訳ボランティアだったことが分かるなど、地元の再発見もありました。都心でありながら、”泥臭い活動“をしたい人が大勢いることも、文京区のCSWになったから分かったことです。
CSWは自信がない位がちょうど良いと思います。分からないことを「分からない」「教えてください」ときちんと伝えることは、周りを巻き込む力になります。社協の仕事は幅広いので、自分が全ての知識をもっているということはありません。それぞれの分野に詳しい人を知っていくこと、関係をつくっていくことが重要です。後輩には、自分自身で解決できるかもしれないことでも、”あえて“他の人に意見を求めるようにアドバイスしています。それぞれのケースで、その担当者がつくっていく関係性を大切にしています。
ビーズ教室でアクセサリーづくり
自分で課題を見つけることが仕事
活動は生き物なので、時間をかければいい関係が築けるわけではありません。思いどおりにいかないこと、一生懸命やっているのに周りから怒られることもあります。手を出すのがためらわれるケースに介入したり、人と人の間で板挟みになる困難もあると思います。それでも活動を通じて築いたネットワークは、自分の支えや自信になっていきます。
CSWの仕事には、「やりなさい」と言われたものはありません。自分で課題を見つけ、「やっていこう」と思うことから始まる仕事です。今後は、流動的な大都市ならではの「都市型小地域活動」をすすめていきたいと考えています。福祉に限らずいろいろな力をもっている方、地方出身で、人とのつながりや地域のつながりを文京区でも求めている方、その良さを知っている方が、文京区にたくさん集まっています。そうした方たちと新旧の住民がうまくやっていくしくみをつくっていきたいです。
プロフィール
- 浦田 愛さん
(社福)文京区社会福祉協議会地域福祉コーディネーター(CSW)・生活支援コーディネーター
特養での介護職、デイサービスの相談員を経て平成21年入職。平成24年より現職。
http://www.bunsyakyo.or.jp/