ホテル椿園 清水 勝子さん
伝えていきたいこと-それは、地域で声をかけあい、支えあう大切さ
掲載日:2018年9月28日
東京都大島町/平成30年9月現在
ポイント
- (1) 被災したホテルを取り壊すことよりも、地域の人がいなくなったことが寂しかった。
- (2) 涙が出たり、前向きになったりできるのはひとそれぞれのタイミング。「落ち着いたときこそ、体調に気を付けて」をボランティアに言われた。
- (3) 失って初めて気づく大切なものは、守ってきたはずの地域。声をかけあう大切さを伝えたい。
あらまし
- 平成25年の台風26号の土石流災害発生の時、清水勝子さんが30年間をともにし、女将を務めていたホテル椿園には、55人の宿泊客とスタッフがいましたが、それぞれ声をかけあったおかげで全員無事でした。被災した本館を取り壊すときよりも寂しかったのは、ホテルとともにあった地域の人がいなくなってしまったことです。地域の亡くなった人のことを思う気持ちを「悔しくてしょうがない」と清水さんは話します。
- 災害後には大島社協の災害ボランティアセンターから多い日には100~150名のボランティアが片づけを手伝いに来てくれました。東日本大震災のボランティア経験がある人からは「『落ち着いたときこそ、体調には気をつけて』と励まされました。また、お客様が椿園の思い出を話すのを聞いて、改めて椿園の意義を気づかされました。
- 「私にとっての5年間は長い短いではなく重い5年間。気持ちの区切りはつきにくく、まだまだ終わらない気持ちが大きい」と清水さんは今の心境を語ります。そして、「地域の中で守っていくべき、風習や地域のコミュニティ、土地や歴史、家族。災害によってこれらを失って、大切なものと気づいた」と言います。そして、「実際に起きたことや自分の想いは伝えていきたい」と「語り部」としての活動への想いを話します。
- 最近は被災隣住民と「5年経ってくたびれたよね」と言葉を交わすようになりました。お互い「元気?」という気持ちが入った会話で励ましあう日々です。
取材先
名称
ホテル椿園 清水 勝子さん
概要
ホテル椿園
タグ
関連特設ページ