青葉町昼食会と白十字ホームの皆さん
青葉町昼食会
前列左端より 野村千鶴子さん、吉野志げ子さん、小林保子さん
後列左2人目より 松田和美さん、渡辺明子さん、重並マユミさん
白十字ホーム
後列右端 西岡修さん
後列左端 柿沼由希美さん
東村山市にある(社福)白十字会白十字ホームは、市内で最も早い昭和42年(1967年)に開設された特別養護老人ホームです。昭和47年(1972年)には「奉仕係(ボランティア係)」を設置するなど、当初から積極的にボランティアを受け入れる体制を整備し、地域の方がホームに深く関わってきた歴史があります。また、現在でいう地域公益活動にも長く取り組んできました。
ボランティアは、趣味や特技を活かしたプログラムの提供や話し相手、行事や外出時のサポート、洗濯物たたみなど、さまざまな形でホームの運営や利用者の生活を支えています。コロナ禍以前までで、延べ5千人のボランティアが活動していました。
しかし、令和2年2月以降は新型コロナの感染拡大防止のため、利用者の家族も含め外部からの立入りを制限しています。そのため、現在も施設へのボランティアの出入りができない状況です。白十字ホーム福祉相談課係長の柿沼由希美さんは「利用者への食事・入浴・排泄の『三大介護』と消毒対応で職員が手いっぱいの状況が続いている。ボランティア不在の中で、よりボランティアの力の大きさを実感している」と言います。
「青葉町昼食会」の活動
白十字ホームとの連携で長くボランティア活動を行うグループの一つに、「青葉町昼食会」があります。平成2年(1990年)から約31年続く会食会活動です。月2回、青葉地域センターを会場に、白十字ホームが用意した昼食で、市内青葉町3丁目に住む一人暮らしや日中独居の高齢者と会食をしています。毎回約20名が参加し、温かい昼食を食べ、体操や歌などの活動やおしゃべりを楽しんでいます。
青葉町昼食会の活動メンバーは、80歳代の8人の女性です。全員が、東村山市社協が呼びかける「福祉協力員(※)」でもあります。当時40〜50歳代だったメンバーは、ボランティアという言葉がまだあまり一般的でなく、デイサービスセンターが各市にはなかった昭和55年(1980年)頃から、社協の「地域のボランティア募集」の呼びかけに応じ、それぞれが地域での活動を始めました。市内他法人が行う配食事業に協力していましたが、昭和63年(1989年)に事業の形が変わり、それまでお弁当を届けるため訪問していた高齢者宅を訪問できなくなったことが、昼食会を始めたきっかけです。同じ頃、白十字ホームでは、利用者が畑づくりの活動を行い、そこで育てた野菜を調理し、利用者と地域の一人暮らし高齢者が参加する「昼食会」を開催していました。白十字ホームで車いす散歩のボランティア活動をしていた重並マユミさんが、「昼食会」の活動を知り、「自分たちの地域でも同じように昼食会を実施したい」と白十字ホームに相談し、活動を始めました。
メンバーで代表の小林保子さんは「配食事業を通じて見知っていた方や近隣の高齢者、関係者に声をかけ、初めて開催した試食会を兼ねた食事会で、白十字ホームから運ばれた温かい食事に感激したことが忘れられない。参加者からも大変好評で、白十字ホームの協力があってこそ続けてこられた」と語ります。
同時期に、青葉町2丁目でも月2回の昼食会が始まり、白十字ホームは青葉町地域では月4回の昼食会への支援をしています。白十字ホーム、ホーム長の西岡修さんは「青葉町は市内では比較的新しい地域。ハンセン病療養所の全生園や精神病院など多くの福祉、医療の施設に囲まれている。同時期に町に住み始めた皆さんが子育て等を通じて知り合い、福祉施設等にも関心を寄せ、自分たちの地域をより良くしたいという思いを持ち、つながっている」とメンバー同士や地域との関係性を語ります。
さまざまな活動を展開
