(社福)大島社協、(社福)椿の里 大島老人ホーム
大島土石流災害から2年 ~今だから大切な福祉~
掲載日:2017年12月18日
ブックレット番号:- 事例番号:51
東京都大島町/平成27年11月現在

 

平成25年10月16日未明、台風26号による豪雨により東京都大島町では大規模な土石流災害が発生しました。あの日から2年。行方不明者3名の捜索は現在も続けられています。応急仮設住宅で暮らす方は、復興住宅の完成に伴い生活環境が変わる大きな節目の時期を迎えようとしています。福祉施設では、大規模災害に備えるための取組みが継続して行われています。本号では、土石流災害から2年を迎えた大島の状況をお伝えします。

現在、大島町では、28年2月の完成にむけて島内2か所で復興住宅の建設がすすめられています。応急仮設住宅で生活する23世帯のうち、21世帯が入居の意向を示しています。町の復興計画では、4つの柱が掲げられ、地域基盤とインフラの復旧・機能強化や復興まちづくりが行われています。

 

岡田地区の復興住宅建設現場

 

先を見通せる大切さ

沢沿いの自宅が土石流の被害に遭った澤田吉雄さんは、町が検討している沢の拡張工事に伴い、自宅が立ち退き対象になる予定です。自宅に流れ込んだ土砂の片づけは終わり、当初は修理して住むことを考えていました。しかし、立ち退き後の代替地がまだ示されていないため、修理も建て直しもすることができない状況です。被害の少なかった離れの2階に住みながら町の検討の行方を見守っています。「沢の拡張も町のことを考えたら仕方がないからな…」と、自分の意思だけでは前に進めない複雑な心境をのぞかせます。

 

大島社会福祉協議会(以下、大島社協)では、26年4月より生活支援相談員を2名配置しています。応急仮設住宅等へ巡回訪問等を行ないながら、町で生活する住民の生活上のニーズを把握し必要なサービスにつないでいます。大島社協が毎月発行する「かわら版」は、応急仮設住宅と併せて、被害が大きかった地区を中心に戸別配布しています。町のお知らせやイベント情報と共に、復興住宅建設の様子を写真で伝える等の工夫がされています。生活支援相談員の草野圭孝さんは、「集合住宅や家賃などを初めて経験する人が多く、町での生活環境も大きく変わっている。先のことが考えられない不安を軽減するためにも、正確な情報を少しでも早く伝え、住民自身が今後の計画を立てたり選択ができるようにしている」と話します。

 

大島社協では、被災者支援に関して、町と定期的に「大島町被災者生活支援連絡会(*)」を開催しています。復興計画に関する町の検討状況や、決定事項を確認できる場です。そして、気になる住民について専門職と情報を共有できる場でもあります。草野さんは「被災者と同様に支援側にも、今後の支援の先を見通せる情報が必要」と指摘します。

 

 

*大島町被災者生活支援連絡会(毎月1回定例開催)

大島町:福祉けんこう課(子ども家庭支援センター)、土砂災害復興推進室
東京都:大島支庁総務課福祉係(福祉事務所)、島しょ保健所
その他:大島社会福祉協議会(生活支援相談員)、担当地域の民生児童委員

 

澤田吉雄さん宅。自宅の片づけは終わったが、沢拡張の検討を見守る

 

いまなお選択や決断を迫られる

29年前の昭和61年(1986年)、大島では三原山が噴火し全島避難を経験しました。約1万人の島民はおよそ1か月間避難生活を送りました。2年前の土石流災害では、死者36名、行方不明者3名、全壊建物137軒という甚大な被害を受けました。しかし、その被害は元町神達地区を中心に局所的に発生したもので、発災直後から島民の中には災害に対して温度差がありました。2年経った現在では、その温度差がより顕著になってきています。

澤田さんや応急仮設住宅で生活している方のように、2年が経過するいまなお、様々な場面で選択や決断を迫られている方がいます。その一方で、発災直後から特に日常生活に変化がなかった方や、2年が経過する中で既に以前の日常に戻った方もいます。島内でも災害への関心が薄れるなど、大島では、いま難しい時期を迎えています。

 

新しい大島の力

以前の大島にはボランティアセンターがありませんでした。2年前の土石流災害時には、災害ボランティアセンターが立ち上げられ、都立大島高校の生徒や都内で暮らす大島出身者など、特に若者の関わりが大きな力となり住民を元気づけました。大島社協ボランティアセンター副センター長の鈴木祐介さんは、「これまで大島の若者には、地縁系の青年会のようなつながりしかなかった。災害をきっかけに、20~30代を中心としたボランティアグループが立ち上がったのは新しい動き。社協が開催するふくし祭り等のイベントを共催するなど町を支える力になっている」と話します。

また、25年11月に住民の交流の場として避難所で開始された「あいべぇ」は、現在も応急仮設住宅内の集会場で行われています。そして同時期に、町で生活する住民のために元町2丁目のふれあい館で始めた2か所目の「あいべぇ」は、大島社協としては27年3月をもって終了させる予定でしたが、「知っている人から友達になれる」と住民から大切にされる場所になり、運営を住民が引き継ぎ、現在も週一回開催されています。

 

ふれあい館での「あいべぇ」。伊豆大島の方言で「行こう!」と言う意味

 

 

取材先
名称
(社福)大島社協、(社福)椿の里 大島老人ホーム
概要
(社福)大島社会福祉協議会
http://oshima.tokyoislands-shakyo.com/

(社福)椿の里
http://care-net.biz/13/tubakinosato/
タグ
関連特設ページ