デフリンピック自転車競技を目指す蓑原選手(36)と小笠原監督(39)
あらまし
- 福祉広報の表紙写真撮影者の管洋介さんに、デフリンピックを目指す選手と監督のインタビューを寄稿いただきました。
少しずつ近づいて来る車輪の音、さっきまで豆粒程にしか見えなかった赤いマイヨ(ジャージ)が激しい息づかいと共に目の前の風を切って駆け抜けていく…。彼女は蓑原由加利選手、2021年のデフリンピックを目指す聾唖者(以下デフ)の自転車競技選手だ。その姿を見守るのは小笠原崇裕氏、現役プロライダーでありながらデフジャパンの監督として彼らの走りを支えている。彼らが挑戦する自転車競技は、大勢で同時にスタートし選手が前後に入れ替わりながら進行する。時に車輪がぶつかり合い危険を回避しながら流れを掴む事が勝負の要。音の感覚がない彼らが健常者達と対等に戦う事はハンデが大きく困難ではあるが、日々の鍛錬でそれを克服しサイクルスポーツに打ち込んでいる。
ここ数年の熱心な活動もあり、競技者の間では共に走る彼らへの認知も多くされるようになってきた。筆者自身も自転車競技者であるだけに、健常者と混じり競技をするデフの選手の存在には試合を共にするたびに驚かされている。隣を走っていてもデフである事に気付かない程見事なコントロール、彼らと気付くのはデフジャパンの赤いユニフォームが目に入った時ぐらいなもの。健常者と障害者の壁を越えて競技をしていることに驚いていた。
レースの走りのイメージを何度も確認する2人
デフの選手達を育て上げる小笠原監督は、マウンテンバイクのクロスカントリー種目で世界選手権で活躍した選手。2014年より日本ろう自転車競技協会の監督に就任し、6年間に渡りデフのナショナルチームの選手5名、育成選手達を指導してきた。「身体のバランスを司る三半規管にハンデがありながらこの競技に向き合うには、正確なコントロールの技術に加えて状況判断とまわりに伝わる意思表示が凄く重要ですね。競技をするのは困難も多いですが、デフの大会以外に健常者と同じレースを走れるのは彼らの大きな喜びとモチベーションになっています」一方、フラつかないで真っ直ぐ走る事でさえ技術が必要な自転車に対して蓑原選手は競技を始めた当初から前向きであった。「自転車は熊や犬でも乗れるのを見て、私にも出来る…と(笑)。デフの方々は危険を伴うので自転車に乗る人は少ないのですが、私は後ろが見れるミラーをつけて小さな頃から走っていました。人、車、道路状況に対して安全確認を徹底する事で乗りこなせる様になりました。自転車でどこでもいけると10年前に東京から実家の佐賀まで自転車で帰った事を自信にしていた頃に、一般社団法人日本ろう自転車競技協会設立の記事を新聞で知り競技にも挑戦するようになりました」小笠原監督は、彼らが健常者の中に入って競技をするにあたっては手話を介さないで情報を汲み取る能力も大事だという。「アイコンタクト、表情を読んでレース・トレーニングの状況を理解してもらっています。私がデフの選手達に出会って気付いた事ですが、彼らには分かりやすく正面から向ってあげる事が重要なんだと…。私も表情を大きくよりハッキリと表す様になりました。彼らは明確な事を求めている。情報を伝えるには手話や携帯、ニュアンスは表情で伝える様にしています。ただ生活を共にする上で、彼らは情報の伝達を目で確認する都合、共有に時間が掛かったり、忘れてしまったりしてしまう特徴もありました。メンバーを纏めていく際にいい意味でまわりを見渡して『ひと呼吸待てる』ようになったのが私の気付きですね」デフジャパンの発足以来彼らへの認知が次第に広まり応援する声も凄く頂ける様になったという。「スポーツを通じて、『よかった・辛かった・頑張った』と健常者から彼らへのコミュニケーションはとてもシンプルに表現しやすく入りやすいものになります。そういった意味で彼らがサイクルスポーツを行う意義はとても深く、健常者との壁を無くし同じデフの方々にも勇気を与えてくれることになるでしょう」