団地の集会室等での開催を経て、平成23年(2011年)に、現在の会場となる青葉地域センターができるまでは、精神障害の方等が通う、(社福)東村山けやき会の就労継続支援B型事業所「平成の里」のスペースを借り、昼食会を開催していた時期もあります。毎年夏に、「平成の里」や白十字ホームの協力のもと、全生園からも竹をもらって流しそうめんを行い、「平成の里」の利用者も地域の高齢者も一緒に楽しんだりもしました。
また以前は年に一度、バスハイクも実施していました。一人では外出が難しい高齢者と、深大寺や花やしき、富士サファリパークなどさまざまな場所に貸切バスで出かけ、楽しみました。このほか、資金集めのバザーを開催したり、新年会や夏祭りなど数多くの地域の活動にも参加しています。「皆さんが楽しむ様子を見るのが私たちの楽しみ」とメンバーの松田和美さんは語ります。
コロナ禍で昼食会を休止する中、活動の意義やつながりを実感
コロナ禍では感染防止のため、昼食会や地域の活動は令和2年2月から休止しています。自宅を一軒一軒訪ねることも難しく、参加者の健康を案じています。中には、この約2年のうちにかなり老け込んだ方や亡くなられた方もおり、状況が早く収束することを願っています。
しかしこれまでを振り返り、メンバーは改めて活動の意義や続けてこられた秘訣も実感しています。渡辺明子さんは「昼食会の日はお化粧をして帽子をかぶって身なりを整えて参加される方もいる。一人で出かけづらい方が、唯一の外出先として楽しみにしてくださる場」と言います。昼食会の中では、体操や歌の呼びかけ、集金や受付、会計、食事の後始末など、あえて決めずとも自然な役割分担ができています。渡辺さんは「お互いに、きょうだいや家族のような関係」、野村千鶴子さんは「コロナ禍で活動できず、今日久しぶりに皆で会えてとてもうれしい。陰で支え、快く送り出してくれる、それぞれの夫や家族の協力もあり続けてこられた」と強い絆を語ります。吉野志げ子さんは「気になる方への参加の声かけや、福祉施設に協力いただく働きかけができたのは、福祉協力員という肩書きがあることや白十字ホームの協力があるという安心感、信頼感があってこそだった」とこれまでの地域での活動を振り返ります。
青葉町昼食会は、日頃から2丁目の昼食会ともつながり、活動しています。また、東村山市社協が運営する地域福祉の活動拠点「みんなの家吉田さろん」での居場所づくりの活動などにも広がっています。西岡さんは「皆さんの思いや活動が地域にさまざまな形で広がり、関係をつくってきた」と言います。
ホーム内に立ち入れない中でも、制作等で行事のお手伝い
白十字ホームでは、コロナ禍で季節ごとのお花見などの外出行事や夏祭り等が、従前のようには実施できずにいます。これまでそうした行事には、青葉町昼食会のメンバーを含め、多くのボランティアが協力してきました。現在は施設内で工夫して代替行事を行っていますが、ボランティアにはその際に使用する物品の制作等に協力してもらっています。
令和3年6月には、例年利用者が職員やボランティアと共に参加している東村山菖蒲まつりが中止となったため、昨年度に引き続き園内で「白十字ホーム菖蒲まつり」を開催しました。ホームの室内に菖蒲の生花のほか、手作りクラフトや切り絵、写真等で模擬的に菖蒲園をつくって飾り、利用者に楽しんでもらいました。青葉町昼食会のメンバーも、例年は利用者の車椅子を押して同行していましたが、今年は代わりに自宅で、菖蒲の切り花を挿す牛乳パックの花瓶づくりを手伝いました。昼食会が開催できない中でも、ホームや利用者とつながる活動となりました。
今後について重並さんは「食事を介した活動なので、感染防止のためまだ再開は見通せない。それでもこれからもこのメンバーで、長く地域のための活動を続けていきたい」と語ります。
(※)「福祉協力員」制度…各地の社協が呼びかける、同じ地域で暮らす住民同士の見守りや声かけ等の役割を担う住民を登録等する制度。地域によりその役割や位置づけ、活動内容等はさまざま。東村山市社協では昭和52年(1977年)に「福祉協力員会」を発足し、現在も活動を継続中。
http://www.hakujuji-home.jp/index.php
・青葉町昼食会