あらまし
- 社会の中であまり知られていない弱視者の問題を、当事者の立場から社会に発信している「弱視者問題研究会」代表の並木正さんにお話をうかがいました。
点字を読み書きできる人は少ない
実は、視覚障害者の7~8割は弱視といわれています。しかし、世間一般的にはあまり知られていません。視覚障害者といっても、点字を読み書きできる人は意外と多くないのです。「弱視者のことをもっと知ってもらいたい」と、1977年に「弱視者問題研究会」が発足しました。これまでに、駅の運賃表の文字の拡大化や大活字の国語辞典の作成などを行いました。弱視者は、ちょっとした手助けがあればいろいろなことができるのです。「これとこれはできる」ということを知ってもらうためのツールとして「私の見え方紹介カード」や、弱視者の日常をユーモアを交えて紹介する川柳をもとに「弱視者いろはカルタ」を作成しました。川柳の中に「キスをしてはじめてわかる君の顔」なんていうのがあります。
私の見え方は、視野や色覚はあるけれど、眼球振盪といって、目が揺れる症状があります。普段は、拡大読書器やパソコンの拡大鏡を利用して、ハローワークで働いています。ネットワーク環境はセキュリティの関係で画面拡大ソフトがインストールできないので困ります。
学校の試験の文字が見えない
私が弱視者問題研究会に入ったのは、大学を26歳で卒業したころです。小・中学校は普通の小学校に行きました。生まれつき弱視でしたので、学校では不都合だらけ。パソコンなんてなくて、わら半紙にガリ版刷の時代です。中学生の時に、学習塾の先生が、英単語や数学の式を大きく濃くしてくれたので助かりました。でも、黒板はもとより、そもそも試験の文字が小さくて見えない。
目の悪い人は鍼灸の仕事をする人が多いということは知っていたので、「どうせそちらの道に行くなら」と、高校は盲学校に進学しました。それまで、球技についていけなかったから、盲学校で同級生と同じ条件でスポーツができるのが新鮮でした。
大学で活動的な性格に
その後、理療科(鍼灸の専門課程)に進みました。ところが、卒業直後に目の手術をしたら、目が良くなったんです。その時にふと、「大学がどういうものかみてみたい」と思うようになりました。
大学では、遊んでばかりいましたね(笑)。点字サークルにとりあえず入ったんだけれど、地味なサークルだったから目立つように、学園祭でテニス部の隣にお汁粉屋さんを出しました。
それに、在日外国人の問題など今まで全然知らなかった考え方に触れられ、社会問題に関心を持つようになりました。思い返すと、大学で活動的な性格に変わったような気がします。
白杖は雨上がりの傘と同じ!?
弱視者っていうのは、小さい工夫を積み重ねてなんとなく不都合がないように生きているんです。だから、障害がないようにみせたり、あるようにみせたり、実は、その時々で使い分けています。夜間や慣れない土地に行くときに、白杖を持つこともありますが、普段は使いません。以前、四国に弱視者3人で旅行に行ったとき、みごとに3人とも白杖をタクシーに置いてきちゃったことがありました。雨上がりの傘みたいなもので、つい置き忘れてしまうことが多いんです。
手助けを断ってしまうことも…
最近の人は、困っているとよく気づいてくれると感心します。先日も、大江戸温泉に行ったとき、ロッカーを探していたら、すぐに声をかけてくれた人がいました。ただ、弱視者はいつでも手助けが必要というわけではありません。「結構です」と断ってしまうこともあります。せっかく声をかけてくれたのに、次から声がかけづらくなってしまうだろうなと心配になる時があります。1回2回断られても、ぜひ、めげずに声をかけてほしいと思います。