東京都羽村市/平成29年3月現在
平成28年10月23日(日)に、羽村市五ノ神にある都立羽村特別支援学校を会場にして、羽村市内の福祉関係団体の連絡会である「羽村安全ネットワーク(略称:「はあと」)」が主催して、「福祉避難所利用訓練」が行われました。東京西部地区に震度6強の地震が発生し、ひとまず避難した居住地区の一次避難所から、福祉避難所へ移動してきたという設定です。
「はあと」は、平成23年3月に、障害のある人をはじめとするさまざまな困難さを抱えて生きる人たちが、住み慣れたこの羽村で安心して暮らせる地域づくりをめざして結成され、行政や各種関係機関との連絡や、防災や人権に関する研修などをすすめてきました。その活動の中で、羽村市と福祉避難所についての協定を結んでいる都立羽村特別支援学校とは、この2年間には年1回の校内見学と懇談会をお願いしてきました。市内には在校生や卒業生などの多くの関係者もいて関心が高いところから、3年目の今年は学校の施設を借りて「福祉避難所利用訓練」を行いたいとお願いしたところ快諾をいただき、先生方のボランティア協力までも受けて実施することができました。
羽村市では、平成28年9月4日(日)に、市の総合防災訓練の一環として福祉センターを会場にして「福祉避難所設置訓練」を実施しています。こちらにも「はあと」のメンバーが参加して訓練に協力していますが、福祉避難所は、市の決定により開設され、運営は当事者で行われることになっているので、「ひとまず集まって、少しの時間を一緒に過ごして、何かに気づいておく」ための「利用訓練」を小規模であってもやっておきたいと思って企画しました。呼び掛ける対象は、「はあと」参加団体の会員を中心に「どなたでも」ということにしました。
まずは、各自が発災時には、「しゃがんで、かかえて、じっとして」自分自身を守る(シェイクアウト)と、非常持出袋を持ち出して避難開始に備える「避難準備訓練」行い、一次避難所への避難は「やったつもり」として、都立羽村特別支援学校へ集まりました。
福祉避難所利用訓練の様子
都立羽村特別支援学校体育館
市職員役をボランティアの先生がしてくれましたので、体育館にひとまず入り、指示に従ってシートを広げて通路を表示して居住区をつくりました。そして、ある程度の人数が集まったところで、運営本部を設置するための有志の参集を呼びかけました。しかし、そのつもりで集まったはずの「はあと」の世話人たちでも、障害のある人たちの家族であり、わずかな時間であってもすぐに集まることはできませんでした。
ようやく運営本部を設置してから、準備していた飲料水の「配布訓練」をし、それから約30分間は、横になったり、談話をしたりして過ごしてみる「生活訓練」をしてみました。何の用意もなく来てみると、床は結構冷たかったり、固かったりして、過ごしがたいことも体感できました。
また、この機会に、情報交換や体験をしようということで、それぞれの生活の仕方や障害のサポートの必要に応じた必要な物資の展示をしました。ちょっとした障害物でも動きにくくなる四輪の車いすを二輪の人力車のようにする「人力」というアタッチメントや、使わなくなった旅行用スーツケースに詰めた防災グッズなどをシェアしました。また、学校の備品の仮設トイレの組み立て練習では、「けっこう腕力が必要で大変だ」との感想が聞こえました。
参加者の感想からは、「あえて、手ぶらでくることで避難所に何があるとよいのかが見えてきた」「体育館で過ごすことの大変さを感じることができた。子どもがいかに落ち着かないかわかったし、床に直接座るのは冷えることがわかり、冬季なら毛布や寝袋が必要だと感じた」といった「自助」についての気づきや、「避難所には、障害のある家族とともに避難しているわけで、運営委員といわれても、その場に障害のある家族を1人にしておくわけにはいかない方がほとんどだと思う。したがって、各団体では、役員さんが運営委員をやってもらえるようにサポートする体制をつくるということが必要だ。その上、福祉避難所の利用対象者に障害がある人とその家族だけでなく、支援者とその家族が来られないと、当事者だけでの運営は困難だと思う」といった「共助」の必要性、また避難所の運営を担当する町内会などの地域組織がない福祉避難所での「福祉避難所マニュアルが必要」という「公助」としての準備などの思いが寄せられました。
初めての試みにしては、当事者が40人も参加者し、民生委員協議会や市議会議員の方も来てくださって理解が広まったことも成果でした。今後も羽村市の指導や協力を得て、活動を充実していきたいと思います。
仮設トイレの組み立て練習
寄稿
荻原稔さん
羽村市「羽村安全ネットワーク」副代表
東京都立青峰学園主幹教諭
市内の障害者団体の連絡会。協力団体として障害者施設や安全・防犯等の関係機関も参加。