あらまし
- 少子高齢化が急速に進行する中、今後福祉分野は大きく担い手の裾野を広げていく必要があります。一方で、福祉人材の確保難はきわめて深刻な状況にあり、このままでは従来のサービス水準を維持することすら困難になりかねないと危惧されます。これに対して国は総合的な人材確保対策を打ち出し、人材の量的確保と質的確保を両輪として「量と質の好循環」の確立をめざすとしています。職員の育成が人材の定着と確保にもつながる。そうした福祉事業所におけるキャリアパス構築へのアプローチを考えます。
キャリアパスは職員へのメッセージ
平成27年2月、国の社会保障審議会福祉部会が「2025年に向けた介護人材の確保~量と質の好循環の確立に向けて~」をとりまとめました。
それによると、現在の施策を継続するだけでは2025年には38万人の介護人材が不足するとの見通しを示した上で、1.参入促進(新たな人材の確保)、2.労働環境・処遇の改善、3.資質の向上の3つのアプローチによる総合的な政策対応を図るとしています。このうち、「労働環境・処遇の改善」に関する取組みの中には『将来の見通しを持って働き続けるためのキャリアパスの整備』が位置づけられています。
ここで「キャリアパス」とは、それぞれの事業所において職位(職務上の身分、職能資格)や職階(役職名、ポスト)ごとに求められる職務内容や昇格・昇進の要件、給与等を定めたしくみを指します。これが明確になっていることにより、職員は自らの職業人生の中で目標と見通しを持ってモチベーション高く働き続けることが可能となります。そして当然のことながら、福祉事業所においては質の高いサービスを実現できるスキルやそれを支える組織をマネジメントできる能力が”キャリアアップ“の必須要件でなければなりません。こうしたしくみを整備することにより、事業所として質の高いサービスを実現するために職員に日々成長することを期待しているとの大切なメッセージを送ることになります。
職員からすれば、自らのスキルを磨き、また組織全体の成長に努めることが評価されるということは大きな励みになります。そして、そうした努力が利用者の満足や幸せにつながることで働きがいと自己実現が図られ、長く前向きに働き続けるための動機づけになります。さらに、そのように職員が生き生きとやりがいをもって働き続けられ、利用者にも感謝される職場は、新たな人材も集まりやすいといえます。これが福祉事業所がめざすべきキャリアパスを活かした「量と質の好循環」の考え方です。
制度は現場で活かされているか
福祉分野におけるキャリアパスの考え方は、実は平成19年の国の告示「福祉人材確保指針」の中ですでに示されています。また22年には介護職員処遇改善交付金(現在は加算)の中で、いわゆる「キャリアパス要件」が設定されました。
【要件1】職位、職責、職務内容等に応じた勤務条件や賃金体系等を定めること。
【要件2】職員の資質向上の目標・計画を立て研修の機会を確保すること。
事業所はこれらの要件を満たすことによって職員の処遇(給与等)改善に充てる報酬が加算されます。さらに、東京都では「保育士等キャリアアップ補助」も導入されています。
しかし、現状においてこうした国や東京都の方針や施策が果たしてどこまで事業所の現場に浸透し、実をあげているかは疑問もあります。たとえば、福祉施設介護職員の平均勤続年数は5.5年、保育士は5.6年と全産業平均(11.9年)の半分にも満たない状況にあります(25年厚生労働省雇用動態調査、24年社会福祉施設等調査)。
また、介護職員に聞いた「過去働いていた介護の仕事を辞めた理由」は、『法人・事業所の理念や運営のあり方に不満があった』が23%と上位を占め、『収入が少なかった』(18%)や『結婚・出産・育児のため』(9%)を大きく上まわっています(26年介護労働安定センター調べ)。一方で、人材育成の取組みとして『教育・研修計画を立てている』事業者は55%にとどまり、『能力の向上が認められた者は配置や処遇に反映している』と答えた事業者は29%に過ぎません(同)。
こうした状況からは、せっかくの奨励制度がありながらそれを現場で十分に活かせていない実態が見えてきます。それでは、キャリアパスのしくみと人材育成・研修制度を有効に機能させ、サービスの質の向上と人材の定着・確保の実をあげている取組みにはどのようなものがあるのでしょうか。
