(社福)洗心会 第二高松園、(社福)洗心会 気仙沼市障害者生活支援センター、相馬市社会福祉協議会
東日本大震災から10年 Ⅰ被災地の施設と社協の今
掲載日:2021年3月19日
2021年3月号 NOW

 

あらまし

  • 平成23年3月11日、三陸沖を震源とする最大震度7を観測した東日本大震災から、令和3年3月で10年を迎えます。地震とそれに伴う津波は、岩手県、宮城県、福島県を中心に甚大な被害をもたらしました。死者15,899人(※1)、行方不明者2,528人、震災関連死3,767人(※2)に達する未曽有の大災害となりました。
  • 発災後、全国各地から被災地へ多数のボランティアや応援職員が入りました。東京都内の社会福祉協議会(以下、社協)は、福島県内の災害ボランティアセンターに応援に入りました。東社協の東京都高齢者施設福祉施設協議会や、知的発達障害部会(以下、知的部会)では、宮城県気仙沼市の施設等でがれきの撤去や物資の運搬、移送支援などを行いました。
  • 今号の「社会福祉NOW Ⅰ」では、東日本大震災を風化させないため、また、今後起こりうる首都圏での大地震への備えを考えるため、当時、知的部会が支援に入った宮城県気仙沼市の障害者施設と、東京都内社協職員が支援に入った福島県相馬市社協の、震災を経験した気づきや今の想いを取材しました。
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  • (※1)令和2年12月10日 警察庁緊急災害警備本部発表資料より。令和2年9月10日時点。
  • (※2)令和2年12月25日 復興庁、内閣府(防災担当)、消防庁発表資料より。令和2年9月30日時点。

 

知的発達障害部会の支援~社会福祉法人 洗心会~

知的部会は、東日本大震災を受け、平成23年3月23日に東京都発達障害支援協会と合同で「東社協知的発達障害部会・東京都発達障害支援協会 合同災害対策本部」を立ち上げました。3月27日には派遣職員の第一陣が気仙沼市に入り、現地の社会福祉法人 洗心会(以下、洗心会)等へ支援に入りました。5期にわたり派遣が続き、がれきの撤去や障害児の送迎などを行いました。応援派遣は人数や派遣日数を変えながら、平成27年まで続きました。

 

◆第二高松園

洗心会が運営する障害者支援施設「第二高松園」は、気仙沼市唐桑町の高台に位置し、津波による被害は大きくありませんでした。当時、第二高松園で主任を務めていた菅原謙さんにお話を伺いました。

 

すぐには戻らなかったこと

第二高松園では、電気や水道などのライフラインは、発災から1か月後の4月に復旧しました。震災当時について「医療機関も被災し、第二高松園がある唐桑地区に通ずる道が津波で流されてしまった。そのため、薬が手に入りにくくなり、飲む頻度を減らさざるを得なかった方もいる」と菅原さんは言います。

 

新しく変化したこと

一方で、震災後、変化したこともあります。「『いつガソリンが入れられなくなってもおかしくない』という不安から、まず車のガソリンは常に満タンにするようになった」と菅原さんは言います。

 

一番の大きな変化は、施設と、ボランティアや地域との交流が増えたことでした。第二高松園では、震災前は、夏祭りなどの行事は利用者、家族、職員のみで行っていました。いろいろな方が施設内に入ると「利用者が精神的に不安定になる」不安があったり、ボランティアに何を頼んで良いか分からなかったりしたためです。

 

しかし、震災後、ボランティアが多く入り、交流する中で、次第に「外に開こう」という意識が職員の間に広がり、地域との交流に積極的になりました。利用者もボランティアがいる環境に馴染み、職員たちの不安は杞憂だったことに気づきました。現在では、夏祭りなどの行事に地域の人を呼び、ボランティアとして看護学生や高校生なども来てくれています。

 

外からの支援を受け入れる中で

「震災の直後、いろいろなボランティアが来てくれたが、1日から1週間で人が入れ替わったため、何を頼んで良いか分からなかった。”お客さん”という意識もあり、綺麗な部分の片づけ等をお願いしていた」と菅原さんは振り返ります。

 

その中で、知的部会から応援に来ていた職員が「第二高松園の職員の皆さんは、利用者の支援に集中してください。その他のことを私たちはやりに来たんだ」と言いました。菅原さんは「それまで気を使っていたところもあったが、その言葉を聞いて『やってくれて助かる』という気持ちが芽生え、さまざまなことをお願いできるようになった」と言います。

 

また、ライフラインがまだ戻っていなかった頃、自衛隊が用意した風呂での入浴介助を一緒にやってくれたことも印象深いエピソードです。「当時、利用者も不安定になっていたところで、応援職員の方が一緒に入浴介助をしてくれた。入浴の楽しさを利用者に教えてくれた様子を見て、『入浴介助はこういうことだったんだな』と改めて気づかせてくれた」と振り返ります。

