あらまし
- 東日本大震災から3年が経とうとしています。福島県浪江町のNPO法人「Jin」代表の川村博さんは、荒れた福島県浪江町の地に、障害者や高齢者を復興の担い手として、ともに農業を通じて緑を広げています。そして、ふるさとに帰らない・帰れないまま、避難先の地域で暮らし始めた人たちが、人と人との関係性のなかでその地で暮らしていくために、支え合いづくり、地域づくりを始めようとしています。
ごちゃごちゃした人間関係を作りたい
「心を大切にする仕事をしたい」と思い、福祉の仕事を志しました。福島県福祉事業協会で15年間働きながら、県内すべての小規模作業所を見てまわりました。その経験から、障害の種別や重い軽いなどで分けるのではなく、「ごちゃごちゃした人間関係を作りたい」と思うようになりました。
その後、介護老人保健施設の立ち上げと運営を約7年間行いました。退職後、実家の農業を手伝い、日の出とともに畑に行き、日が暮れると家に戻る生活を半年続けました。雇われる身にはなれないと思い、法人を立ち上げることにしました。仲間が賛同してくれ、平成17年、「NPO法人Jin」を生まれ育った浪江町に設立しました。震災が起きる前は、利用者主体と地域生活を理念とした小さな事業所を目指し、障害のある人や子ども、高齢者の日中活動やデイサービス、リハビリ等を行っていました。約3万㎡の畑では、無農薬・無肥料で野菜を栽培し、鶏、ヤギ、ウサギなどを飼って、子ども、障害者、高齢者とみんなでその命をいただいていました。
高齢者や障害者を復興の主体として
ところが平成23年3月11日、東日本大震災と原発事故により、浪江町は全町避難、事業所は休止となりました。「ここに生きる我々はどう生きるべきか」と考え、2年間は原発避難者の支援に向けて頑張ろうと、法人職員と話しました。まずは、福島県内の避難先に、仮設住宅のサポートセンター3か所、障害者の日中活動の場を2か所、相談支援事業所を1か所新たに開設しました。
そして、浪江町の復興を担う仕事をしようと思いました。ふるさとの風景は美しくなければならない。荒れ果てていてはだめだと考えました。今、その復興を担うのは障害者や高齢者ではないかと考えました。浪江町の高齢者は、何十年も農業を営んできました。サポートセンターでの農業の真似事ではあきたらず、「畑仕事をしたい」と言っていました。仮設住宅等になじめず町に戻っている障害者もたくさんいました。そして、なにより、復興を願う浪江町のため、事業所を開設すべきだと考えました。
まずは、平成24年4月、浪江町に隣接する南相馬市に「サラダ農園」(25年4月から就労継続支援A型事業所・生活介護事業所)を立ち上げました。浪江町から各地に散らばって暮らしている高齢者や南相馬市に住んでいる障害者が、畑で野菜や果物を作り、道の駅などに出荷しています。平成25年4月には、元々事業所のあった浪江町幾世橋地区が、「避難指示解除準備区域」に再編され、日中、中に入れるようになったことで、その場所でもサラダ農園を始めました。鶏が174羽、ウサギが29羽います。ブドウ栽培もしています。今後は、多くの町民が町に来た時のために、食堂をやりたいと考えています。そのために、町の推薦書をとり、水質検査などを行っています。
浪江町に集まった利用者は、避難者ではなく、支援する・されるの枠組みを超えて、厳しい環境の中でもぜひ復興を手伝いたいと言ってくれている人たちです。
避難者を含めた地域の支え合いづくりがテーマ
今、福島には、様々な支援団体が入って、利用者=避難者の奪い合いの様相もあります。「避難者」が支援を受けることに慣れ「避難者」のままでいると、自立が阻害されてしまいます。
サラダ農園に来ている人たちとは別に、避難から3年が近づくにつれ、あれほど戻りたがっていた高齢者から、「浪江町には戻らない・戻れない」という声が聞かれるようになりました。どちらが正しいかではなく、それはそれでいいと思っています。
Jinの事業所は浪江町にあり、浪江の人とともにありました。今は、それぞれの事情でそれぞれの場所に住んでいますが、その人が住んでいるところが地域です。新たな地域で暮らし始めた人たちも、人と人との関係性の中で、その地で暮らしていくために、支え合いづくり、地域づくりをしていきたいと思います。
変化するニーズに柔軟に応えながら、20年後、30年後、「高齢者や障害者が浪江町の復興を担った」と誇りをもって言えるように、生きていきたいと思います。
プロフィール
- 川村 博(かわむら ひろし)さん
- 福島県浪江町出身。平成17年、生まれ育った同町にNPO法人Jinを立ち上げる。平成24年4月、町の復興のため、仮設住宅等に入居する障害者や高齢者とともに、隣接する南相馬市にて「サラダ農園」の運営を開始。平成25年4月、避難準備区域に再編成された浪江町でも同事業を実施。同時に、各地に避難している浪江町民を含めた避難先で支え合いのしくみづくりを目指す。