(社福)幸風会 クレールエステート悠楽
ハザードマップの浸水想定に基づいた早めの避難で利用者の命を守る
掲載日:2019年1月8日
岡山県倉敷市/ 平成30年12月現在

発災から利用者避難まで~命を救ったハザードマップ~

平成30年7月6日の昼過ぎ、岸本さんは気象庁のサイトなどで大雨特別警報の動向をチェックしていました。2年程前、倉敷市特養連絡協議会で市防災危機管理室の担当者から「ぜひハザードマップを活用してほしい」と説明された際、平屋建ての自施設の所在地は5~6メートル浸水するリスクがあることを初めて知りました。職場で共有するためすぐにマップを職員食堂に貼り出しながらも、当時は「完全に浸かるなあ。屋上に逃げようか」などと笑い合っていたと言います。しかし、そのハザードマップがあったからこそ無事に避難できました。岸本さんは「ハザードマップの存在が頭の片隅になければ今回の避難の決断はできなかった。ハザードマップがお年寄りを助けることになったきっかけでもある」と話します。

 

当日、悠楽には入居者29人とショートステイの利用者7人がいました。ハザードマップに示された悠楽の浸水リスクを念頭に、倉敷市から避難勧告が発令された場合には、すぐに後楽へ利用者を避難させることを後楽の施設長と法人本部長に打診し、職員の緊急招集も含めた受け入れ体制を整えてもらうことにしました。同時に悠楽の職員へは、避難勧告が発令されたら避難誘導のため緊急招集する可能性があること、また真備町内在住職員も多いことから避難場所や経路をよく確認しておくよう、緊急連絡網で夕方までに伝えておきました。

 

悠楽で待機していた岸本さんは、22時に真備町に避難勧告が発令されたことをスマートフォンのエリアメールで知りました。外に出ると遠くで防災無線の音が聞こえましたが、何を言っているかまではわかりませんでした。「雨脚があまりに激しく、屋内にいたお年寄りは何も聞こえなかったのではないか」と言います。すぐに法人理事長に連絡を取り、22時10分に後楽への避難を決定。22時15分には緊急連絡網で職員を緊急招集しました。悠楽の宿直担当にも連絡し、車いすが必要な利用者から先に起こしておくよう伝えました。職員は「本当に避難するのですか?」と言っており、岸本さん自身も「無駄足になってもいいから避難しよう。何もなかったらお茶でも飲んで帰ろうや」と応じるなど、それほど緊迫した状況ではなかったといいます。

 

22時45分、参集した悠楽の職員に加え後楽からも町内在住職員が福祉車両で応援に来てくれ、職員約45人、車両11台で避難誘導が始まりました。岸本さんの指揮で、利用者を次から次へとピストン輸送していきました。悠楽と後楽は車で5分程度の距離なので、雨の中でも避難は比較的スムーズにすすみました。完了間近になった段階で、ピストン輸送をしていた職員から「後楽には避難者用のふとんやマットレスがありません」と指摘されました。もしものときに避難することは想定していながら、避難先でどのような物資が必要になるのかまでは準備していなかったのです。エアマット、毛布、枕、薬……急いで物資を積み込み、後楽へ運びました。そして、深夜0時には入居者と利用者全36人の避難が完了しました。

 

その後、別の職員から「大変! すぐに来てください!」と声がかかったので、施設の北東方面へ駆けつけると、建物内への浸水が始まっていました。30センチ程の高さになっており、それを見た岸本さんはパニックになってしまったと言います。その時点で悠楽に残っていた24人の職員で急きょ浸水対策を始めました。物資を車両に積み込む、カーテンをたくし上げる、椅子を上げる、モップで床を拭く……施設を守りたい、被害を最小限に抑えたい一心で取った行動でしたが、「後から考えると無駄だった。すぐに後楽に避難していればよかった」と振り返ります。水かさはすごい勢いで増しており、20分程の間に西側の玄関付近も膝の高さまで浸水していたため、施設外への避難を断念。理事長と相談し、施設屋上への垂直避難をすることにしました。

 

深夜、職員24人で屋上へ垂直避難

7月7日の深夜1時、スタッフを集めて人数を確認したうえで、暗い中、脚立を運んできて屋上への避難を開始しました。岸本さんや職員は、施設内から持っていけるだけの物資を集めてきました。傘、お茶や水のペットボトル、お菓子、45リットルの事業系ごみ袋、大量のタオル。そして、その時はなぜかわかりませんでしたが、女性スタッフが大量のおむつも持ってきました。

 

まず物資を上げて、女性から避難を始めて全員が屋上に上がりました。施設のガラスが割れる音、棚が倒れる音が響き、冷蔵庫や畳などさまざまな物が流れていく光景を呆然と見ているしかなく、あまりの惨状に悲鳴を上げる職員や涙する職員もいました。

 

強い雨が降り続く中でも、水位は車のボンネット程度の高さでとどまっていました。ひさしの下で傘をさして職員同士で肩を寄せ合っていましたが、そのうちに停電により施設の明かりも消えて、町内が真っ暗に。懐中電灯は4台持っていましたが、節約して使っていました。「市内と施設の電気が突然切れて真っ暗になったことが一番怖かった」と岸本さんは言います。

 

7月上旬とはいえ夜中はとても寒いので、ごみ袋に穴を開けて何枚もかぶって寒さをしのぎました。トイレの不安もありましたが、これも持ってきたおむつを工夫して役立てました。

 

岸本さんは歌を歌ったり、声をかけたりして職員を鼓舞し続けましたが、いつまでもできるものではありません。「自分自身だって怖いし、寒いし、喉も渇けばお腹も減る。朝の5時頃までにはへたりこんでしまった」と言います。それでも声を掛け合いながらがんばっていると、それまで東から西へ流れていた水が、西から東へ流れ始めたことに気がつきました。「後になって、それは小田川が決壊した時間帯であることがわかった」と岸本さんは説明します。水かさが一気に増して、30分程度で車は水没。屋上は3メートル程度の高さだったので、念のため6メートルの高さがあるデイサービスセンターの屋上にさらに上がったところ、元いた場所もその後の30分程度で水没してしまいました。岸本さんたちは万が一を考えて、大人が掴まっていられそうなタイヤや流木などの漂流物を集め始めたりしました。

 

悠楽屋上から撮影(7/7早朝)

悠楽屋上から撮影(7月7日早朝)

 

取材先
名称
(社福)幸風会 クレールエステート悠楽
概要
(社福)幸風会
http://www.kouraku.or.jp/
タグ
関連特設ページ