郡家地域包括支援センター
管理者 德留 規子さん
平成30年6月18日(月)午前7時58分に、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が発生しました。
大阪府高槻市内の被害状況は、広範囲にわたり点在しているために、被害の全体像がつかみにくく、「見えにくい災害」と言われています。市内を流れる芥川中流の西側に位置する郡家地区は、震源地からは北部に位置しています。ライフラインの被害状況として、ガス・水道が止まりました。ガスが停止したことで、多くの住民が復旧するまでの1週間ほどは入浴ができませんでした。しかし、停電にはならなかったので、その後の安否確認では電話などで素早く確認がとれました。この地区は、貯水タンクがある家庭では、生活用水は確保できたようです。一方、住家等は古い家屋も多く、屋根や土塀などに損壊が見られ、いまだブルーシートのかかった屋根が数多く点在しています。
社会福祉法人大阪府社会福祉事業団の「郡家地域包括支援センター」(以下、センター)は、特別養護老人ホーム(以下、特養)、グループホーム、デイサービスセンター、小規模多機能型などが併設される「高槻荘」の敷地内にあり、近くには小学校や今城塚古墳などが隣接しています。高槻市北西部の名神高速道路とJRの間の人口約3万5千人規模のエリアを担当しています。
高槻荘内にある郡家地域包括支援センター
高槻市内12か所地域包括支援センター
郡家地域包括支援センターの担当エリアは⑪
必要な動きをし、寄り添うことで安心感をあたえる
センターでは発災時に、すでに出勤していた職員もいました。「まずは安否確認」と高槻市長寿介護課から電話での依頼があり、6人の職員が手分けして、安否確認を始めました。介護サービスの利用者、独居高齢者、日中独居の高齢者世帯を優先して安否確認をしました。その後、センターがケアマネジメントしている全利用者の安否確認をしました。
安否確認の方法は、固定電話よりも携帯電話の方がつながりやすく有効でした。また、電話がつながらなかったり、耳が聞こえにくい方については、自宅へ訪問したり、地域の民生児童委員に連絡して確認をしました。さらに、少し様子が気になる方については、2~3日後に電話連絡や訪問をおこない、様子を確認しました。民生児童委員やケアマネジャー、各事業所も安否確認をしており、他の機関から利用者の様子を教えてもらうことも多々ありました。
郡家地域包括支援センター管理者の德留規子さんは、「利用者へ電話連絡した際、まずは本人の身体、自宅の状況を確認すると、『(怪我はないから)大丈夫・・・』と返事があった。『今は大丈夫でも何かあれば連絡してね』と伝えると、『電話くれてありがとう』と安心した様子がうかがえた」と話します。
地震後にひとりで不安を抱えている高齢者へのちょっとしたひと声は、いつでも連絡できる人・場所があるという安心感につながると思われます。
情報を共有し、利用者の日常生活の維持につとめる
平日の月曜かつ朝の発災でした。そのため、介護サービスを利用する方や家族にとって、これからの1週間をいかに過ごすか、利用している事業所のサービスはどうなるのか状況を知りたいと考えられます。
担当エリアにおける介護事業所の開設・休止の情報は、事業所からFAX、電話で連絡がありました。
ガスが停まってしまい、入浴ができないためデイサービスを休止する事業所もあれば、入浴なしでも事業を行うデイサービスの事業所もありました。そのため、「うちのデイサービスは入浴ができるから引き受けますよ」と連絡しあったようでした。
センターを併設する特養高槻荘は、職員がすべて目視で建物の安全を確認したので、発災当日もデイサービス事業を行いました。エレベーターは停止しましたが、幸い外から別の入口2階に入ることのできる建物のため、デイサービスの利用者は2階にある特養の入浴を利用しました。同時に、家族からショートステイの延長や緊急ショートステイの依頼がありました。「地震のため自宅へ戻すのが心配になった」「家族が自宅の片付けで大変だから預かってほしい」などの理由でした。特養のショートステイや小規模多機能型の9ベッドを調整して受入れました。
こうした取組みを行ってきましたが、特養高槻荘の施設長羽田浩朗さんは、「今回の地震と台風を経験し、もっと地域の人たちのためにできたことはなかったかを考えさせられた。高槻荘が地域の中にある意義を改めて強く意識した」と話します。
特別養護老人ホーム高槻荘
敷地内には包括、グループホーム、小規模多機能型、デイサービスなどが併設
市社協との連携
地震の後は、大小さまざまな相談がセンターにありました。そのうち、「仏壇が倒れた」「庭の植木鉢が割れた」などの家の片付けに関する困りごとについては、高槻市社会福祉協議会と密に連絡しあって、災害ボランティアセンターのボランティアに手伝ってもらいました。市社協を通じて依頼できたことで、センターとしては動きやすくなりました。
http://www.osj.or.jp/takatsuki/zaitakus/index6.html