熊本県熊本市/平成29年3月現在
しくみや制度があるから取組んでいるのではない。リデルライトホームのその精神は、熊本地震でも揺らぐことなく発揮されました。
19世紀末にイギリスから来日し、日本のハンセン病救済のさきがけとなる活動を展開したリデル、ノット、ライトの三女史。生涯をハンセン病患者の支援に尽くし熊本の地に永眠したリデルの後を継いだ姪のライトは、戦時中に国外追放されたものの、戦後、「患者に会いたい」と再び熊本に帰り、晩年をこの地で過ごしました。
その精神を受け継いだ社会福祉法人リデルライトホームは、本体施設のバックアップのもと、熊本市内に地域のニーズに応じた拠点を広げながら、以下のような事業を展開してきています。
リデルライトホーム理事長の小笠原嘉祐さんは、「福祉が目の前にある課題を見つけ、それに取組むのはインフォーマルに始まるもの」と話します。平成28年熊本地震では、入居者の安全を守りながら、リデルライトホームへ避難してきた地域住民たちを受入れました。また、在宅の利用者のために実施していたサービスを途切らせることなく継続しました。さらに、4月20日からは地域の要配慮者を特別養護老人ホームに受入れ、そして、5月1日以降、8月27日まで福祉避難所の専用スペースを設営し、全国からの派遣職員の応援を受けながら27人の要配慮者を受入れました。
さらに、小笠原さんは熊本県社会福祉法人経営者協議会(以下、熊本県経営協)の会長でもあり、同協議会の役員たちとともにリデルライトホームを拠点にしながら、県内の被災した法人への支援に取組みました。小笠原さんは、リデルライトホーム、そして熊本県経営協として取組んできたことをふまえ、災害時、地域にある社会福祉法人が取組んでいくべきこととして、以下の5つを挙げています。
本震直後。入居者を守りつつ、地域住民たちを受入れる
平成28年4月14日の午後9時26分、そして16日の午前1時25分。平成28年熊本地震の前震と本震は、いずれも入所施設にとっては体制が薄い夜間帯に発生しました。しかしながら、リデルライトホームでは、幸いにもすべての事業所でけが人は出ませんでした。
本震では、養護老人ホームの家具が倒れたり、入居者が飛び出して「避難せんといかん」と叫ぶ混乱もありました。そして、停電が30分ほど続き真っ暗になったので、夜勤の職員は入居者を1か所に集めました。特別養護老人ホームの入居者は廊下にベッドを出して目が届くようにしました。法人が運営する近隣の小規模多機能型居宅介護事業所「コムーネ黒髪」と有料老人ホーム「くろかみの家」の入居者も安全のため、本体施設に避難して泊まってもらいました。
そんな中、近隣の地域住民がリデルライトホームへ避難してきました。小笠原さんは「ここが地域のものという意識を普段から持ってもらっている」と話します。避難してきた住民の方々は「布団はなくてもよい。(余震が続き)家にいると不安だから」と言っていました。とにかく安全に過ごしてもらうため、その晩はデイサービスのスペース、会議室、玄関口を開放して66人の地域住民を受入れました。前震の際にも2人の地域住民を受入れています。
熊本市内にあるリデルライトホームは、震度7を観測した益城町から直線で8キロほどの距離でした。鉄筋の建物が壊れることはありませんでしたが、改めて確認すると、被害はやはりありました。法人事務部長の木村雅治さんが建物を案内しながらその被害を説明してくれました。壁に入った亀裂は(4千回を超える余震で)徐々に広がっています。「ここが沈んでいるのがわかりますか?」と木村さんが指さした箇所は、10センチほど建て増しした建物自体が沈んでいます。そして、「高架水槽に水を送る配管がやられた。簡単には直せないので、ポンプで対応している」と話します。
これら地震による被害を見積もると8,500万円に上ります。また、今は市が管理し市民に無料で開放している「リデル、ライト両女史記念館」は、地震の被害で危険な状態となり、残念ながら立ち入り禁止の状態となっています。
余震で広がる亀裂
建物の一部が沈む
配管が損傷したため、ポンプを使用
立ち入り禁止状態の記念館
職員も数多く被災しています。法人の職員167人のうち、20人以上の職員は自宅が被災して避難所や車中泊での生活を余儀なくされました。9人の職員は、自宅が全く住めない状態となりました。
http://www.riddell-wright.com/