宮城県仙台市/平成25年3月現在
マニュアルには書けないでいたが…
東日本大震災前に策定していたマニュアルには、津波の際の対応がありませんでした。そのため、宮城野の里では、今回の東日本大震災を受けて、津波警報が出たらとにかく高台に逃げる、それができなかったら近くの高い場所に逃げるということをマニュアルに盛り込みました。東日本大震災では、避難途上に津波が来て利用者も職員も亡くなってしまった事例がたくさんありました。小野さんは「私たちがそうなった時にはどう対応するのか?消防署員や警察官の緊急時マニュアルには、最終的な判断は『自分の身を守ること』となっている。高齢者福祉に携わる職員としての使命感は充分わかるが、最終局面、職員を守ることをマニュアルには明記しなければならないと考えている」と話します。
震災後、いまだ残された課題
「東日本大震災では様々な課題が浮上した」と小野さんは訴えます。仮設住宅についてもそうです。バリアフリーでないこと、また、ハード面で寒い冬の東北で使用する備えが不十分だったことなどです。また、被災後の高齢者への支援に対する課題もあります。
被災地では、認知症の進行やADLの低下などがマスコミでも取り上げられています。さらに、住み慣れた地域だからこそ生活が営めていた方々が、仮設住宅や借り上げ住宅という見知らぬ土地での生活を強いられ、生活が困難になった方もいます。家族関係がうまくいかず、鬱( うつ)になるといった問題なども起きています。将来への不安、見通しがないということが被災された方々に重くのしかかっていることを小野さんは警告します。
社会福祉法人としての役割
小野さんは「東日本大震災を経験して、もう一度、社会福祉法人としての原点に立ち戻ることができた。社会福祉法人は、職員みんなが地域で生活する人々のことを考えなければならない。それが社会福祉法人の役割だと改めて認識した。本会の法人の理念、「‘乳幼児から高齢者まで安心して暮らせる町づくりに貢献する’、この実践を今後も続けていきたい」と熱意を語ります。
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