 

被災者は「皆同じ」ではない

地震や津波による被害は、被災者全員同じものではありません。「例えば『会社は流されたけど、家は残った』人は気仙沼を離れ、その逆の人は今も気仙沼にいたりする。それほど同じ被災者と言っても状況が違う。そのため、被災時は、一人ひとりの状況が違うことに対し、互いの『気遣い』が大事だと思った。大変なことも楽しいことも、偏らずに皆で順番にできるよう、普段からお互いに話しておくことが大事ではないか」と菅原さんは言います。

 

震災への備えについて「答えはないが、普段から『災害時、福祉施設の職員としてどのように動くべきか』考えることで、日頃の行動や備えが変わってくるのではないか」と語ります。

 

◆気仙沼市障害者生活支援センター

第二高松園の支援の後、知的部会の支援は洗心会が運営する気仙沼市障害者生活支援センター(以下、センター)に移りました。センターでは、計画相談をはじめ、地域の障害者が安心して生活できるようサポートしています。気仙沼市障害者生活支援センター センター長 三浦美加子さん、茶園久美子さん、同法人 障害者就業・生活支援センター「かなえ」尾形寿恵さんにお話を伺いました。

 

左から
障害者就業・生活支援センター「かなえ」 センター長 菅原謙さん
気仙沼市障害者生活支援センター 茶園久美子さん
障害者就業・生活支援センター「かなえ」 尾形寿恵さん(手前右)
気仙沼市障害者生活支援センター センター長 三浦美加子さん

 

震災時の様子

震災当日の様子について、三浦さんは「10年経ち、記憶も薄れてきているが、当時は『戦争の中』にいるように感じた」と振り返ります。「津波により、車が流され、車が1台しかなかった。その1台で避難所をまわり、利用者の安否を確認した。移動手段が限られ、時間がかかった」と言います。「発災時間によって、被災状況は変わるが、当日の避難の仕方が生死を分ける。『自分だったらどう避難し、守るか』、日頃から考えるべきだと思う」と話します。

 

その後の課題は利用者の移送でした。地震や津波により、道路が利用できず、通勤や通学に時間がかかるようになりました。震災から10年が経つ令和3年3月6日に三陸沿岸道路がようやく全線開通する予定です。(※3)

 

センターが入っていた市民福祉センター「やすらぎ」は震災後、取り壊しとなり、保健所や児童相談所などに5回引っ越しをしました。「やすらぎ」は平成29年に再建され、現在はセンターも「やすらぎ」の中に戻ってきました。

 

 (※3)令和3年2月2日取材時点。

 

新しい社会資源の増加

震災により、障害者を雇用していた水産加工会社をはじめとする多くの企業も被災しました。「これにより、多くの方が失業し、再就職に時間がかかった」と尾形さんは言います。復興がすすむ中で、水産加工会社は機械化がすすみ、雇用先として減る一方、新たにできたスーパー等の販売業、清掃等が障害者の主な働き先となり、雇用環境が変化しました。

 

「話を聞いてもらうこと」で癒された

当時の知的部会の応援について、尾形さんは「毎週違う人が来て、話を聞いてもらう中で、自分の中で被災経験が整理されていった」と振り返ります。茶園さんも「私たちは、知的部会の応援派遣チームのことを『東京支援チーム』と呼んでいて、今でも交流がある。来てくれた時には『お帰り』と言って迎えている」と話します。

 

ほかにもボランティアの受入れを通じて、ネットワークが全国に広がり、「縁」ができたと感じています。「地域、人と人とのつながりがあってこそ、この10年やってこられた。皆でやっていけば乗り越えられる」と三浦さんは語ります。

 

東日本大震災発災後、
知的部会応援職員による
作業後の集合写真

 

相馬市社会福祉協議会

相馬市は福島県浜通りの北部に位置する市で、東日本大震災では震度6強の強い揺れと沿岸部では大津波に見舞われました。人的被害・住家被害ともに甚大で、日常生活を失った多くの方たちが避難所生活を余儀なくされました。

 

発災後すぐに、全社協のブロック幹事県・市社協会議において、被災地を除く社協による被災地域の災害ボランティアセンター(以下、災害VC)への支援を決め、全国の社協職員が応援派遣に入りました。東京都内の社協(東社協と都内区市町村社協)は、九州ブロックの社協と共に福島県の支援に入ることとなり、平成23年3月19日から福島県内の災害VCで支援活動を開始しました。相馬市社協の災害VCには3月20日から8月31日までの間、東京から延べ522人の社協職員が入り、支援活動に取り組みました。

 