研修により成長とキャリアプランを
社会福祉法人武蔵野(東京都武蔵野市)は、平成4年に設立された法人で、300名を超える職員が障害者・児童サービスおよび高齢者サービスを幅広く展開しています。
武蔵野では、事業の拡充につれて法人としての一体感を高めることや、職員の育成、優れた人材の確保といった課題に直面しました。そこで5年前にプロジェクトチームを立ち上げ、人材育成の強化に取組んできました。
その特徴としては、職員に求められるスキル(専門性)とマネジメント(組織性)の両面を明示した等級制度を構築し、それに人事考課を含めた評価・目標管理制度をリンクさせていることがあげられます。そして評価・目標管理にあたっては、資格取得や研修への参加、OJTを含めた人材育成への取組みが重視されています。
研修制度に関しては、専門性を培う研修と組織性を培う研修を両輪とし、法人共通では組織研修と部門を超えた専門研修(権利擁護やリスクマネジメント等)を行っています。また、事業ごとの専門研修は各部門や事業所ごとに実施しています。このうち法人共通の組織研修は、初級・中級・主任・係長級・施設長の階層ごとに実施し、東京都福祉人材センター研修室が実施する『キャリアパス対応生涯研修課程』(以下「生涯研修課程」とする)の各課程にも参加しているとのことでした。
新任職員に対するOJTにはとくに力を入れ、OJTリーダー(いわゆるメンター)によるきめ細かな指導と支援が行われています。OJTリーダー向けの研修も半年ごとに行われ、外部のスーパーバイザーから指導を受けています。武蔵野では、新卒等の若い職員の採用にも力を入れていますが、こうした取組みの成果もあり、近年ひとりの退職者もなく、職員はモチベーション高く働き続けていると言います。
研修担当の後藤明宏施設長は「地域社会に役立つという法人の基本理念を実現していくためにも、職員は一体感を持って同じ方向性ですすんでいかなければならない。そのためには人事制度や研修制度を通して職員に働きかけることが大切」と述べます。そして「こうした取組みによって個々の職員が法人の一員であるという自覚が高まっている。今後はさらなる職員の成長とキャリアアップを期待している」と話します。
武蔵野が運営するワークセンター大地の主任である大石千笑子さんは、法人の研修体系の一環として上述の生涯研修課程の「中堅職員重点強化研修」に昨年10月に参加しました。大石さんは「これまで後輩の指導をあまり意識することなく、職員は自分で学ぶものだと思っていた。業務上の失敗も個人の資質のせいにしてきた。この研修に参加して職員の育て方や、チームワークを活かし同じ方向性で仕事をすすめることの重要性を学ぶことができた」と話します。
また同じく5月に「初任者研修」に参加した松下真也さんは、「入職してはじめての研修だったが分かりやすいプログラムが用意されており、グループワーク等を通じて自分の足りないところをしっかり振り返ることができた。こうした外部研修への参加を含め、武蔵野は研修が充実しており職員が成長する環境が整っている。今の部署で力を付けて、将来的には相談援助の業務を担いたい」と抱負を語ります。
人材育成は利用者支援そのもの
尾崎眞三さん(ルーテル学院大学非常勤講師)は、武蔵野でOJTリーダーのスーパーバイザーを担い、生涯研修課程でも講師を勤めています。
尾崎さんは「人材育成に力を入れることは利用者支援そのものだ」と福祉事業所における人材育成の重要性を強調します。その上で、「自分の将来を描けない職員に利用者の未来や幸福を描くことはできない。したがって人材育成を通じて職員がキャリアデザインを描き目標をもって仕事にあたれるようにすること。そのためには事業所の経営理念と期待する職員像を改めて明確にすることが大切だ」と話します。
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キャリアパスの構築が職員の成長とサービスの向上をもたらし、働きがいのある魅力的な職場づくりにつながる。人材確保難が叫ばれる今こそ、福祉分野における意欲的な取組みが望まれます。
https://www.tcsw.tvac.or.jp
(社福)武蔵野
http://fuku-musashino.or.jp