(社福)堤福祉会
震災の教訓をふまえ、広域連携のしくみづくりをすすめる
掲載日:2018年6月18日
ブックレット番号:7 事例番号:75
岩手県/平成30年3月現在

 

 

岩手県沿岸部のほぼ中央に位置する大槌町は、内陸部側には北上山地に連なる山々が並び、太平洋側にはリアス式海岸が広がっており、景勝地の浪板海岸や「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった蓬莱島を有する風光明媚な地域です。

また、水産業が盛んで新巻鮭発祥の地としても知られています。平成30年1月現在の人口は約1万2,000人。震災前は約1万6,000名でしたが、自然減や人口流出のため減少を続けており、過疎化・高齢化が進行しています。

 

平成23年の東日本大震災では、大津波により宅地の52%、商業地の98%が浸水し、死者・行方不明者が1,200名以上に上るなど甚大な被害を受けました。町が壊滅状態となり行政機能が麻痺したうえ、地理的要因も重なって一時的に孤立状態に陥るなど混乱した状況の中、同地で長年にわたり事業を展開してきた社会福祉法人堤福祉会では、利用者の安全を守りながら被災者支援活動を行っていました。

本稿では、同会常務理事・総合施設長であり、岩手県社会福祉協議会高齢者福祉協議会(岩手県高齢協)副会長を務める芳賀潤さんに、災害時対応の課題をふまえた取組みや広域での相互支援体制づくりなどについてお話をうかがいました。

 

堤福祉会の事業概要と被災状況

堤福祉会は、船越湾を臨む吉里吉里地区で保育所や高齢者福祉施設を運営しています。震災当時は3つの施設で福祉避難所の指定を受けていました。

 

【運営施設概要】(平成29年9月時点)

 

吉里吉里地区にあった堤乳幼児保育園、三陸園/ゆーらっぷ(同じ敷地内に設置)、らふたぁヒルズは無事でしたが、大槌の市街地にあった居宅介護支援事業所は全壊してしまいました。非番の職員4名が亡くなったほか、職員にも同居家族にも甚大な被害が発生しました。多くの職員が被災し、心身ともにぎりぎりの状態の中、入居者の対応や一般の避難者、負傷者の受入れを行いました。

 

【堤福祉会の被害状況等】(平成29年9月時点)

 

発災から1か月程度の動き

平成23年3月11日、吉里吉里地区の海側の高台に位置するらふたぁヒルズと三陸園には、夕方頃から次々と地域住民が避難してきていました。

らふたぁヒルズでは1階の入居者20名を2階に上げてスペースを確保し、発災当日は一般避難者約200名を受入れ、当日出勤していた25名の職員が対応しました。

さらに救助された人など負傷者も多数運び込まれており、当時らふたぁヒルズ施設長だった芳賀さんは「負傷された方が50名ほど玄関前ロビーにあふれかえっていて、まるで野戦病院のようだった」とふり返ります。避難者の中に医師がいたため対応を依頼しましたが、治療ができる状況ではありませんでした。

 

停電や断水に加え通信手段もほぼ途絶しており、周辺状況も確認できない状態だったため、まずは施設や周辺にある資源を活用して乗り切る必要がありました。

消防団員でもあった芳賀さんは、発災当日からしばらくの間、朝晩は施設で情報共有や対応の指示を行い、昼間は地域に出向いて物資調達や防災ヘリの手配など、さまざまな調整を行う日々が続きました。

らふたぁヒルズにいた負傷者22名は3月14日までにヘリ搬送されたため、要配慮者の受入れ人数は多くありませんでしたが、発災当日に避難していた医師にその後も常駐してもらったため、負傷者は断続的に運ばれてきていました。

 

ライフラインの復旧には数週間以上を要し、電気は4月1日(エレベーターは4月5日)、固定電話は4月11日、水道はらふたぁヒルズが4月16日、三陸園が5月14日でした。

 

【発災~3月中の動き(らふたぁヒルズ中心)】

 

 

取材先
名称
(社福)堤福祉会
概要
(社福)堤福祉会
http://tsutsumifukushikai.jp/
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