相馬市では、6月17日で市内の避難所は閉鎖となり、被災者は仮設住宅での生活が始まりました。これに伴い、8月1日に災害VCは生活復興ボランティアセンターとして、復興に向けた新たな役割や機能を加えた活動になりました。その後、生活復興ボランティアセンターは平成29年まで続き、平成30年からは相馬市社協の生活支援室として被災者の方たちの生活再建のための活動を続けています。

 

東日本大震災から10年が経ち、この10年間の相馬市社協の災害支援について、当時の相馬市災害VC所長で、現在は相馬市社協常務理事の今野大さんからお話を伺いました。

 

相馬市社協

今野大常務理事

 

市との連携を密にした災害ボランティアセンターの運営

発災直後、相馬市社協では市と連携を取りながら災害VCを設置しました。この時、相馬市社協の事務局の建物は避難所となり使用できなかったため、災害VCを市の商工会議所の建物に設置できるよう市がすぐに拠点を確保してくれました。災害VCの運営には市の職員も必ず入り、その状況を迅速に市の災害対策に反映させました。市と社協は一体となって支援することを意識していました。

 

東日本大震災発災後、市の商工会議所に設置した

相馬市災害ボランティアセンターの様子

 

フェーズの変化に応じた支援

この時の災害VCでの経験が、その後の相馬市社協の災害対策を検討する際に役立つたくさんの気づきをもたらしました。「変化していくフェーズを想定して支援を整備する」、「地域の力を最大限活用した支援をする」、「限られた人数で効果的な支援を届ける方法を考える」などです。

 

発災直後は、混乱の中で災害VCを運営する力が求められました。長期化する避難所生活、その後に仮設住宅が整備されるとそこでの生活と被災者を孤立させないためのコミュニティの再生にフェーズは移ります。相馬市では震災以前は2世代3世代同居の世帯が多くありました。しかし、仮設住宅では広さの問題から世帯を分けて住むことを余儀なくされました。平成24年から復興住宅が整備された以降も、元のように同居することはできず、それぞれの世帯での生活が始まりました。そこには隣近所や仮設住宅にいた顔見知りの人たちも居ません。そのため相馬市社協は、復興住宅にひきこもっている高齢者の方たちに、外に出てきてもらえるようにと、地域交流のイベントをつくったり体操教室や地域サロンを設置運営したりと、活動内容を変えていきました。その後は、復興住宅で生活する高齢者宅に積極的に訪問して、見守りとイベント等への参加の呼びかけを続けていきました。

 

地域の力に注目する

このような中、社協等の支援がなくても地縁で自立していく方たちが増え、住民自身で交流の場を運営できる力が徐々に芽生えていきました。そのことに注目して、社協が主導していた地域交流の場づくりを、住民の自主的な運営に任せ相馬市社協はそれを支える側に移行していきました。地域住民や地域のコミュニティの様子に応じて、社協の関わり方に変化をつけて、地域の力を育むことに努めました。

 

東日本大震災発災から10年目の今年、いくつかの復興支援の施策変更が予定されており、多くの方たちの生活に影響が出ることが想定されます。相馬市社協では、現在、生活困窮者自立支援のための事業を市から受託し、体制整備に努めています。

 

東日本大震災の教訓を活かした令和元年東日本台風の災害対応

令和元年10月の東日本台風(台風第19号)は、相馬市にも被害をもたらしました。市内を流れる河川が氾濫し、死傷者と多くの家屋で全半壊・床上浸水の被害が出ました。相馬市社協では、平時から大規模災害の時に優先して支援に入る120世帯の名簿を用意していました。自力で対応できる世帯、地縁や住民の力で対応できる地域は、まずは自分たちで動いてもらい、相馬市社協は、要配慮者の世帯名簿に載るその世帯を優先して支援しました。これらの世帯の支援に目途が立った後も、相馬市災害VCは活動を継続し、復旧に向け尽力しました。限られた支援体制の中でどのようにして地域住民を支えるか、東日本大震災の教訓を活かした災害対応です。

 

今野さんは「一斉に全ての被災者の支援を開始しようとすると、限られた体制の中で本当に支援が必要なところへ力を注ぐことができなくなる。社協や行政の支えがあれば地域の力で対応できることが多いことが分かっていた。そのため事前に名簿をつくり、優先順位をつけることができた」と話します。

 

災害対応と社協の役割について

今野さんは「東日本大震災で生活が一変して今年で10年。常につながりと相談体制が途切れないよう尽力する。その人が、もう大丈夫、と言うまで寄り添うのが社協」と話します。さらに「一方で社協には通常業務も滞りなくすすめていく責任がある。また、災害対応のためにも平時のネットワークづくりは社協の重要な役割だ」と話します。

取材先
名称
(社福)洗心会 第二高松園、(社福)洗心会 気仙沼市障害者生活支援センター、相馬市社会福祉協議会
概要
(社福)洗心会
http://www.senshinkai-kesennuma.or.jp/

相馬市社会福祉協議会
https://www.soma-shakyo.com/
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